あき

東京にきて、「保留する」というワザを覚えた。どうしようか迷ったあとで、その場では決めず結論を次回までお預けする技。

昔から服を買いに行くのが苦手だった。正確には、陳列された服を見ている時に、店員に話かけらるのが嫌いだった。「こちらの商品は秋に出た新しいモデルで...」「素材にこだわりがありまして...」。基礎知識を持ち合わせてないひとに向かって、応用パートから説明をはじめる行為は、もはや暴力の一種だと思っている。そんなこともあって服を選ぶ頻度と時間がなるべく減らしたいと思っていた。結果として、なんとなく良さそうな服、つまり、買うか迷った服は必ず買うようにしていた。何度も同じ店に行くなんて考えられない。結果、僕のタンスには戦闘力の低い服が数多くある。

ただ、最近はその「即決」が少なくなってきた。何度か試着したり、何箇所か店を行き来したあとに、今日は買うのをやめようと何も買わずに帰ることも増えた。一つは、東京に引っ越したことで気軽に服を買いに行けるようになったからだと思う。それでも、社会人になって時間の価値が高まっているから、時間は決して安くない。
ここ数年間で、自分の価値観が思っていた以上に変わることを自認した。その瞬間にいいなと思ったことも、次の日にはそうでもないなと思いかえすことがあった。雑誌を見たり、街を歩いている人を観察したり、友達と話をしているうちに、それまで思ってもみなかったことに良さを感じる場面がある。決断の前に、多少時間を置くのも悪くないのかもしれない。

「やりたいこと」や「言いたいこと」も、ぐっと堪えることが昔より増えた。「やめる」という行為は、つみ木のように積み上げた思考を崩す行為でもあるから、貧乏性でせっかちな自分にとってはひどく耐え難い行為だ。もしかしたらチャンスを逃すことだってあるかもしれない。それでも、考えを寝かせる行為は自分にとって「より揺るぎないもの」を浮かび上がらせてくれる作業だと思う。それから、負のエネルギーをため込む生産的な行為だとも思う。やめると決めた時、いつも頭の中で、バネを垂直に押しつぶす情景を思い浮かべる。それから、筋肉番付でケイン・コスギがモンスターボックスに挑戦するあの場面も。飛躍のときはまだか。

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