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動物を飼えない話

動物が好きだ。

動物園も水族館も行くし、
家の中にヤモリが入ってきたら
しばらくは幸せに見つめて
そっと外へ出してやったりする。
(※虫は別件)

当然飼いたいなあと思う。
犬を飼って一緒に散歩をしたいし、
猫を飼って眺めたい。
馬が好きだから、田舎の山を買って
ポニーと暮らすのも憧れる。
最近は友人の飼うデグーを見て、
愛おしいなと思う。

だけど私はペットを飼えない。
賃貸の家の都合でも、
金銭的な都合でもない。
アレルギーもない。

だけど飼えない。
飼う責任に、私は耐えられない。

例えば猫を買ってきたとして。
遊び道具や餌、色々含めて結構な金額を払うだろう。
もし。その猫ちゃんが3日後に亡くなったら。
(命ってそういうものなので。)

私は
必ず「尊い3日だった」とだけ
思うことができるのか。

多分できない。
空のゲージ、余ってしまった餌、
作るはずだった思い出と、
それから預金残高をみて
残酷にも勿体なかったって。
考えない約束ができない。

その時私は尊い命よりほかのことを考える。
そういう自分が許せないだろう。
許せないとすら思えないなら、
今の私が、仮の未来の私を許せない。

もし死んだらなんて悪い未来を考えるのは
良くないことだってのも分かる。
不吉、不謹慎。そうかもしれない。
でももしもを考えてあげられもしない相手を
自分の懐に入れようとしてるのなら
そっちの方がよっぽど無責任だと思う。

それから反対に20余年、
その子が私と共に生きてくれたら。
私は20年後、きちんとお金があるかしら。
その猫を最後まで愛せるかしら。

間違っても
「思ったより長生き“しちゃった”」なんて
考えたくない。

私は未来の自分と約束ができない。
意気地無しで、責任感の強い無責任だ。

まあ、自分で言うのもなんだけど、
情け深い方だと思うから
きっと一緒に暮らしたら
毎日あなたのために早く帰れると思うけれど。

それでも責任をもって、
私が先に死なない約束も、
必ず私がお金に困らない約束も
私にはできない。

だから最後まで寄り添える人達に
心から敬意を抱きます。

いつか私も動物と暮らしてみたいな。そんな夢を抱きながら
今日もそっと募金だけをする。
そんな秋の夜長です。

※毎度、画像は関係ないです。

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