野党系無党派」が野党を進化させる

野党系無党派」が野党を進化させる

                                  木下ちがや

1、野党共闘は失敗なのか?


 第25回参議院選挙は、与党がこれまで維持してきた参議院3分の2を割り、自民党も単独過半数を失った。その一方で、野党も候補者選定の遅れや重要複数区での取りこぼしなどの失策がみられ、与野党痛み分けと言える結果に終わった。2017年の希望の党への民進党の合流と分裂以後、野党は立憲民主党、国民民主党、社民党の間での会派統一と、日本共産党を含む選挙区一本化を焦点とする野党共闘の動向がマスコミで報じられてきた。しかしその報道の大半は「ゴタゴタ」、つまりある特定の政党や政治家、また支持団体の労働組合が共闘に反対だ、消極的だ、あるいは「この党は共闘をやる気がない」などの暴露報道に埋め尽くされ、国民目線からすると「たんに野党がもめているだけ」との印象を与えてきた。
 実際この「ゴタゴタ」は、野党に少なからぬダメージを与えている。本来なら与党との「一対一」の対決に向けるべきエネルギーが内部対立に削がれるだけではなく、とりわけSNS上での過剰な批判の応酬は、野党政治家や支持者を近視眼的な見方に陥らせ、長期的な視点で野党の変化を評価する視点を奪い去ってしまうからだ。だから今後の野党の戦略をみとおす上で重要なのは、目前のゴタゴタに与しない長期的なスパンで捉えた総括と検証である。
実際、野党の動向を5年ほどの時間軸でみると、その協力関係は着実に進化している。二度の参議院選挙における全一人区の候補者一本化はいうまでもない。地方レベルでは、オール沖縄は県知事選以後の選挙で連勝を重ねている。東京都中野区では野党は都議選、区長選、区議選と連勝し、区議会多数派を握った。8月の仙台市議選では初めて全野党の市議が結集した決起集会が行われている。そして埼玉県知事選では、とても無理といわれていた当初の戦評を覆し、国民民主党系の大野もとひろ候補を、全野党が総力を挙げて支援することで当選させた。SNS上やメディアの評価とは逆に、リアルな世界では、全国、地方、地域と幾重ものレベルで野党間の共闘は着実に進化しているのである。
 こうした野党間の共闘の動きを規定しているのは、政党や政治家ではない。共闘へと誘う力は、その支持層の性格と動向におおきくは規定されている。この支持層は、安倍長期政権の下で形成され、それが形づくる「重力の法則」によって、もはや共闘は必然的な流れになっているのだ。そしてこの重心をなしているのが、これから論じる「野党系無党派層」である。

2、「革新共闘」の時代との差異

 戦後政治史において、与野党を問わず政党間の連携や連合は幾度もなされてきた。現在では自公連立政権がそれであるが、こうした連携あるいは連合の多くは、政党本体よりも支持団体の意向に大きく規定されてきたと言える。1960年代から70年代にかけての「野党共闘」もまたそうであった。日本社会党、日本共産党、公明党、民社党による「革新共闘」である。この革新共闘は、地方自治体において1963年に成立した横浜の飛鳥田市政を嚆矢に、東京都の美濃部都政をはじめ「革新自治体」を全国に叢生させた。高度経済成長がもたらす都市問題への対処を結節点としたこの共闘ではあるが、内実は政党間の連合にとどまり、支持団体、支持層が相互に交流することはなかった。現在のように無党派層が多くない当時の野党と支持団体の関係は「縦割り」だった。日本社会党は「総評=社会党ブロック」と呼ばれたように、労働組合のナショナルセンター総評の丸抱えだった。民社党もまたもうひとつのナショナルセンター同盟の丸抱えであり、公明党はいうまでもなく創価学会の丸抱えである。日本共産党はゆいいつ、政党主導で諸階層―少数派労働組合、住民運動、中小企業等―を組織化し、この時期勢力を増大させていくが、いずれにせよ各野党の支持層は縦割りで、協調的どころか対立的だった。比較的似た階層を組織していた日本共産党と公明党が、選挙戦において激烈に対立するのはこの時代からのことである。したがって1980年に日本社会党、公明党、民社党による「政権構想」が発表されて以後、「革新共闘」は崩壊し、日本共産党は独自路線を歩まざるを得なくなり、それに伴い野党支持層は分岐し、相互対立の関係に陥っていったのである。

3、「野党系無党派」とは何か

 この社・公・民による「政権構想」はその後有為転変に会していく。ナショナルセンター総評・同盟は合同し「連合」を結成したが、日本社会党と民社党は消滅し、公明党・創価学会は自民党との連立に鞍替えした。また無党派層が増大していくなかで、かつてのような野党と支持団体の縦割りの関係はどんどんと崩れていった。2009年の民主党への政権交代劇は、この無党派層を一時的に喚起したことで成し遂げられたが、その後この無党派層は「眠り」につき、2012年以後、低投票率の下での安倍政権の長期化を許している。
 本稿が名指す「野党系無党派層」とは、この民主党政権交代後に眠りについた無党派層のことではない。2012年の第二次安倍政権発足後に、社会運動に強く関心を寄せ、SNSに熟練するも、特定の野党を継続的に支持するわけではない野党志向の「無党派層」のことだ。そしてこの「野党系無党派層」の規模については、今回の参議院選挙で「れいわ新選組」に比例票を投じた228万人がひとつの指針になると思われる。この層は2012年以後、野党の枠組みのなかで、共産党→立憲民主党→れいわ新選組と渡り歩いてきたと思われる。

4、SNS―社会運動の発達とともに増殖する「野党系無党派」

この野党系無党派層がはじめて姿を現したのは、2014年総選挙である。この選挙で日本共産党は、比例で704万票を獲得し躍進した。前回総選挙から234万票の上積みは、たんに政権から転落した民主党への幻滅から流れてきたものとは言えない。2011年の東日本大震災と原発事故以後、近年まれにみる大規模な社会運動が台頭した。日本共産党は他党に先駆けてSNSを積極的に活用し、街頭の集会やデモに国会議員を率先して投入し、社会運動―SNSとリンケージした党勢拡大運動に取り組んだ。この活動力が、これまで共産党を支持していなかった野党志向の無党派層を喚起し、同党への投票に赴かせたのである。
しかし、この「野党系無党派層」が継続的に同じ政党を支持していくわけではないことが明らかになったのが、2017年総選挙である。この選挙では希望の党から排除された枝野幸男らが立憲民主党を結成し、当初の予想を覆して野党第一党に躍進することになる。この新党もまた、2015年の安保法制反対運動で開拓された社会運動―SNSのリンケージを強く意識し、2014年には日本共産党に票を投じた層を引き継ぐかたちで躍進を遂げたのである(日本共産党は前回比264万票減)。そしてれいわ新選組は、今回の参院選で、この200万余りの票を、街頭―SNSのリンケージを駆使して引き継ぐことで、比例二議席を獲得したのである(2017年総選挙比で、日本共産党はほぼ横ばい、立憲民主党は300万票減)。

5、野党系無党派層は「共闘指向」である。

 このように2014年以後、およそ200万から250万規模の層が、局面によって各野党に大量移動しているということが明らかになった。そしてこの層を構成する年代でもっとも厚いのは、比較的「固い支持層」になる高齢者ではなく、40代前後の「団塊ジュニア世代」と推定される(1)。3・11の複合震災などで政治的関心を抱き、数十万規模の大衆的社会運動を経験あるいは見聞し、かつSNSを積極的に活用する世代である。しかもこの野党系無党派層の野党全体への忠誠心が高く、投票意欲を持続させていることは、今回の参議院選挙の前回比の投票率の低下分の大半が、自民党、公明党、自民党に合流した日本のこころの合計減票分400万とほぼ同じであるところからもわかる。つまり、与党系の総得票数が投票率の低下とともに確実に減っているのに対して、野党系の総得票数はほぼ維持されているからだ。この200万規模の「野党系無党派層」は、組織化されることなく野党全体を下支えしていることがわかる。
 そしてこの「野党系無党派層」は、かつての「革新共闘」時代の支持層とは異なり、さまざまな野党への支持を時々に変えつつ、野党全体がまとまる、つまり共闘を志向するという特徴がある。そのことは、この「野党系無党派」を抱え込んだ党が、これまで必ず野党間の共闘と協調路線に転じてきたことからもわかる。2014年総選挙で躍進した日本共産党は、2015年の安保法案反対運動を経て、現在の野党共闘の端緒をひらいた「国民連合政府構想」を打ち出した。2017年総選挙で躍進した立憲民主党もまた、別稿で論じたように(2)、今回の参議院選挙が近づくにつれて、野党間の協力を重視する姿勢を強めていった。いずれの党も野党系無党派層の重力に引き寄せられるように、共闘の道を選択してきたのである。したがってこの経験則からすれば、今回の参院選で野党系無党派層を抱え込んだれいわ新選組の今後の選択はおのずとみえてくる。野党共闘を重視せずに、その枠に入らない選択をしたならば、大半の支持は失われるということだ。あくまで野党共闘の枠組みのなかで育まれてきたこの層を、特定の政党の独自戦略に従えることはできないのである。

6、野党系無党派層の特性を活かせ

 もちろん、この野党系無党派層は、現在眠っている「投票にいかない無党派層」までを喚起する活動力と発信力を持つにはいまだ至っていない。だがこの層は、野党がさらに支持を拡大していくうえで発揮できる潜在力をもっとも有してもいる。
 「かれら」は、3・11の複合震災以後の社会運動を経験あるいは見聞し、これまでの組織的な積み上げではできなかった、大規模な集会やデモへの参加をひらき、SNSの発信力を投票につなげる経験を蓄積してきた。これらは、今後予想される日本社会のさまざまな危機―経済的な危機等々―の際に、世論を野党サイドに引き寄せていく有力な運動体となりうる。
 また、「かれら」の中核的年齢階層は40代前後である。この世代は、団塊の世代に次ぐ人口を構成しており、今後生じるであろうさまざまな社会問題の困難をもろに被り、かつそれに対する社会的関心を高めていく可能性がある―つまりもっとも政治に関心を抱かざるを得ない無党派層を抱えている―世代である。野党系無党派層は、今はこの年齢階層のほんの一部を構成しているに過ぎないが、世代的な社会的、文化的要求を共有している。また、2015年の安保法制反対運動で脚光を浴びたシールズは学生であり、2016年に「保育園落ちた、日本死ね」というブログで待機児童問題を政治化させたブログ主は30代前半だったが、かれらを後押しし、集会やデモを組織し、SNS等での宣伝をリードしたのは野党系無党派層とそれが属する世代だった。つまりこの野党系無党派層は、「団塊ジュニア世代」の社会的・文化的要求を代弁しうるとともに、人口構成上少数であるより下の世代の要求を政治化できる潜在力を持っているということだ。

7、野党に必要なのは分析と論争である

この野党系無党派層が有する経験、技術、世代的共通性をフルに生かせるような戦略をとることが、すべての野党に求められている。ただ留意しなければならないのは、もはやかつてのような政党の組織化戦略で、この層を囲い込むことはできないことだ。各野党は、おのおのの独自性を保ちつつ、この層が十分に作動できるような共通フレームをつくりあげなければならない。この共通フレームの構築には今後、この層を同定し特性を掴む研究が必要であるが、その大前提となるのは、来るべき総選挙に向けて、衆院小選挙区の候補者完全一本化することである。小選挙区完全一本化こそが、この野党系無党派層の力を最大限引き出すことができる。小選挙区完全一本化により、総選挙で野党の議席は必ず増加する。そして野党の存在感が高まることが、この野党系無党派層の世代内外に対する発信力を相乗効果的に高めていくからだ。

冷戦崩壊後、また戦後革新勢力の担い手であった労働組合が衰退して以後、野党はこれといった組織化戦略を打ち出せてこなかった。「階級」や「階層」という概念は政治分析から消え、漠然とした「市民」という言葉が宙に浮き、場当たり的な戦術に終始してきたのではないか。近年「ポピュリズム」についての議論が盛んであるが、外国の事例紹介を超えて、日本のリアルな政治戦略に組み込まれてはいない。1960年代の「構造改革論争」はもはや昔日ではあるが、新たに生成されつつある社会階層の特性をつかみ、それをヘゲモニー戦略に節合しようとした先人の試みはいまこそ再評価されるべきではないだろうか。本稿がそのような問題意識の喚起、あるいは論争の端緒になれば幸いである。

 

(1)れいわ、40代以下が支持の6割朝日新聞出口調査2019年7月22日https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190722000246.html
(2)木下ちがや『2019年参院選を読み解く(その2)野党連合の反攻』、『イミダス』、2019年7月12日、https://imidas.jp/jijikaitai/c40-130-19-07-g695 (無料公開)。


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