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私は鈴木京香さんが好きだった

最近、懐かしいドラマをいくつか見返している中で知ったが、20年前の私は鈴木京香さんが好きだったらしい。

自分のことなのになんだか可笑しい。
まるで記憶喪失か、あるいは別人のことを話すようである。
「好きだった」ことに気が付くことがあるのかと、ちょっと面白くなってしまった。

確かにそう、きらきらひかるは大好きだった。
鈴木京香演じる杉祐里子は憧れだった。あれは反則だ。あんな格好良い大人になりたいと思っていた。
そこまではよく覚えている。
だけど、杉祐里子の先に鈴木京香を見て、そのうえ好きだったのか。我ながらちょっと意外である。

きっかけはWikipediaだった。
きらきらひかるを見返すなかで、なんとなく、Wikiでこのドラマと、ついでに女優陣の各ページを漁っていた。要するにただの暇つぶしである。
人物、現在、出演作品。その時に気が付いた、一時期の鈴木京香の出演映画を、他の3人と比較しても明らかにたくさん見ているのである。

私の世代はデジタルネイティブではないけれど、インターネットの成長と歩みを同じくしてきた。
インターネット老人会で揶揄される、自作HP、携帯HPやブログの世代である。
今もネットの海に当時のHPやブログが転がっている。
幸か不幸か、実家の押し入れをひっくり返さなくても、24時間場所を選ばず黒歴史をいつでも探し出すことができる。
だが、自分の記憶を外部化し検索できるのは、ある意味、こういう時には便利である。
思わず検索をかけた。
出るわ出るわ、鈴木京香さんのお名前が。
ドラマを見た、映画が楽しみ。ビデオを借りてきた。そんな記述はもちろんのこと、日本アカデミー賞の司会が京香さんで嬉しいとテンションを上げる我。まったく記憶にない。
極め付けは「東京国際映画祭に行った」である。
衝撃。まさか、彼女を一目拝みたくて六本木まで行っているとは。
我ながらの鈴木京香推しに驚いてしまった。
我よ、そんなに好きだったのか。
あの頃の私、君は単なる杉祐里子のキャラヲタクではなかったのかい。

いったいこれだけの「大好き」という気持ちが、今までどこに眠っていたのだろう。
だいたい、他の「好き」は覚えているのである。
深津絵里にしても、松雪泰子にしても、上野樹里にしても。買った雑誌、借りたビデオ、好きだったあの頃の気持ち。
なぜ。なぜ鈴木京香だけここまで「スコーン」と気持ちよく抜け落ちているのか。

あまりに不思議で頭を悩ます。こんなことってあるのか。
その中で、ひとつの仮説に思い至った。
おそらく、私はひどく拗らせた「好き」という気持ちを抱いていたのだ。
そしてそれは、鈴木京香さんの魅力と切っても切り離せないものだったのではないだろうか、と。

京香さんは当時も今もとても綺麗な女優さんである。女性から見ても、綺麗で品があると思う女優さんだ。
それと同時に、彼女は男性から見て良い女だなと思われる女優さんでもあると思う。
ある種の高潔さ、品の良さと、その真逆とも言える女性としての色気が同居した、だからこそ魅力的な女優さんだと思う。

当時、私は前者の京香さんが好きだった。杉祐里子なんて最たるものである。
ただ、一方で、この時期の鈴木京香は、格好良い役から耽美な役まで振り幅が大きい。
そのような中で、子供だった私は後者をどのように受け止めたら良いか、分からなかったのだ。

当時の私は、勉強し偏差値の高い大学へ入ることこそが正義だった女である。なにより家でドラマを見ることが楽しみだった人間である。
男性と同じ物差しで測られる中、そこで評価されたいと当然のように願っていた。それこそが価値だと信じていた。
女としての幸せ? なにそれ美味しいの? である。
心のどこかでは、女性として恋愛もオシャレも求められていると理解しているが、どうしたら良いのか分からなかった。
「普通の女子」に適応できない。「男性から見られる自分」を作れない。そのことに一種の劣等感を抱いていた。自分の女性性をどう扱っていいか、手に余らせていたあの頃。

鈴木京香のアンビバレントな魅力は、私にとってこんな綺麗な女性になりたいという憧れでありながら、自分には絶対に存在しない、自分が一番劣等感を抱き、忌避していた女性性そのものだったのだろう。

大人になり結婚して、今はそうした拗らせた気持ちとも決着を付けたが、その過程で鈴木京香さんへの想いにも「私は杉祐里子のキャラヲタですよ」と無意識に自分へ言い聞かせ、ケリを付けてしまったのかもしれない。

ただ、それでも私は、大人になってもどこかで彼女を忘れきれなかった。
数年前、三谷幸喜の「short cut」を見た。
中井貴一と鈴木京香の共演作である。なぜそれを選んだのかは覚えていない。ただ、これは見ないとね、という気持ちがあった。
2年前、「共演NG」にどハマりした。やはりこれも中井貴一と鈴木京香である。
その時は、真正面から思えた。ああ、こういう鈴木京香さん、大好きだと。

私が大人になるまで、私が彼女の魅力にきちんと気が付き受け止められるまで、私の「好き」は心の奥底の宝箱に入れて、大切に大切に、どこかで傷付くことがないように、保管していたのかもしれない。
久しぶりにきらきらひかるを見て、その宝箱の鍵を開けたのだ。
きっと、今の私はあの頃よりももっと彼女のことが好きになるだろうなと思った。

そのような中、今年7月に、フジテレビで20年ぶりに京香さんが主演すると聞いた。
驚くと同時に嬉しくてたまらなかった。言うなれば、今の私と20年前の私が和解して、ハイタッチして喜んだようなものである。
とても楽しみにしていたからこそ、彼女が体調を崩し、降板したと知った時は衝撃を受けた。寂しいという気持ちが少しも無かったとは言えない。
でも、それ以上にとにかく京香さんのご快復を何よりもお祈りしたいし、また元気なお姿を見せて欲しい。

体調不良のニュースを見かけてから、彼女が健やかに、心穏やかにお過ごしになれますように、と願ってやまない。
こんな体たらくでファンを名乗るのも到底烏滸がましいけれど、京香さんの一日も早いご快復を願い、なにか文章をしたためたくて、この記事を書いた。

次に彼女のお姿を見かける時は、あの頃の私とハイタッチして、心の底から全力で「大好きです!憧れです!」とお伝えしたい。

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