風浦遙(秩父橋架道橋)

X(旧Twitter)で路線図に関するイラストを描いています。

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最近の記事

(備忘録)”藤村式建築”について

藤村式建築とは ▶官選初代山梨県令(赴任時は権令)・藤村紫朗*¹によって奨励された一連の擬洋風建築である。 ▶特徴としては、左右対称の2階建て、中央の入口、バルコニー、塔楼(太鼓楼)。「インク壺」と呼称されることもある。 ▶藤村の任期は1873年(明治6)から1887年(明治20)。その間山梨県下には数多くの擬洋風建築が誕生した。 1884(明治7) 梁木学校・琢美学校[小宮山弥太郎] 1885(明治8) 津金学校[小宮山]        日川学校・睦沢学校[松木輝殷]

    • (思考の整理)「王子保」について

      ――「古代には、河野や敦賀の海と武生の国府を最短コースで結び、塩を運んだといわれる「塩の道」があった」(…)「往古は王子保、元暦2年(1185年)より大塩保と号す」と記される。(王子保の歴史|おうしおFUN!) ▶ちなみに所謂塩地名において塩の運搬ルートを考える必要はない(後述) 「王」≠「大」 ▶歴史的仮名遣いにおいて王は「わう」、「大」は「おほ」と記される。 ▶王子保は「わうしほ」、大塩は「おほしほ」である。厳密には両者は表記が違う。 ▶つまり「大塩(おほしほ)」がど

      • 〔鶴見線探訪〕赤い橋のプリンセスは〔弁天橋駅〕

        弁天橋駅の謎 ▶鶴見線の弁天橋駅は、かつて付近が漁村だった時代に祀られていた弁天社の池に架かっていた赤い橋に由来するという。 「弁天橋」について ▶弁天(弁財天・弁才天)はインド神話から仏教に取り入れられた女神。七福神の紅一点で音楽(芸能)・財福・知恵の徳があるとされる。 ▶三弁天として芸州宮島、江州竹生島、相州江の島がある。 ▶日本では宗像三女神の次女・市杵島姫(厳島社)と習合し、水の神として祀られることが多く、そこには池(及び橋)が作られることになる。 ▶寺社におけ

        • (備忘録)洲ノ埼燈臺

          洲埼灯台の概要 位 置 北緯34度58分31秒 東経139度45分27秒    (千葉県館山市洲崎字大塚1043) 初点灯 1919年(大正8)12月15日 光り方 単閃白赤互光(30秒ごとに白1、赤1) 東京湾と太平洋の境界をなす ▶洲埼灯台と剱埼灯台(神奈川県三浦市)とを結ぶ線は東京湾の境界線と定義されている。 本灯台の建設の理由 ▶不明であるとのこと。 ▶洲埼灯台付近の海域は航海の難所であり、特に南方の平砂浦海岸への誤進入による座礁事故が相次いでいたという。

        (備忘録)”藤村式建築”について

          クソお題箱お焚き上げ祭2

          もうこんなことはしたくないんだ…俺だって… お題箱とは? これ。匿名でお題を送ることができるwebサービスです。 「お題」。ここ重要ですからね お題とは? ▶絵などの芸術作品の中心内容として扱われている事柄。主題。テーマ。 リクエストをするな 丸出し これに関しては、俺が普段書いている絵も悪い。すみませんでした。 勝田ミキ 描きます。勝田ミキ。一冊の本にします。必ず。すみませんでした

          クソお題箱お焚き上げ祭2

          〔鶴見線探訪〕潮風に消える国

          工業地帯に満鉄の面影を探して JR鶴見線・昭和駅附近に小さな廃線跡がある。 ▶浜川崎方面から扇橋で運河を渡ってくると、昭和駅手前のカーブ付近で一つの線路が東洋埠頭方面へ分岐している。「東洋埠頭専用線」である。 ▶2011年、最後に残った東亜燃料の工場が閉鎖となり廃止された。 ▶貨物輸送が減少して久しい鶴見線において今やこの手の廃線は枚挙にいとまがない。ただし、この引込線については1つだけ特筆すべき点がある。 ▶敷設したのが南満洲鉄道。あの「満鉄」であるということだ。

          〔鶴見線探訪〕潮風に消える国

          #8 高千穂線・高森線

          高千穂線・高森線とは ●高千穂線 鉄道敷設法(大正11年)別表百十九: 熊本県高森より宮崎県三田井*を経て延岡に至る鉄道 *現在の高千穂附近 ●高森線(宮地支線) 鉄道敷設法(明治25年): 熊本県下熊本より大分県下大分に至る鉄道* *のちに政府予算承認の不要な軽便線として着工したため削除 高千穂線について 高千穂線のルートはほぼ「高千穂往還」に沿っている。古くからの肥後国への道のりであった。 高千穂往還の主な経過地は以下の通りである。 日向国延岡城下・板田橋~南方~細

          #8 高千穂線・高森線

          #7 樽見鉄道

          鉄道敷設法上の位置づけ 「鉄道敷設法を定む」―大正11年3月 別表七十四 岐阜県大垣より福井県大野を経て石川県金沢に至る鉄道 本線路ハ北陸線金沢地方と東海道線大垣、岐阜、名古屋方面との捷径を構成する延長百三哩の横断線にして、延びては伏木、七尾両港と私設養老鉄道を介して四日市港との連絡を図るのみならず、沿線は木材、薪炭、陶器、鉱石、瓦、石材、石灰及び羽二重、生糸等の産出夥しく、又金沢福井等より産する羽二重、奉書紙、生糸の原料を美濃、尾張地方に仰ぎ、米、麦、その他雑穀を美濃方

          #5 塩江温泉鉄道

          塩江温泉鉄道は、かつて香川郡仏生山町の仏生山駅から塩江村(ともに高松市)の塩江温泉までを結んでいた路線。琴平電鉄(高松琴平電気鉄道の前身のひとつ)の系列で、塩江温泉*へのアクセス及び観光開発を担った。 *塩江温泉:741年行基により開湯と伝わる。琴平電鉄による観光開発により讃岐の宝塚と呼ばれたが戦争をはさみ一時衰退した。 *歴史ある温泉はだいたい行基か空海が開湯したことになっており、この二人が出てきたらまず信憑性はない。「歴史ある温泉ですよ」という決まり文句のようなもの。

          #4 万葉線

          万葉線は軌道線である高岡軌道線(高岡駅前~六渡寺)と鉄道線である新湊港線(六渡寺~越ノ潟)からなることが知られている。以前は加越能鉄道といった。 富山地方鉄道による軌道線部分の開業は1948年(昭和23年)。2023年の宇都宮ライトレールまで、本邦で最後*に開業した路面電車(軌道線)として知られていた。 *路面電車を敷設した新規の事業体としては川崎市(1944)が最後だった 高岡軌道線はなぜ敷設されたのか 伏木・新湊地区への軍需輸送のためである。 敷設免許について

          #3 富士山麓電気鉄道(富士急行)

          中央本線大月駅から富士山駅(旧:富士吉田)を経て河口湖まで結ぶ路線が富士山麓電気鉄道・富士急行線(旧:富士急行)。 御存知の通り、河口湖駅までの道中、電車は富士山駅にて進行方向が変わる。いわゆるスイッチバックをおこなう路線である。この折返しで路線名が変わる(大月線と河口湖線)が、特に案内はされない。 富士山駅でスイッチバックのわけ上記記事では、富士山(富士吉田)から先にはかつて籠坂峠方面・御殿場まで鉄道が伸びており(都留馬車鉄道+御殿場馬車鉄道)、この富士吉田-御殿場間の鉄

          #3 富士山麓電気鉄道(富士急行)

          (備忘録)甲州廻米置場石碑について

          静岡県にある、山梨県有地静岡県静岡市清水区港町一丁目1番地に山梨県の県有地*がある。 実際の該当箇所は石碑が建っている場所ではなく、県道75号線を挟んで向かい側の画地である。 *「県有地」であり、土地の所有者が山梨県という法人(地方公共団体)であるということ。山梨県の飛び地ではない。念のため。 碑文の全文 設置者は清水市(当時)。静岡県HPによれば鈴木与平氏*の肝いりで設置されたという。 *現・鈴与グループ創業者 甲州廻米置場とは 江戸期、富士川を通して甲斐国から江

          (備忘録)甲州廻米置場石碑について

          (備忘録)福島臨海鉄道の石碑について

          街歩き中にみつけた、謎の石碑福島臨海鉄道を探索中、気になる石碑を見つけたので備忘録としてまとめます。駅跡にあることから設立記念碑かと思いましたが、違うようです。 大正四年拾月建之 馬頭観世音碑 東商会軌道部 碑文の全文は上記サイトで確認できます。 馬頭観世音とは 馬頭観音碑は、馬匹の健康を願い、また落命した馬の供養のために建立される碑塔である。江戸期以降、交通の安全を願う神仏として街道沿いにも建てられた。 一般的に牛馬を多く用いた農村、交通の難所、競馬場、軍馬に関係す

          (備忘録)福島臨海鉄道の石碑について

          クソお題箱お焚き上げ祭

          お題箱。匿名で絵のお題を送信できるサービスです。 これね。 ありがたいことにたまにポストが入っているのですが、遅筆なので結構溜めてしまっています。すみません。 俺はskebはやらないんですが(前にやってたときに全然(全然)依頼が来なかったので)、お題箱はたまにネタ切れの際に参考にしたりします。ただ、 変なお題を送ってこないで 無料で匿名ということもあるのか、定期的に変なお題が送られてくることがあります。それらをここに一部ご紹介します。 そいつを知らない 鉄道むすめを

          クソお題箱お焚き上げ祭

          #2 筑摩鉄道

          ・なぜ「3度目の正直」となったか。1920年(大正9年)3月25日、長野県東筑摩郡新村に筑摩鉄道が設立、1921年に松本-新村間鉄道営業を開始。現在のアルピコ交通上高地線である。 筑摩鉄道初代社長は、地元の有志、上條信。1914年に電気事業を開始した「東筑電気会社」の社長でもあった。このことから、筑摩鉄道は当初「蒸気動力」として免許をうけたものの、開業時から電化を果たしている。 この筑摩鉄道の設立までの間、上條信ら発起人は2度、軽便鉄道法下による敷設申請を却下されている。

          #1 上信電気鉄道

          1897年(明治30年)、中山道姫街道(下仁田道)に沿う軽便鉄道として高崎-下仁田間を開業した上野鉄道は、1921年(大正10年)「上信電気鉄道」に改称し、官鉄と連絡運輸を開始。その後、合併が頓挫したことの補償として高崎水力電気から室田発電所を譲渡されると、官有鉄道への直通と高速化を企図し1924年(大正13年)に全線電化と改軌が完了ました。 ところで、「上信電気鉄道」の名称の由来ですが、巷には次のような話が流布しています。 上野鉄道は全線電化と、線路を官営鉄道と同じ軌間