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大海のひとしずくでも~言葉が生みだす思いをかたちに 英日翻訳者 玉川千絵子さん

玉川千絵子
英日翻訳者。共訳『ブラック・クランズマン』ロン・ストールワース著(パルコ出版)、共訳『海賊のジレンマ―ユースカルチャーがいかにして新しい資本主義をつくったか』マット・メイソン著(フィルムアート社)。

 
翻訳と私というタイトルで投稿を依頼され、自分がどうしてここに立っているのかを改めて考え直す機会になればと思いお引き受けしました。翻訳者への道はひとそれぞれです。いろいろな道のひとつの例として読んでもらえると幸いです。
 
「知りたい」が原動力
 まだインターネットが発達していない時代に、自然に囲まれた田舎町で育ちました。東京まで電車で1時間くらいなのですが、自宅から最寄り駅までのバスは1日に数本しかありません。
 こんな環境なので、子ども時代はとにかく情報に飢えていました。言葉もあまり知らない小学生のころは、なけなしのお小遣いで本を買い暗記するまで読んだものです。幼稚園の砂場で人生に必要な知恵を学ぶかわりに、それなりの基礎知識を本や漫画から学んだといってもいいでしょう。
 中学に入り英語を学び始めると、英語で読む知らない世界の話に魅力を感じ「英語がわかるようになれば世界が広がる」と強く思うようになりました。高校時代にベルリンの壁が崩壊した様子をテレビで観てドイツのことが知りたくなり、大学はドイツ語学科に入ります。大学時代はドイツの社会的なニュース記事を日本語に翻訳する授業が一番好きでした。そういう意味では、やはり通訳者ではなく翻訳者にむいていたのかもしれません。

「伝えたい」の機動力
 大学を卒業して塾講師をしていた2001年にアメリカの語学学校へ行くために休職し、そのままアメリカの大学で社会学の授業などを聴講しました。9.11事件でアメリカ社会が愛国精神に飲み込まれていく変化を目の当たりにしたことをきっかけに、私の中で世界で起きていることを知りたいという欲求が、世界で起きていることを翻訳を通じてみんなに伝えたいという欲求へと変わっていきました。
 帰国してからは、塾講師をしながら、自分が持つ翻訳のスキルを生かして世界で起きている事を伝えるために、社会問題を扱ったニュース記事を翻訳したりNPOの動画に日本語字幕をつけるようになります。
 2003年にはボランティアスタッフとしてアフリカ映画祭の活動に参加し、パンフレット翻訳や映像の字幕翻訳に携わりました。このときに身につけた字幕翻訳のノウハウを生かして2008年ごろから参加したのが、”音楽で紐解く社会”を合言葉に活動している5th-elementというグループでした。

 誰かの「伝えたい」を実現するために
 意志を持って動いていると、運が舞い込んでくることもあるのかもしれません。アラブの春がきっかけでTwitterアカウントを開設し、スーダンの元子ども兵ミュージシャンの動画に日本語字幕がつけたくてTEDボランティア翻訳者に登録しました。翻訳を通じて誰かの思いを「伝える」活動をしていた2010年、5th-elementで『ヒップホップ~その裏にあるもの』というドキュメンタリーの上映会をしました。その会場に偶然作品を観にきていたのが、私が初めて共訳者として書籍翻訳の仕事をさせてもらった本の編集者でした。字幕翻訳者のクレジットを見て上映会が終わってすぐに連絡をもらい、2012年に出版された1冊目の共訳書が『海賊のジレンマ―ユースカルチャーがいかにして新しい資本主義をつくったか』です。
 その時の共訳者の一人から頼まれて翻訳を手伝い2019年に出版されたのが、2冊目の共訳書『ブラック・クランズマン』でした。スパイクリー監督が手掛けた映画の原作本で、映画の公開を翌年に控えた年末に急に連絡を受けたのですが、1冊目が出版された後も何度か仕事やイベントで一緒になっていることやこの作品の背景についてある程度の知識があったことが依頼のきっかけになっています。SNSなどを通じて私が関心のある誰かの「伝えたい」情報を発信していたからこそ、私という存在を思い出してもらえたということもあるのでしょう。

この先の社会を「楽しめる人」になるために
 世の中には翻訳されるのを待っている作品がたくさんあります。だからこそ翻訳者のみなさんには翻訳を通していろいろな世界を私たちに見せて欲しいと思うのです。私はこれからも翻訳を通じて社会で起きている問題を解決するためのさまざまな活動を伝えたいと考えています。
 みなさんも世界中の人たちが伝えたい思いという大海に翻訳という帆を張って乗り出してみてください。そこには同じような翻訳者たちが大海を漂っていることでしょう。ひとりでは不安になってしまうような荒波でも、みんなの知恵を出し合いしっかりとした羅針盤をつくれば乗り越えて行けるはずです。その先にはきっと新しい出会いやひとりひとりが活躍できる楽しい社会が待っていると私は信じています。

玉川千絵子
英日翻訳者。共訳『ブラック・クランズマン』ロン・ストールワース著(パルコ出版)、共訳『海賊のジレンマ―ユースカルチャーがいかにして新しい資本主義をつくったか』マット・メイソン著(フィルムアート社)。


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