少しだけ公私の公のこと
noteにはまったく関係ないことです
何かの例えでもないです
曲解する人は読まないでください
(約800字)
まあ興味がないと思いますが、仕事の話を書きます
ざっくりと。
つぶやき記事でもいいぐらいでしたが、誤解されるのも嫌だから口述筆記みたいな感覚で書きます
嫌なことがありました(仕事ではない)
それとは関係なく、公な部分のノンフィクションです
時系列は度外視して書いてみます
上司と部下の関係性で、違うと思っても「はい」の返事をするように言葉の行き違いで言われました
説明は受け入れられず屁理屈と言われ、ギクシャクした空気感が流れました
経緯はともかく、屁理屈の三文字を使う人と仕事をするのは難しい
仕事仲間が協力して業務を行い、時間外でも超過勤務で頑張っている人がいました
私はひとり暮らしで、誰かが家で待っているわけではない
また、他に仕事を掛け持ちしていたのではないから、残業しても会社の人件費が許せば、残業はむしろ私には有り難かった(手取りが増えるため)
残った仕事仲間は数時間も勤務時間を超過していて、明日の準備が追いつかない状況でした
その仕事を私がこなすことで、残った人たちの仕事を減らすことになります
その人たちの上司が自ら残りの仕事を受け持ってくれたなら、やらなければならない仕事量は半分くらいに減る状況でした
でも、その現場で活躍する筈の人はやらないのです
他人に命令することは楽ですが、他人の仕事をやり易く、早く終わらせるのは大変なことです
皺寄せがきましたが、私がやることに後ろ向きだったわけじゃありません
誰かが頑張っているから、歯車はまわります
それを楽して放棄するひとは有難い存在からはかけ離れます
それでも、事あるごとに感謝は述べなければならない
会社って、
社会って、そういうところです
労働に縁のないひとには分からないかもしれませんが、仕事をすることはSNSで文章を書いているより、ずっと大変です
清濁併せ呑む‥‥なんとなく脳裏によぎった言葉です
大人は、大人の顔をして、誰かに助けてもらいたいことが多いです
おそらく放棄して楽をする人ほど、自分の存在感を理解出来ていません
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