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イチロー引退会見その2:孤独に苦しんだことは、未来の自分にとっての大きな支え

【次は何をしますか】
人望がないので監督は絶対にムリ。それくらいの判断能力はある。日本の野球ではアマチュアとプロの壁が特殊なかたちで存在してややこしい(そのあたりなんとかならないかと考えている?)。

【やめようと思ったことは】
特にニューヨークでは、クビになるのではないか、と毎日思っていた。ニューヨークは、特殊な場所。マイアミもだけれど。マリナーズ以外行く気持ちがなかったので、昨日戻してもらって、本当にうれしかった。5月にゲームに出られなくなって、そのタイミングでもおかしくなかったが、春に向けて可能性があると言われ、とどまることができた。

【菊池と何を話していたのか】
それは2人の会話。バラしたら信頼されない。

【アメリカのファン】
最初はきびしい。日本に帰れ、としょっちゅう言われた。結果を残した後の評価は豹変。行動で示したときの迫力はすごい。なかなか入れてもらえないが、入れてもらった後はがっちり(支えてもらえる)。ニューヨークはきびしいが、やればどこよりも熱い。マイアミはラテン気質が入っているので、圧はそれほどないが、結果を残さなければ人は絶対来てくれない。それぞれの場所で関係を築けて、アメリカは広い、と実感した。

【弓子夫人と愛犬一弓】
ぼくは3089本のヒットを打った。彼女はホームではゲーム前に食べるおにぎりを握ってくれるのだが、それが2800個くらいだった。3000行かせてあげたかった。ぼくはゆっくりしたくないが、妻にはゆっくりしてほしい。一弓は今年18歳の柴犬で、フラフラなんだけど、懸命に生きている。見ていたらジョークじゃなくて、それはオレが頑張らないと、と思う。2001年生まれで、2002年にうちにきた。まさか現役を終える最後のときまで一緒にいられるとはと、感慨深い。感謝の思いしかない。

【打席での感覚の変化】
それはここでは話せない。裏で話します。

【いろいろ移籍したことについて】
すべて考え抜いての決断。どれが一番大変とかはない、それぞれが一番。アメリカ行きのときは、絶対ダメと言われていたので、誰かを口説かなければいけなかった。それはやはり仰木監督だろうと思い、美味しいごはんでお酒を飲ませたらうまくいくんじゃないか?と思って飲ませたら、本当にうまくいった。ダメって言っているのが酒でこんなに変わるのかと思った。仰木監督はしゃれた人だった。恩恵は計り知れない。

【我慢したこと】
我慢は苦手で、楽なこと、自分ができることをかさねている。とにかく身体を動かしたいので、動かし過ぎないようにするという我慢はあった。それ以外は自分にとってストレスがないように行動できた。ホームでは妻が料理を作るが、ロードに出たらぼくの食生活は、めちゃめちゃ。我慢ができないから。おかしなこと言ってます?

【菊池のこと】
今までいろいろな選手を見てきたが、左の先発ピッチャーは天才肌で変わっている人が、アメリカ人でも多い。飛行機を降りたところで黒ジャージはダメでしょう?と事前にさんざん話した後、降りてきたら黒ジャージだった。あのサイズ、スケール感であの機敏な動きは、他の誰にもできない。世界一にならなければいけない。

【野球の魅力】
団体競技なのに個人競技でもあること。チームが勝てばいいわけではない、個人として結果を出さなければ生きていけない。その厳しさが魅力。同じ瞬間がない、必ずどの瞬間もちがう。

【野球が変わってきたことへの危惧】
2001年と2019年では全くちがう野球になっている。頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつある。本来は頭を使わないと気持ちわるいのに。アメリカがそうなっていることに、危機感が止まらない。日本では頭を使う面白い野球であってほしい。それは大切にしなくてはいけないこと。

【成功とはどこからをいうのかわからないから、その言葉は好きじゃないけれど】
でも敢えてその言葉をつかえば、成功すると思うから行く、できないなら行かないでは、後悔を生む。やりたいと思えば、挑戦すればいい。基本的にはやりたいと思ったことに向かっていきたい。

【何を得たか?】
こんなものかな、という感覚。マリナーズで最初の3年くらいは勝つのは難しくない、と思ったが、その後それは大変なことなんだとわかってきた。この感覚を得たことは大きい。

【日本の野球】
日本の中学生レベルでも、基礎の動きは、メジャーリーガーよりうまい。チームとしての連携など、日本の野球では当たり前のことが、アメリカ人はできない。個人としての能力は高いけれど。そこは苦しんだのち、あきらめた。

【大谷のこと】
隔年でピッチャーとバッターをやり、20勝勝った次の年に50本とか打ったら、バケモノである。でもかれはそれができる。世界一にならないといけない。

【小学生の卒業文集に書いた作文が有名ですが、当時の自分に言葉をかけるとしたら】
契約金1億金は、もらえないよ。遠く及ばなかった。

【外国人になったこと】
以前は孤独を感じながらプレーしていた。今はそれはない。でも外国人になったことで、人の心を慮る、人の痛みを想像するという、今までになかった自分が現れた。体験しないと、自分の中からは生まれない。孤独に苦しんだのは、未来の自分にとっての大きな支えだった。つらいことによる学びは、元気なときに立ち向かうために重要。

#イチロー #引退会見 #愛犬 #一弓 #弓子夫人 #田中ちはる

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