見出し画像

愛猫とのお別れ〜生きること自体が誇り高い

先日、私の相棒が旅立った。

幼猫の時から私が大事に育てた猫。捨て猫だったため、正確な年齢はわからないけれど、20年と半年ほど生きたと思う。

私と彼(オス猫だった)の「ふたり暮らし」はエキサイティングで、ドライで、しかし相思相愛だったと思う。

どうやら神経質な性格の彼は、膝の上には乗らないし、ふとんに潜り込んでくることもない。でも毎日見送り、帰宅時に出迎えては甘える。私が熱を出すと、じっと枕元で心配そうに私のことを見てくれた。

気づくとそばにいてくれる。
私の中では相棒のような存在だった。

数年のふたり暮らしを経て、シニア猫の年齢になった頃、年齢や私の出張が増えたなどの理由から、猫を実家暮らしさせることになった。

実家暮らしになっても変わらず、私への見送りと出迎えをしてくれた。

***


3〜4年ほど前から、足腰が弱っている様子が見て取れた。
それでも日課の「パトロール」(家中をぐるっと見て回る)は欠かすことがなかった。

このころから私の中で「心の準備」をしなくては、と思うようになった。

一緒にいる時間を大切にする。

そして、最期にかけるべき言葉を探すようになった。

次第に足腰だけではなく、徐々に耳が遠くなり、食べているのに痩せていく。ガラス玉のような目は曇り、ほとんど見えていないようだった。


***

ある日、実家から「猫の食欲がない」と連絡があった。たまたま3日間、仕事の都合がついたので帰省した。結局それが最期の3日間になった。

つい10日前に会ったときはまだ元気だったのに。声をかけても、いつものように起きない。うとうとと、「境目」にいるようだった。

それでも、目が覚めると、ほとんど動かなくなった足をなんとか動かして「パトロールに行く」という。

自分一人ではもう立てない。
それなのに、体を支えると、足を出すのだ。
まっすぐ出ない足を、よろけながらも、前へ、前へ。

猫には死の概念がないという。
死への恐怖や不安がない分、どんな状況でもシンプルにひたむきに生きているように見えた。

「生きる」ことはこんなにも誇らしいことだと見せつけられた。

何があってもそれでも生きる。
何かに誇りを持って生きるのではなく、「生きること自体が誇り高いことだ」と全身で言っているようだった。

ずっと、猫の最期には「今日まで本当にがんばったね、エラかったね」と言おうと思っていた。

でも、そうじゃない。エラかったね、なんて上からの言葉はふさわしくない。私が励まされて、気付かされたんだ。


***


3日間、私たちは一緒にゆったりと過ごした。年齢と体の負担を考えて、延命治療はしなかった。ぽかぽかと日光浴をして、私の膝やお腹の上で暖を取らせた。

不思議と満ち足りた気持ちだった。猫は何度も私の顔を見上げた。私も何度も話しかけた。

そして3日目の夜、私が帰路についた後、猫は静かに旅立った。

生きていること。生きていたこと。そのこと自体が素晴らしいこと。始まりも終わりも、長さも関係ない。

結局、最期の3日間、私がなんども伝えたのは感謝の言葉だった。
 あなたは私の宝物。本当に誇らしく思う。
 一緒にいられてとても幸せ。ありがとう。

猫は旅立ってしまったが、私が忘れない限り、存在は永遠だ。
本当にありがとう。

元気なひまわりみたいな私の相棒へ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?