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【書評 氷柱の声】あの震災を語るとき

日本人なら心にぽっかり穴が空いたような喪失感がある3.11
東日本大震災の津波被害。

著者は、この本を安易に震災への同情に結びつけることは望まないだろう。
主人公が渾身の力で描いた絵画が、時期を逸したために評価されなかったことを思うように。

「被災地の方々はどんなにつらい思いをしただろう」
紋切り型で評論され、一方的に同情される。
被災地に住んでいた。家族や関係者がいた。
日常の全てが被害と結びつけられ美化される。
それが許せないのもわかる。

しかし、あのとき被災地にいた人でさえ、
「私より大変な人がいる。」
「私なんかがあの震災を語る資格はない。」

そんな思いにさいなまれながら、長い年月を共存していく人々がいる。
この本の著者だけではなく、少なからずいるそうだ。
本の取材の中でも明らかにされた。

被災直後でも、秩序正しく列に並ぶ姿や、私は大丈夫だからと救助隊に他に行ってくれるように懇願する姿が報道された。
日本人の美徳とかではなく、自然と湧き出る感情。
他者への思いやりなんて安っぽいものではない。
それは、消化しきれない思いだったのかもしれない。

だからと言って、同情して欲しいわけでもなく、寄り添って欲しいわけでもない。むしろそっとしておいてほしいという思いだろう。
あれからこんなに時が流れても、なかなか変わらないのかもしれない。

全てを震災に結びつけることを拒絶しながらも、無意識にもその呪縛から逃れることができない。
そんな主人公も(著者と重なるのだが)あるきっかけで、ようやく一心に絵をかくことができたのだ。学生で被災前のあの頃のように、心の中に青い炎が燃える。

いつになるか、誰にも分からない。
でも、とりどりの氷柱が溶け始め、桜が散り始める頃、ようやく雪解けの春がきたのだ。
だれのもとにも、足どりはゆっくりと、そしてひそかに。

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