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【銭湯哲学】銭湯とスーパー銭湯の違いとは

先日Twitterで、「銭湯好きなちーさんはスーパー銭湯も許せる範囲ですか?」という質問をいただきました。

それに対して、このような回答をしたところ、「銭湯とスーパー銭湯の違いってなんだろう?」という議論になりましたので、ここで書き綴りたいと思います。

スーパー銭湯と銭湯の違いについてはこちらの記事でも解説したのですが、

これは、法律上での区分の話です。公衆浴場法という法律で、銭湯は「一般公衆浴場」スーパー銭湯は「その他の公衆浴場」という違いですよ、ということでしたが、はっきり言って利用者側からしたら、法律上の区分なんてどうでもいい話かと思います。
今回の記事は、もっと中身の話。「存在意義」といった哲学的な観点で、銭湯とスーパー銭湯の違いを語ります。

スーパー銭湯は、銭湯のライバルではない

私に対して「スーパー銭湯はゆるせますか?」という質問をいただいた背景として、「スーパー銭湯は、銭湯のライバル」という認識があるのかなと思いました。
一般的な感覚としては、

スーパー銭湯は、銭湯の設備をもっと良くして綺麗にしたものだから、銭湯の「スーパーバージョン」がスーパー銭湯だ!

みたいな感じでしょうか。
しかし、私はそうではないという感覚があります。ちょっとここを言語化させていきたいと思います。

確固たる違いは”料金”

大前提として、銭湯でもスーパー銭湯のように設備を充実させたところは存在します。
鶯谷にある「萩の湯」は、銭湯ですが、4階建、食堂、サウナ、露天風呂ありとスーパー銭湯とも思えるくらい設備が充実しています。

なので、単純な設備の違いではないんですね。
一番、分かりやすい違いとしては「料金」です。
銭湯は都道府県ごとに一律で入浴料が規制されており、東京都は470円と決まっています。これは、江戸時代から続く物価統制が、今でも残っているからです。
一方、スーパー銭湯は、施設によって料金がバラバラで、700円くらいのところもあれば、3000円くらいのところもあります。
この料金の違いが生み出す、目的意識の違いが重要だと思います。

銭湯は、"日常の中の非日常"

この言葉は、小杉湯の平松さんや塩谷さんが言っていることなのですが、「銭湯は、日常の中の非日常だ」ということです。

非日常から日常へのチャプターでそういう話が聴けます。

入浴という行為に対して、

家風呂=完全なる日常
銭湯=日常にある非日常
スーパー銭湯=完全なる非日常

こんなイメージです。もう少し、深掘りしていきましょう。

歴史から紐解く、銭湯の日常から非日常への転換

銭湯は、家にお風呂がない時代では、町の人々がほぼ毎日のように通っていた場所でした。
「人々が毎日行けて健康を維持できるように」と物価統制法が適用されていたのです。家風呂が普及する前の昭和40年ごろは、銭湯の入浴料は30円くらいでした。

そう、銭湯はもともと”完全なる日常”だったのです。

ところが、昭和50~60年で家風呂が一気に普及し、銭湯に変わる”完全なる日常”が登場しました。
家風呂の登場により、銭湯が相対的に遠い存在になり、人々はだんだん通わなくなっていきました。
東京都の銭湯の数の推移をみると、平成になって著しく数が減少していることが分かります。

銭湯の数

銭湯の減少とともに、入浴料金もどんどん値上がりしてきました。
今でも銭湯に通う常連さんに高齢の方が多いのは、昔からの習慣だからだと思います。
生まれた時から家風呂があった昭和後期〜平成生まれ世代にとっては、銭湯はもはや非日常です。

行けば分かる、銭湯の日常風景

若い世代にとっては非日常となった銭湯も、行ってみたら日常の風景が広がっていることが分かると思います。

「あら今日は早いわね」という挨拶
脱衣所で繰り広げられるたわいない世間話
別れ際の「おやすみなさい」

そこは、ご近所の井戸端会議のような空間になっています。これはもう日常そのものの光景です。
スーパー銭湯に毎日通う人はあまりいないと思いますが、銭湯には毎日のように通っている人々がいます。値上げしたとはいえ、銭湯はスーパー銭湯に比べると格段に安いので、日常的に通うことが可能なのです。

スーパー銭湯は、テーマパーク

スーパー銭湯を言い換えると、「お風呂のテーマパーク」でしょうか。
スーパー銭湯には、ほぼ必ず「お風呂以外の設備」が用意されています。食堂、サウナ、休憩スペース、寝床、漫画、などなど。
「お風呂を中心に、そこで1日中楽しんでね」という、お風呂の総合テーマパーク的な施設がスーパー銭湯です。
なので、そこに日常の風景はあまり見られないと思います。
どちらかというと、デートで遊びに来たカップル、たまの休日でのんびり過ごすサラリーマン、友達同士で遊びに来た人々など、それぞれがそれぞれの時間を楽しんでいる、非日常的な光景です。
1日の時間を過ごすためのモノが、施設内完結しているので、人々はスーパー銭湯の中で長い時間を過ごすことができます。

街ごと楽しめるのが銭湯

冒頭で、スーパー銭湯並みの設備が整った「萩の湯」という銭湯を紹介しましたが、そうした銭湯は少数派で、多くの銭湯はお風呂という機能に特化してサービスを提供しています。
もし、スーパー銭湯のように非日常的に1日遊びたいという場合は、銭湯を起点に街を散策すると、街全体がお風呂のテーマパーク化します。
銭湯の前後で、周辺の美味しい飲食店に行ったり、観光地に足を運んでみれば良いわけです。
「今日は、日常モードだ」というときは、お風呂だけ入って帰ってしまえば良いのです。

このように、日常と非日常を絶妙にミックスさせることができる場所が、銭湯です。

まとめ

銭湯とスーパー銭湯は、法律上の定義がそもそも違いますが、それ以上にそこに行く人々の目的意識が違います
日常の延長として訪問するのが銭湯、たまの非日常を求めて訪問するのがスーパー銭湯。
私は、どちらも必要だと思います。なので、銭湯とスーパー銭湯はライバル(敵同士)ではなく、お互いに補完しあって存在しているものなのではないでしょうか。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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