海のエスキース

日焼けした大きな手の甲 節くれ立った指 
両ひざの上に押さえる乾いた新聞紙
ゆるやかにたたまれた紙の端が時折ぱたぱたとひかえめに海風にはためく
やせ細った木の椅子に もたれるでもなく 姿勢をただすでもなく 
老いた漁師がテラスにひとり
昼寝の眠り 太陽は傾き 変わる風向き 
目覚めのまばたき
あの日見たライオンの夢を今日も見なかった 
昨日の夢も至極雑多
尻尾だけ残して骨だけになったばかでかいカジキを連れて帰ってきた日の夢
ーーベッドなんて今の俺には無用のものさ、また新聞紙敷いて横になりゃいい
空き缶に八分目まで注いだコーヒーは澄んだ黒い鏡のようにしんとしている

崩れた珊瑚礁の道 
後生大事に抱えるほころびた記憶のあらすじ
悲しみは何食わぬ顔で微笑み
「前にお会いしませんでしたか?」いいえ、一度も

サンダルを脱いで砂浜を降りていく 
やわらかな砂が足の指の間に忍びこむ
たわむれにくすぐられるままに昼間の熱をまだ少し宿したそれでも冷めた感触
切るのならもっと短くすればよかったと 
もてあます黒髪(ほんとは強がり)
港町の少女がひとり 
手には瓶の底をくりぬいて作ったボトルシップ まがいもの
終わる前にそもそも始まっていなかった恋とよべるかどうかもいささか怪しい代物の
結末にそれらしいものだけが残された 道具立てにしちゃどうもできすぎてる
ーーこの話を映画に撮ってスタッフロールまでつけたってきっとあたしの名前しか出てこないさ
折よく寄せてきた泡立つ波に少女は瓶を載せる 
できるだけ優しく

不時着したようにうち捨てられて 
カモメたちの足あとがひっかき傷で残って
しょっぱい波と風にさらされて砂まみれの錆びた箱になり果てるのも時間の問題だ
おんぼろの小さな電車がひとつ 
緑と黄色の塗装ははがれ落ちつつ
昔はかぼちゃ電車って呼ばれて子供たちに人気だったんだぜとひとりごつ
街が大嵐でこっぱみじんになった日 
ふっ飛ばされたパンタグラフを追いかけてさまよった
乗せてくれと怒鳴る人々のために線路の上に戻り走るべきだったか、もうわからない
ーー何しろ目は前にしかついていないし、そもそもこれ目じゃなくってライトだからな
夜になれば一両編成の車内に車掌がともしてくれた明かりの代わり
月の光

崩れた珊瑚礁の道 
後生大事に抱えるほころびた記憶のあらすじ
悲しみは何食わぬ顔でまたも微笑み
「前にお会いしませんでしたか?」いいえ、一度も

(2016年9月)

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