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イモづる読書【その54】・・・『王者の妻』から『北政所と淀殿』から『北政所おね』・・・

秀吉の妻のちの北政所またのちの高台院は「ねね」?


次に読む書籍をkindleunlimitedで探していて、永井路子の『王者の妻』と黒岩重吾の『中大兄皇子伝』迷った挙げ句、『王者の妻』を先に読むことにしました。
決め手は「明るいそう」【うん、ほんまやで】
もうひとつの決め手は、表紙のキャッチに「秀吉の妻おねね・・」とあります。
どうにも、「ねね」という呼び方が好きで、「おね」ってのには馴染めません。

永井路子の『王者の妻』を読みながら、『北政所と淀殿』を参照しています。

信長を中心にした戦国時代の研究では定評の小和田哲男先生の『北政所と淀殿』は目から鱗・・・がよくあります【うん、ほんまやで】

・・・出家して高台院(こうだいいんと名乗るまで、北政所と表記する。 それ以前はおねとする。一般的にはねねとされることが多いが、同時代史料にねねと書かれたものが一つもないので、おねとしたい。彼女の差し出した手紙の署名に禰とあり、また、秀吉の手紙の宛名にお禰となっているからである。厳密にはお禰としなければならないが、本書ではおねと表記する。寧と書かれたものもあるので、正しい発音は「おねい」あるいは「おねー」だったかもしれない。

『北政所と淀殿』
小和田哲男

おねー」って言い方、秀吉に似合う・・・似合いそうな呼び方のような気がします。【シランケド】
その他、この本には興味深い内容がいくつかあります。
「いつ頃から「木下」姓を名乗ったか」、「長浜城を守るおね」ではおねが「年貢や諸役を免除する」ような重要な命令を出して・・・とか、「大阪冬の陣の時、ねね(当時は高台院)は、京から大阪へ向かう・・・なぜ?・・・徳川軍に止められやむなく京へ帰る」とか、「その後、家康はねね(当時は高台院)を監視する」・・・などなど。
秀吉との出会いから、天下統一と北政所の役割、秀吉の死と北政所、「関ヶ原の戦い」その後、「大坂の陣」・・・サブタイトルにあるように「豊臣家を守ろうとした」生きざまが描かれています。
これが小説としてではなく、ノンフィクションとして史料的根拠にもとづいてまとめられている点が大いに興味をひくところです。

この小和田哲男先生の『北政所と淀殿』でよく引用されている書籍が、
ミネルヴァ日本評伝選シリーズの『北政所おね』 (著:田端泰子)です。
早速、イモづるしました。

ミネルヴァ日本評伝選『北政所おね』は、幅の広い書籍です。
「おねの役割」とか「夫婦の協力で城下町づくり」「信長のおね宛書状」「おねの移居 」「九州の役の頃のおねの役割」といったおねに関する項目ばかりでなく、「戦国期の武士の女性」という項目には「戦国期の女性の衣服」「戦国期の食」「戦国期の住まい」「戦国期の女性と馬」「武士階級の女性の乗馬」「女房の役目」「女房の役目」「女房という女性家臣」・・・「「上(かみ)様」と呼ばれた正室 」(なんと信長がおねのことを「かみさま」と呼んでいる)とか「武将の妻とは」など興味深い内容が盛り込まれています。
また、「秀吉の街道整備」「秀吉の領国支配」「秀吉直臣団の始まり」「信長の対毛利氏攻略構想」・・・といった戦国時代のトピックスも簡略にまとめあげています。

北政所と淀殿』と『北政所おね』、両書とも特に興味を引く項目は、
太閤薨御(こうぎょ)【この表現が正しいか・・わからん】後、また、
特に関ヶ原の戦い以降の「ねね」の役割が詳しく記してあります。

今年の大河ドラマ「どうする 家康」に繋がる別アングルです。
大河ドラマを観ている人にはここら辺りがお薦めです。

kindleunlimitedです


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