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2人目問題の奥底にあったもの、それは

昨年、34歳の誕生日を迎えた途端に変わったことがありました。母の「サンジューゴまでには2人目産みや」が「ヨンジューまでには……」に引き上げられたのです。「更新を希望しますか?」の確認ハガキとか来てなかったのだけど、自動更新機能付きだったんですね。あと5年、抑揚のない「うん、そうやねー」を返し続けるのか、はたまた、途中でオギャーと産み落とすのか。

受験勉強でいえば、志望校選びはおろか進学するかしないかも「どうしよっかなー」とか言ってるくらいのモラトリアム状態です。べつに「わたし、産まないので!」と宣言する確固とした意思も持ち合わせていません。泉から現れた女神に「いますぐ身ごもる? それとも、一生産まない?」と訊かれたら「み、み、身ごもりまぁす!」と答えるくらいの消極性がたゆたっているだけで。(身ごもります言うて身ごもれたら世話ないけども、気概として)

ほんなら、はよせぇや! と思いますよね。ですよね。

わたしは、何をそんなに尻込みしているんでしょうか。

夫が朕で国家してて、家事育児の人手不足が必至なこと? 仕事が、キャリアが、五里霧中なこと? あります。あるある。もちろんあります。でも、それらは覗けばするそこに見える耳垢のようなもので、耳かきを丁寧に入れた奥には、大きな大きな塊が、ごそっとひっそりと、身をひそめていました。

家の、混沌。

「いつでも人を招ける家にする」。去年のわたしの叶えたいことでした。そして、「いつでも」はムリだけど「今日言って明日には」招けるところまでは到達しました。モノの居場所を整えて、掃除リストをつくって。でも、それって「人に見られるところ」に限ったハナシなんですよね。玄関・廊下・水回り・台所・リビングダイニング。3階建ての我が家でいえば1~2階のエリア。各階のクローゼットや3階にある寝室+2部屋は、人目に触れないのをいいことに野放しです。ごっちゃごちゃ。整然? 何それおいしいの?

家族が増えるということはそのひと一人分の荷物が増えるということで。加えて、わたしが出産で入院したりすれば、ひよこの面倒をみてもらうのに、父やら母やら夫のご両親がクローゼットを開けたり3階に足を踏み入れる場面もありましょう。いやあぁぁぁぁぁーーーーー! 想像しただけで身もだえします。ダメ、耐えられない。

そして、混沌さは、ハード面(モノ)だけじゃなくて、ソフト面(家計)にも広がっていて。月々の収支に貯蓄に保険、どんぶり勘定はなはだしく。ひよこの育休のときに一度リセットしたものの、仕事復帰とともに次第に疎かになり、ダイエットと同じで、明日から~♪ 明日から~♪♪ と早3年が経っています。

混沌からの、脱出。

わたしが面倒くさいなぁと敬遠していたのは、「2人目問題」のカオをして、実のところコレなのでした。幸せって、余裕って、気にしないでいられるものがどれだけあるか、だと思うんです。だから、しがらみは1つでも少ない方がいい。脱出、しよう。

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