2020年野党の課題

ー「三党合流」への期待と不信

 2019年の日本政治は波乱の展開で幕を閉じた。政治資金規正法、公職選挙法違反疑惑による菅原経済産業大臣と河井法務大臣の突然の辞任、「桜を見る会」疑惑、かんぽ生命不正疑惑をめぐる情報漏洩による鈴木総務事務次官の更迭、そして東京地検特捜部による秋元前国交副大臣の逮捕、さらには小泉進次郎環境大臣の政治資金規正法違反疑惑という大スキャンダルが、年末に一挙に噴出したからだ。

 これまで鉄壁を誇っていた安倍政権の支配ブロックが、黄昏ゆくことで弛緩し、内部対立が顕在化している。昨年末に起きた政権与党にかかわるさまざまな「事件」あるいは「出来事」は連鎖し、安倍政権の構造的な危機を照らし出している。

 12月の世論調査によれば、内閣支持率は38%と1年ぶりに支持を不支持が上回った(注1)。安倍政権のレームダック化はもはや止まらない。だから2020年の日本政治の焦点は、政治学者牧原出が述べるように、「安倍政権が終末へと向かうなか、円滑な政権移行を実現できるか、あるいは分裂・報復・リークとサボタージュという混乱に見舞われ無残な政権の幕切れとなるか」であろう(注2)。政権移行期に入った今こそが、与党内、あるいは与野党の力関係が変わりうる局面である。

 こうした政権側の危機に反応したかのように、野党側も再編の時間に入っている。2019年10月の臨時国会を前に、立憲民主党、国民民主党、社会保障を立て直す国民会議、社民党は衆参両院で合同会派を結成し、国会論戦に挑んだ。

 新たに立憲民主党に加わった安住淳衆議院議員が国対委員長に就任し、衆院117人、参院61人に増えた合同会派の数の力を背景に、与党側と巧みな駆け引きを繰り広げ、野党の活躍の舞台を演出した。「桜を見る会」疑惑では日本共産党の田村智子議員が先陣を切り、さらに共産党が収集した情報を全野党が共有する方針を打ち出したことで、野党間の結束はいっそう強化された。

 そして12月6日、立憲民主党枝野代表は、国民民主党、社民党に対して、三党の合流にむけた協議を呼び掛けた。国民民主党玉木代表、社民党又市代表もこれに呼応し、党合流はいま最後の仕上げの段階にある。

 政権交代可能な体制をつくりあげることは、民主主義を活性化させるうえで望ましいことはいうまでもない。世論調査によれば、38%が「一つの政党にまとまった方がいい」と答えている。これは長期間にわたり「あきらめ」が広がっている世論状況からすれば決して低い数字ではない。

 しかしながら、世論にはこの合流劇に対する不信感が根強くあるのも事実だ。またふたたび、2017年の「希望の党」騒動のような空中戦に持ち込まれ、そして失敗するのではないかと。国民は、劇場的だが博打のような政党合従連衡劇にはうんざりしている。臨時国会での活躍にもかかわらず、野党の支持率は一向に上がらないのは、この不信感が拭えていないからだ。

 17年の「希望の党」の失敗は、森友・加計疑惑で失速していた安倍政権に対して、一時的な追い風に乗り強引に「数合わせ」をして政権を獲りにいくという手法がもはや通用しないことをはっきりさせた。仮に追い風にうまくのり、運よく政権を獲れていたとしても、1993年に非自民、非共産8党・会派の数合わせで成立した細川連立政権のように、瞬く間に崩壊していただろう。

 いま野党に必要なのは、これまでの野党合流の失敗を深く反省し、ひと時の風に左右されない陣地を構築することである。この視角から、この間の野党の到達点と課題を考えていくのが、本稿の課題である。

ー立憲民主党誕生の意義と限界

「2300万円」。この数字が、現在の野党第一党の困難をすべて物語っている。

 この数字は、2018年度の立憲民主党本部への「個人からの寄付」である。同党は2017年には、結党が10月であったにもかかわらず約3億円の個人寄付を集めていた。ところがわずか一年で寄付が10分の1以下にまで減少していたのである。

 政治資金収支報告書によれば、立憲民主党の2018年党員数は約8000人、党費収入は約400万円である(同党はサポーター制度なので、それを党員とカウントしたと思われる)。それに対して日本共産党は、2018年の党員数約30万人、党費収入は約6億4000万、個人寄付約6億円である。党員数や寄付からは、政党がどの程度の活動力があるのかを推し量ることができる。国会議員数が4名で院内交渉会派を組めない社民党の党員数が約1万4000人、党費収入が約1億3000万であることから比べても、立憲民主党の組織力が著しく弱いことがよくわかる。

 立憲民主党は、希望の党から排除された旧民進系リベラルが結成した。排除への抵抗から結成された同党は有権者の注目を集め、総選挙では予想を覆す55議席を獲得し、選挙後は衆参の議員を吸収しながら野党第一党の座に昇りつめた。同党が民主党、民進党につきまとっていた「しがらみ」を廃し、野党政治を刷新していく役割を担ってきたことの意義は今日でも大きい。

 しかしながら、結党から2年余りの時間が経ち、野党第一党らしい組織的な陣地をつくりあげてきたとはとても言い難いのだ。同党の地力の弱さは、昨年7月の参院選で露呈した。この選挙は、立憲民主党の限界が露呈したにもかかわらず、他の野党の支えによってかろうじて善戦したと総括されるものだ。

 昨年の参院選において自民・公明・維新のいわゆる「改憲勢力」は、改憲発議が可能な3分の2を割った。これを可能にしたのは、改選1人区32選挙区のうち、10選挙区で野党が勝利したからである。2016年の参院1人区では野党は11勝した。しかし大半は現職議員の議席を守る選挙だった。

 しかし今回の参院選は長野以外では全員が新人候補であり、前回よりもはるかに困難な条件下で勝ち抜いたのである。だがこの当選した10人のうち、立憲民主党公認は宮城選挙区の石垣のり子1人であり、他は国民民主党公認か無所属であった。他方都市部の複数区で、立憲民主党は東京、京都、大阪、兵庫で公認有力候補者を落選させている。つまり立憲民主党が都市部で苦戦したのを、他の野党あるいは労働組合などが支える1人区でカバーしたことで、かろうじて善戦にもちこんだのである。

 このように昨年の参院選では、立憲民主党は国民、共産、社民や関連する労組・団体の組織力がなければ、全国的な選挙をたたかい、政権与党に対抗できないことがはっきりした。

ー共産党を巻き込む野党合流

 「立憲民主党の特性を活かしつつ、どのようにして限界を克服していくのか」。ここから、現在進行している立・国・社三党の合流のプロセスを読み解いていく必要がある。合流プロセスにはさまざまな思惑が錯綜してはいる。しかし分け入ってよくみると、そこにはひとつの道筋が敷かれていることがわかる。そしてこの合流劇の道筋を切り開くうえで重要な役割を果たしているのは、実は日本共産党なのである。

 「共産党が来るかどうか、この一点なんですよ。組織力があるからね」。

 昨年12月17日、東京・小川町の居酒屋でおこなわれた、内閣記者会所属の記者たちとの懇談会で安倍総理が漏らした一言である。

 立・国・社三党合流のプロセスが、過去の政党合同と決定的に異なるのは、同じ野党ながら合流するわけではない日本共産党を積極的に巻き込みながらすすんでいることだ。

ー政権が恐れる「手を組むはずがない者同士の団結」

 日本共産党は30万人の党員を抱え、100万以上の「しんぶん赤旗」の読者をもち、2667人の地方議員がおり、全都道府県の地域に地区委員会と支部をくまなく配置している。さらに共産党と連携する労働組合、医療団体、中小企業団体が無数に存在している。

 この組織力は、これまで小選挙区制度によって封じ込められてきた。共産党が単独で小選挙区を勝ち抜ける選挙区はなく、野党共闘以前は全敗を繰り返してきた。したがって自公vs民主の二大政党制化がすすんでいたゼロ年代の日本政治では、ほぼ無視されてきたのだ。

 しかし、2015年に野党共闘がはじまって以後、他の野党は共産党の実力に目を見張ることになる。地区委員会があることで県全体にわたるネットワークと動員力を有し、集会や街頭演説には千人単位の人が常時結集し、ビラ撒きやポスティングをこなす活動家が大量にいる。これは、全県的なネットワークをもたず、後援会、労組だのみの民主党系政治家にはとても真似できないものだ。

 さらに野党共闘がすすむなかで、日本共産党に対しては、いったん闘うと決めたら方針を守りぬくという信頼感が生まれていった。参院選のある1人区では、共産党は統一候補を全力で支援したが、同党のメンバーが中心に作成した選挙ビラには、共産党の名前は一文字もでてこない。ひたすら統一候補を支えることだけに徹していたのだ。こうした態度も、個人後援会中心に活動してきた民主党系政治家にはなかなか真似できないだろう。

 小沢一郎はかつて日本共産党を「もっとも近代的な政党である」と評していた。小沢一郎ははやくから共産党の組織力に注目し、2017年には共産党大会に出席して連携をアピールしていた。だが、組織力に注目したとして、共産党を選挙のときだけの単なる「踏み台」に利用するだけなのか、それとも、野党各党の特性を最大限活かす技法を練り上げていくなかで共産党と日常的な活動をともにしていくのかでは、野党のあり方は大きく変わっていくだろう。

 中村喜四郎はインタビューのなかで、「小沢さんは確信犯的に野党をやっているが...中村は真剣に野党をやっている」と述べている(注4)。「確信犯的」の含意はともかく、真剣に野党をやるなら、どちらの道を選ぶかはおのずと明らかだろう。

 国民、共産、社民、そして「連合」の組織力をいかしつつ、それと立憲民主党が潜在的にもつ無党派層への訴求力をどう有機的に結合し、役割分担していくのか。昨年8月の埼玉県知事選では、野党系大野ともひろ候補の選対事務局長を務めた「連合」電力総連の幹部と、「全労連」傘下の埼玉県労連の委員長が、勝利のあとに固い握手を交わしていた。政権与党が最も恐れているのは、こうした「本来手を組むはずがない者同士が団結する」ことだ。

ー「機動戦」より「陣地戦」を

 もちろん、共産党との連携については「政策的に一致できなければ、やれるわけない」という声は常にあがるだろう。天皇制、自衛隊、日米安保等々、社民党はともかく立憲、国民との政策、理念の壁は数多くある。

 しかし全国各地をみわたせば、すでにその壁は乗り越えられている。岩手県や宮城県で共産党を含む野党共闘が進化しつづけているのは、東日本大震災の復興活動をともに取り組んだからである。「オール沖縄」はまさに、安倍政権による沖縄分断への危機感から生まれ、いまや保革共同がごく当たり前のものになっている。

 これらの地域の共闘を促進したのは、権威主義的政治への危機感である。政治学者ヤシャ・モンクは、世界的に権威主義的政治を台頭させてしまったリベラルの敗北の教訓を三つあげている。一つは権威主義的政治を過小評価し、「舐めた」こと。次に、自分たちの無力さに気づくまで野党共闘をやらなかったこと。そして同胞市民に対して何ができるかというポジティブな打ち出しをやらずに、敵の失政の宣伝ばかりやったこと、である(注5)。

 昨年12月のイギリス総選挙において、権威主義的ポピュリストであるボリス・ジョンソン率いる保守党が圧勝し、労働党ら野党が歴史的敗北を被ったのは、この三つの教訓を守らなかったからである。

 2020年の日本政治は、史上最長の政権が瓦解していく過程で、与野党のどちらが陣地を拡大するかが焦点になっていく。繰り返すが国民は電撃的な機動戦は望んでいない。「こうすれば政権を獲れる」というポピュリストの悪魔のささやきに野党が耳を傾けようものなら、ふたたび地獄の底へと転落するだろう。

 野党はなにをなすべきか。それは、長期的な視野に立ち、時々の風に左右されないしっかりした陣地をつくりあげることだ。そして来るべき時に向けて、それぞれの党の特性やアイデンティティを尊重しつつ、党員、サポーター、支援者たちの力を最大限に引き出せる仕組みをつくりあげることだ。それは地道で目立たない、苦難の道ではある。だが東北や沖縄をはじめとする地域のなかではすでにそれは成し遂げられている。

 これから耳を傾けるべきなのは、地域に根差し、地道に経験を積み重ねてきた人々の声である。


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