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三回廻ってワン

幼少期、爪が伸びていることに気づいた僕は、祖母に切ってほしいとお願いしたことがある。
しかし祖母は「夜に爪を切るときは、”三回廻ってワン”をしなければならない」という謎のおまじないを、4歳か5歳そこらだった僕に求めたのだった。

素直にそのおまじないを信じてクルクルクルワン!とすれば、爪も切ってもらえる上に孫の可愛い姿を祖母に見せてあげられるため良いことづくめな訳であるが、当時の僕の頭の上にはクエスチョンマークが1垓個浮かんでいたので、そのおまじないを実行することなく次の日の朝に爪を切ってもらうことにしたのだった。

めざまし占いの結果を微塵も気にせず小学校に通っていた可愛げのない頑固ボーイであった僕は、”おまじない”などという何の根拠も理由もないものを実行する意味が分からなかった。

その考え方は今でも変わらず持っていて、毎年この時期に思うのが「初詣」に関する考え方である。(あ、明けましておめでとうございます。)
初詣をスピリチュアル的観点で考えたことは一度もなく、あれはエンタメコンテンツ&非常に優れたビジネス、だとしか思っていない。一年の計は元旦にありとはよく言ったもので、これは神社が「元旦に1年分の稼ぎゲットしちゃお☆」と言い始めたのが語源ではないかと思うくらいだ。年始に初詣へ行った人と行かなかった人、年末ではどちらが幸福度が高いか?なんて研究結果があったら是非見てみたいものである。

もちろん、初詣にみんなで行き、お賽銭を投げ、おみくじを引き、りんご飴を服に垂らして嘆くのは好きだ。ただそれをすべて1人で行った場合、こんなにもつまらなくなるコンテンツはなかなか珍しいものではないかとも思う。スピリチュアル的に初詣をしているのであれば、話は別であるが。

おまじない、初詣、厄年、占い、姓名判断、風水、縁起物、すべては人間の本質である「責任を持ちたくない」という部分に根差したコンテンツだと思う。おまじないをしなかったから、初詣に行かなかったから、占いの結果が良くなかったから、こう言ってしまえば楽である。
ある種の救い、心の支え、助言として占いや風水を信じられる純粋とも馬鹿正直ともいえる心を持っている人は、幸せなのかもしれない。貶すつもりもないが、認めもしない。神を信じるときは、電車内でウ〇コが漏れそうなときだけでいい。

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