わかれみち

ひとの別れ道は、そこまでの道のりや行き先に関係なく輝いてみえる。

会社の同期がやめることになった。入社してから、はじめの2ヶ月間の新入社員研修を除けば、ほとんど会ったことがなかった同期。頭のなかで、なんとなく顔をイメージできる程度の関係性。どうゆうわけか、会社をやめて実家に帰る前に飲み会で話すことができた。

ほかの同期から、大変な支店に異動したとは聞いていたから、人間関係か忙しすぎてやめることを決めたのだろうと勝手に思っていた。実際に会ってみると、はきはきと元気に喋るし笑顔も見せた。肌艶はよく背筋もきちんと伸びていた。大きな体からは自信のようなものさえ感じられた。それでも、部署が大変だったこと、将来が見えなくなったこと、をその場の空気が悪くならない程度にぽつぽつ話した。ほんとうに大変だったのかもしれない。そしてその大変さにきちんと正面から向き合ったのかもしれない、と勝手に心のなかで思った。

日頃交流がない人たちが即席で集まったからか会話がぎこちない。一人が「相席屋」にいってみようと言い出し、日曜の21時だというのに結局みんなで行くことになった。ひとりの人間の人生が変わる瞬間に、僕らは相席屋なんて陳腐な場所に行っていていいのだろうか、と思ったが、ほとんど相席屋にいったことがなかった自分は内心わくわくしていた。

5人で来ていた僕らは、お店に着くと2人と3人組で分かれることになった。さすがに5人で来ている女性陣はいない。きっとそんな女性陣は車を借りて、鎌倉とか湘南にでもドライブに行くのだろう。これもまた偏見なのだろうか。僕は運良く3人組のほうだった。運良くとは、人数が多い方が話す頻度が減るからだ。知らない人と話すという行為は寿命を削るに等しい。さすがにそれは言い過ぎかもしれない。

最初の席につくと2人組の女の子が座っていた。2人とも僕らの求めているタイプの人たちではなかった。横に座っていた同期が、QRコードの付いたカードを肘で僕の方に移動させた。このQRコードを読み込んで「席替え」を依頼するのが僕の役割だ。なるべく女の子に気づかれないように、不自然にテーブルに両肘をついて両手を口元に近づけ、女の子の話を食い入るようにきく男を演じる。最近はドラマでもそんなクサい演技を見たことがないと思うが、それどころではない。なんとか隙をついて肘を使ってカードを自分の膝に落としてから、そっとトイレに向かった。とても残酷なルールだと思う。もっと、女の子たちが傷つかないルールはないのだろうか。おもむろに、定員が現れてみんなに花の首飾りをかけて、最後に軽快な音楽とともにサンバを踊るルールとか。

僕たちの組は1時間もかからないうちに席替えを4回もした。そのほとんどが、席についてすぐリクエストしたから自己紹介をして会話が終わる。途中からもはや何をやっているのかわからなかった。ただ、よくよく考えてみるとこれも「出会いと別れだよな」とも思った。初めて会った人と少し話をし、連絡先も交換せず二度と会うことがないお別れをする。最後にありがとうと言う。これから会社を辞めて地元に帰る同期に「同じだね!」といったらどつかれると思ったので言うのはやめておいた。僕らは高いお金だけを払って、月曜日という憂鬱を溜め込んだ静かな日曜の夜の街を歩いて帰った。

誰かの人生の交差点に立ち会えるというのはいいものだと思う。それがどんな決断であってもそこには覚悟があると思う。その覚悟の背中を見られることは尊い。できれば、僕の覚悟も見てもらいたいところではある。僕の交差点には誰か来てくれるのかな。

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