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24|コンポストトイレに決めた

大野からの帰り道、道の駅で山葵とコシアブラを買った。四方を山に囲まれた、山オブ山。しんとした清廉な、みずみずしい空気。

自然の景観も人がつくる景観も山のもので、こんなにはっきり違うんだっておもしろいくらいに、富山と家が違う。

勾配の低い屋根は、雪を落とさない発想かな。玄関が部屋のラインよりも奥まっていて、玄関前にぽっかり風除室のような空間がある。しっかり梁が渡してあって、ぐうんと曲がった木そのままで格好いい。そこで雪を落としてから家に入るんだろう。雪が深いんだ。

車で走っている間、ずっと川の気配があった。というのも、だいたい山の道は、川に沿ってつくられている。

ぴーん。しーん。さああああ。みずみず。やまやま。ところどころ目につく桜。桜前線は一様に北上していくのではなく、山のほうはゆっくりとのぼっていく。

山の侵さざる空気感、神様の気配、大仰なものではなくて、ただぴりっとしたものがあたりに溢れている。満ちている。張り詰めている。

山は山だなあと思いながら、雨の高速を北上して帰った。帰りは私が運転した。

岐阜から富山に抜ける高速には、10kmくらい続くトンネルがいくつもあって、対面通行なのが最高にしんどい。ただでさえ、高速道路はいつも、生きて帰るぞ、と念じながら車の中にいるのが、対面通行だとさらに、後続車に抜かしてもらえないのがプレッシャーになるし、対向車線を分けているオレンジ色の杭にぶつかりそうなのが怖い。対向車のライトも怖い。トンネルは距離感が掴みにくい。なんだか浮いていくような…とにかく怖くて疲れる。

対面通行のトンネルに耐えられず、運転を代わってもらう。車は自分で運転しているとあまり景色を楽しめないから、助手席の方が楽しい。やっとトンネルを抜けると、富山の平野がひらけてきた。

水が張られた、田植えを待つ田んぼ。雨はもう止んでいて、田んぼに夕方の空が映る。あたりいちめんに、空を映す水の鏡…

空間全体が現代美術、ランドアートみたいだった。もしくはウユニ塩湖とか。人が作品としてつくる空間体験、ないし一度は行きたい世界の絶景が、作品としてつくるには難しい規模で、景色の全てがそれになっている。

そこにさらに、人が住んでいるのだから凄い。水鏡のなかに、ぽつぽつと黒瓦と漆喰の家、くろぐろとした屋敷林。

富山の人は「なにもない」とよくいうけれど、いやいや、みんなこういうスペクタクルをつくりたかったり、体験したくて出掛けていくのに、そこに住んでるって、めちゃくちゃ「ある」と思う。ありすぎているから、感じないのかもしれない。美しいものしかなければ、美しいと感じないのか。


翌日はコンポストトイレの見学のために能登島に行った。「コンポストトイレ」で検索すると上位に出てくるモーリーさんが、どうやら1年くらい前に能登島に移住している様子。近い。webサイトから連絡すると、こころよく受け入れてくれた。

さっそくトイレを見せてもらう。山小屋のトイレの匂いがする。色々な理由から、におっている状態とのこと。それでこの匂いなら、いける。私以上に、夫が「全然大丈夫。おばあちゃんちのトイレの匂い。懐かしいくらい」というので、うむ、コンポストトイレでいけると、夫婦の覚悟が決まった。ついに決めた。トイレはコンポストトイレでいきます。

そのあと庭で、モーリーさんが開発中の、肥溜めから発生するメタンガスでお湯を沸かす装置をみせてもらった。大小分離せずタンクの中に屎尿を貯めると、嫌気発酵でメタンガスが発生して、料理までは難しいが、お湯くらいなら沸かせるらしい。

なんともいい。ユーモラスでチャーミング。いずれ、まず住むための家が完成して落ち着いたら、どこかに教育目的で、その装置を設置できたらいいな。

うんちでお湯が沸くなんて、子供がすごく喜びそう。うんちをバカにする子には、そんなことないんだよと、良い角度から伝えられる気がする。


昨日からの二日間の旅のおかげで、夫にもコンポストトイレや、そのほか合併処理浄化槽以外の選択肢の意義が飲み込めてきたようだった。

いわく、「循環に参加したい」とのこと。おぉ。

あとは、生活排水をどうするかである。コンポストトイレでいくなら、生活排水処理は毛管浸潤トレンチだ。いよいよ毛管浸潤トレンチが使えるかどうか、土壌浸透調査をする。


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