(思考の整理)「王子保」について
――「古代には、河野や敦賀の海と武生の国府を最短コースで結び、塩を運んだといわれる「塩の道」があった」(…)「往古は王子保、元暦2年(1185年)より大塩保と号す」と記される。(王子保の歴史|おうしおFUN!)
▶ちなみに所謂塩地名において塩の運搬ルートを考える必要はない(後述)
「王」≠「大」
▶歴史的仮名遣いにおいて王は「わう」、「大」は「おほ」と記される。
▶王子保は「わうしほ」、大塩は「おほしほ」である。厳密には両者は表記が違う。
▶つまり「大塩(おほしほ)」がどこかのタイミングで音の似ている「王子保(わうじほ)」の漢字に入れ替わった。つまり「王子保」の由来は直接に「塩」ではない。
「大塩保」「オホシホ」の地名由来
▶「シホ」地名は「しぼんだ沢」を示す。
▶王子保地区の大塩町はまさにこの特徴を捉えている。
▶おそらく原義はこの「しぼんだ(ような)沢の地形」だろう。
▶また「保」は11世紀後半以降出現する国衙領(*各国国府所轄地)内の行政区画で、主に在家領主による開発・支配を受けた。設置は国司専決事項。
▶駅名に残っている例としては同じく北陸地方の七尾線「笠師保」がある。
「王子保」と”王子信仰”
▶王子信仰の流行にあやかって、大塩と呼ばれていた地域に音の似ている「王子」の字を当てはめたとするアイデアは興味深い。
▶王子信仰は「神が高貴な幼児の姿で顕現する」という信仰で中世に流行した。熊野権現(熊野三山)に付随する例が多いほか、牛頭天王の眷属神である8人の王子(八王子)も同じく山岳信仰である山王信仰と結びついた。また八幡信仰における若宮とも共通点がある。
▶王子保地区には「大塩八幡宮」がある。祭神は帯中日子天皇*¹ 品陀和気天皇*² ほか18柱。
*¹ 仲哀天皇 *² 応神天皇,八幡大神
▶また”王子”は熊野権現の遥拝所という性格を持つ。
▶越前国脇本荘(南仲条郡)は熊野神社の神領だったことが分かっている。
▶王子神社(東京都北区)に由来する王子しぐれさんともつながりがあるのかもしれない。
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