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2度目の人生:ラスト30


はじめに

ラスト30とは人生100年時代の最後の30年間のことです。
ラスト30は人類の創造力で実現した新事態です。従来の人生とは全く異なる人生ですからそれまでの常識が通用しません。2度目の人生は最初の人生の延長では無く2度目の誕生と考えて、新たな決意のもとに生きて行かねばなりません。日本人は世界で初めて2度目の人生を生きるのです。

ラスト30の一番の違いは何でしょうか。それは心身の機能が一様に低減するプロセスだと言うことです。もちろん、多少の上下変動はあるでしょうが、一様低減しゼロに収斂するのです。グライダーを想像して見てください。エンジンが有りませんから局部の上昇気流を利用して高度を稼ぎより遠くまで飛ぶように努めます。しかし必ず地に落ちます。

ラスト30では、歩行期と非歩行期と2つの位相があります。前者は健康を維持できますが、後者では自力で生きることは難しく大なり小なり介護が必要です。しかし両者に共通する必須条件は強い「生きる意志」です。「生きる意志」は「生きる意味」がないと生まれません。「人生の意味」を悟って初めて「生きる意志」が生まれ、日々の規律正しい生活と健康増進に精進できるのです。

健康が有れば、生きる意味や意志が生まれる訳では有りません。「生きる意味→生きる意志→健康増進に精進」というルールは不変です。

現在、老年期の健康保険費用を引き下げるべく健康の議論が盛んですが、老年の生きる意味、生きる意志について語られることは稀です。恐らく、健康論議なら若い人たちが最新情報をもとにできるでしょうが、生きる意味とか、生きる意志とかになると情報が限られ本格化しないのではと考えています。

2度目の人生を生きるには「ラスト30をどう生きるか」と言う議論を盛んにすることが欠かせません。本論はここに焦点を当てて具体的にどう対処すべきかを考えます。


時流に遅れない



世の中の移り変わりは絶えず注意していないと時代遅れになります。時流に遅れると若者との対話が難しくなり、孤立します。DXとは何か、SDGsとは何か、LBGTはなぜ議論になっているか、少子化はどうすべきなのかなど目配りが要ります。

現役時代では、このようなことは誰でも実践していたことですが、引退と共に仕事からの開放感からか楽しみを追う快楽路線に浸り、時流から目を離す人も見受けられます。

「時流に遅れない」とは、生活スタイルの変化に遅れないと言うことでもあります。現代では、とても礼節を大切にし、身だしなみに気配りし、相手をリスペクトすることが求められます。これを疎んじると、だから年寄りは嫌なんだと仲間はずれにされます。

また、ことわざに言う「老いては子に従え」とは、老いと言う自然の摂理を受け入れつつ、しなやかに生きるのだよを教えています。これも時流に遅れない心得の一つです。


自分の身体と向き合う


ラスト30では、自分の身体を正面から見据える必要があります。まずは。扶養家族が37兆いることを認識することです。足の指先から頭のテッペンまでビッシリ扶養家族で埋まっています。これらの家族の1人1人に、毎日酸素と栄養を届け老廃物を回収しなければならないのです。

これまでの上り坂ではこんな事は思いも寄らない事ですが、下り坂ではそのことを思い知らされます。
古希を過ぎると大なり小なり重病を経験するでしょう。従来はそれで人生は終わりでしたが、今日では終われません。誰もがこのグライダー人生を始めるのです。

二足歩行の人体にはシステム上の重大な欠陥があります。両脚には心臓から送られてきた血流を再び心臓に送り返す器官が無いことです。両脚の筋肉が代替するとは言え、食べもの獲得は今や買物でしか無く、走り回らなくても生きて行ける時代です。筋肉の代替はよりいっそう難しくなりました。

ある意味では、今日の介護、認知症問題は現代生活の必然の帰結とも言えるでしょう。

さらに、硬い食べものを自分の歯で噛むことも避けられ、食事による脳の定期的な刺激が減少していますから、認知症のリスクが高まるのも当然かもしれません。この点については別途議論します。

このため、上り坂の人でも毎日ウオーキング、ジョギングに精進されているのです。ましてラスト30では両脚の血流維持に対する認識をより一層高める必要があります。

自分の身体と向きあう一例を挙げてみましょう。

①両脚にアサゴハン;ジョギング2キロ
②両脚にバンゴハン;ウオーキング2キロ
③朝晩、脳にお経のヨミキカセ《気柱振動読誦法》

両脚は、栄養と酸素が送られてくるか、老廃物を回収して貰えるかつねに心配していますから、このような定期、定時のサービスを快く感じるはずです。


菩提《ぼだい》を定める


ラスト30は、体力が年々衰えていく、長く辛いプロセスです。これは正にブディズムで言う「苦」に他なりません。この「苦」を生き抜く良い方法があります。それが悟りを目指す「菩提を定める」と言うことです。菩提心を起こすとも言います。

生きる目標が定まると、人間は耐え忍ぶことも精進することもできます。ブッダは2500年前にこの人間の特性を見抜き、正しい生き方として八聖道を広めました。大乗でも六波羅蜜と呼ばれ、多くの国々で愛用され活用された検証済みの生き方です。

今日、100歳まで続けられる仕事があるとか、長年の趣味があるとかが論じられ、その事例がよく報道されます。いずれも世のため、人のためになる素晴らしい生き方です。しかし、どれほどの人がこのような幸運に恵まれるでしょうか。ほとんどの人はそれを探し求めているのではと考えます。

「親には楽をしてもらいたい」とか「呑気で楽がいい」と言いますが、快楽は「苦」を癒すわけでは無いのです。




ラスト30の道標《みちしるべ》



ラスト30は菩提を定めたとしてもとても長い道のりです。もし道標があれば、自分が今どの辺にいるのか知ることができ、新たな勇気を与えてくれるのではないでしょうか。

下図に、「ラスト30の道標」の私案を示しました。菩提心を起こして忍辱《にんにく》精進し、悟りを開いてブッダ《仏》となるまでを示しています。

30年を賀寿に従い3つに分け、一合目〜10合目まで、それぞれの「境地」を特徴づける言葉を引き当ててみました。

参考にしていただければ幸いです。

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介護・認知症を乗り越える


介護・認知症を怖れて、長生きして愛する家族に迷惑を掛けるので長生きしたくないと考える老年が多くなっています。生きる意味を見失っているのではないでしょうか。

生きる意味を失った国家・社会は失速します。わが国はその一例と考えられ、それが急速な人口減少に現れています。

ともあれ、現在の日本は高度に発達した民主国家で民主主義の理想はほぼ達成されています。どうして、失速したのでしょうか。介護・認知症の前にしてどう生きるべきか戸惑い、生きる意味を見失っているのではないかと推察します。

もともと日本人の心の奥底には、ブディズムの浄土門があると思います。鎌倉時代に自力の聖道門を捨てて、絶対他力を究めた浄土門の一派がそれです。

しかし今日、摂取不捨という絶対他力の理想は社会保障の充実によりほぼ実現され、人々は絶対他力を頼る必要がなくなり、「生きることの意義」を軽く考えるようになりました。このためか、浄土門はかっての輝きを無くしています。

前節に述べている「ラスト30の道標」は、このような時代認識をもとに、かっては主流であった自力の聖道門にスポットライトを当てようとする試みです。その根拠として、最近の若者が群れることなく、独立独歩の姿勢であることを挙げましょう。このような生き方は聖道門の菩薩たちの生き方と重なります。

介護・認知症を乗り越えるために菩薩の生き方が役に立つと分かれば、我が国はどこよりも深く、具体的で正確な方策が建てられるでしょう。なにしろ台密、東密の豊富な密教の蓄積があり、また禅宗の拠点でもありますから。


おわりに


「2度目の人生:ラスト30」を生きることは人類最初の経験です。そう簡単に解決策が得られるとは考えらません。老年の智慧と経験をもとに議論し合って、初めて新しい生き方が生まれるだろうと考えています。この論考はそのための叩き台です。老年の活発な発信を期待しています。

ここまでお読みいただき有難うございました。









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