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スコスコの実

自分の嫌いなものは他人の好きなものであり、自分が好きなものは他人の嫌いなものだ。人間が100人いれば100通りの好みがあって、アジャコングが100アジャいれば100通りのコングがあるだろう。

自分ルールとして、「経験がないものを嫌いと判断しない」というものがある。食べたことがないものを嫌いとは言わないし、行(おこな)ったことのないレジャーをつまらないとも言わない。基本的に自分の苦手なものは実体験に基づいた判断で返上の余地は限りなく少ないのだが、その領域に踏み込んでくる人が多数いるのも事実だ。

最近やたらと流行っているサウナだが、自分は苦手である。ジメジメした空間が苦手だしあんなに呼吸がしづらい空間に長時間居座ることができない。もちろん何度かチャレンジをしたことはあるし、サウナ好きの友人と一緒に所謂「整う」ために水風呂にも挑戦したことがあるが、結果的に自分は「整え」なかった。我慢の先に「整い」があり、「副交感神経によるリラックス」と「アドレナリンによる興奮」が共存している状態を一度経験したら極上の快感を覚えるのは科学的にも解説されていて理解はできるが、自分にとっては熱い空間にいる不快さとクッソ冷たい水風呂でもう泣きっ面に蜂状態で全くといっていいほど整わず、もはや散らかってしまったのだ。

この話をするとサウナ好きの人たちは、やれ「我慢が足らない」だの「入り方間違ってたんじゃないの?」だの「人生もったいない」だの、「ガッキーは可愛いに決まっている」くらいのテンションでサウナを絶対神のように扱う人たちに多く出会ってきた。我慢が足らないだなんて言われたって、まず我慢をするほどの価値を感じられるかどうか次第で好きか苦手かが決まるのではないのか、熱波で脳がやられてんじゃねえのかと思いながら僕は銭湯で不感温度湯に浸かっているのである。

パクチーもトマトも好きだが、嫌いな人の気持ちもわかる。坂上忍も山村紅葉も苦手だが、好きな人の気持ちもわかる。食わず嫌いもやらず嫌いもしないから、放っといてくれないか。



ところで、チョコミント好きな人って歯磨き粉も好きでしょ?おかしいよ


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