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家系図で自分のルーツを巡る旅。


「自分のルーツを知りたい」と思うようになったのは、10代の頃に映画『永遠の0』を観たことがきっかけ。

ある時、祖父にそんな話しをしたら、「以前自分で家系図を作ってみたことがある」といいます。実際に見せてもらったところ、そこには30人の名前が書かれていて、簡易的な図で正しい名前がわからない人も多くいたけど、わたしの4代前(高祖父)まで遡られていました。

ちなみに、『永遠の0』を観て、「戦争を経験した家族のことを聞いてみたい」と伝えると、祖父の父であるわたしの曽祖父(ひいおじいちゃん)のことを教えてくれました。曽祖父は太平洋戦争で航海士として船に乗り、済州島に向けて航海中にアメリカの潜水艦から雷撃され、戦死したといいます。終戦の1ヶ月前だったそう。このあたりの話しは、祖父が時間をかけて色々な場所を巡り、調べたそうで、たくさん話しを聞かせてもらったので、今度noteにも書いてみようかなと思っているところ。

話しは逸れましたが、祖父が作った家系図を見て、さらに興味が湧き、「もっと本格的な家系図に仕上げていきたい!」と、数年前に家系図を受け継ぎ、調べていくことに。

家系図作りは専門家に依頼することもできるけど、まずは自分の力で辿れるところまで辿ってみようと、のんびりと自分のルーツを辿る旅がスタートした。


家族や親戚に聞いてみる

まずは、自分を中心に、両親、その両親、その兄弟、その子供、と自分が知っている部分をカタチにしていく。そこから、祖父や親戚に会い、記憶を辿ってもらい、そこから出てきた身内の名前をまとめ、パズルのように繋げていく作業になります。

だんだんと話しを聞いていくうちに、わたしの高祖父母や曽祖父母は奄美大島の出身で、島には血の繋がった親戚達が大勢いるということがわかりました。

東京に生まれ、地方に故郷を持つ友人達を羨ましく思っていたわたしにとって、奄美大島に自分のルーツがあるとは、なんだかとても不思議な気持ちに。2年前、そんなゆかりのある奄美大島へ祖父と行き、30人以上もの親戚たちと初めて会うことができました。

大勢の親戚たちの協力もあり、鹿児島や福岡、大阪、神戸、名古屋など、色んな地域に親戚達が住んでいるということもわかってきました。

昭和19年(1944年)生まれの祖父や、大正9年(1920年)生まれの曽祖父たちの世代は、とにかく兄弟が多く、想像していた以上に家系図が横へと広がっていく・・・。


除籍謄本をもとに調べる

つい先日、祖父が奄美大島の大島郡龍郷町役場から、わたしの高祖父(祖父の祖父)の除籍謄本を取り寄せてみました。手書きで書かれた除籍謄本は読み解くのがとても大変だけど、これによって高祖母や、高祖父の両親の名前や出生が判明。わたしの5代前まで遡れたことになります。この数年間で把握できた祖父方の親戚の人数は120人を超えました。

戸籍には保管期間があり、現在施行されている戸籍法では、除籍謄本はそれを管理する地方自治体が150年間保存する義務があるとされています。
戸籍制度ができた明治初期から現在までの戸籍を取得することで、江戸時代末期から現在までのご先祖を明らかすることができるそう。

明治14年(1881年)生まれの高祖父の除籍謄本を取り寄せることはできたけど、おそらく江戸時代の慶応、元治、文久の時代あたりに生まれたと推測される高祖父の両親たちの戸籍を手に入れることはまだできていない。すでに戸籍が保管されていない可能性もありますが、これに関しては引き続き調査をしていこうと思います。

ちなみに祖父の推測によると、もし、曽祖父の誕生が、高祖父が25歳の時なら、1881年-25=1856年(安政3年=黒船来航の3年後)ということになる。この年は、12月18日(1857年1月13日)篤姫が徳川家定の正室となった年。

もし、曽祖父の誕生が、高祖父が30歳の時なら、1881年-30=1851年(嘉永4年)ということになる。この年は、ジョン万次郎がアメリカ船で日本に帰国した年。

こう考えてみるとなかなか面白く、幕末の時代がとても身近なものに感じられます。

今わたしが調べているのは祖父の家系のみですが、祖母の家系やその他の繋がりも調べてみたらきっともっと広く繋がっていくんだろうなぁ。

先にも書いた通り、戸籍には除籍になってからの保管期間が決められていて、後々自分が歳をとってから調べようと思うと、破棄されてしまっていて手に入れられなくなることも。「自分のルーツを辿りたい」「家系図を作ってみたい」と思い立った時には、ぜひすぐにやってみることをお勧めします。

なかなか興味と根気のいる作業ではありますが、こうして自分の先祖を知ることで、家族の歴史を知り、故郷が増え、それぞれの時代を感じ、そして命のバトンが繋がってきたからこそわたしがいるんだと、感じることができます。

きっとまだまだわたしの知らないところに、人との繋がりやゆかりの土地がたくさんあるんだろうな。


武藤千春


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