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昔、映画が嫌いだったという話

 僕は子供の頃、映画が嫌いだった。ジブリ作品は観ていたし楽しめたけれど、ハリーポッターの世界には没入することができなかった。しかし、僕はいつしか(おそらく社会人になったあたりから)観たい映画作品があれば映画館に足を運ぶようになっていた。

 今朝、FMヨコハマの『ちょうどいいラジオ』で、ラジオパーソナリティの光邦さんが「映画は一人で見たい。映画の世界観に没入していたいから、感想を友人と語り合うのが現実に引き戻されるようで苦手」というような内容を話していた。それを聴いた僕は、幼少期の映画嫌いの理由を今になって理解した。感想を訊かれるのが苦手だった。映画に没入した僕は、「尊い」という程度の感想しか出てこない。映画館からの帰り道くらいは、夢心地で電車に揺られていたいものなのである。
 理由はこれなのである。感想を訊かれるだけならまだしも、「どのシーンが良かった?」といった細かい内容を根掘り葉掘り訊かれたり、「どんなお話だったでしょうか?」とテストされたり、答えられなければ「もう映画連れて行かない」と母に言われたのが苦痛で苦痛で仕方なかった。娯楽で夏休みの課題や口頭試問の真似事をしなければならないのが理解できないし、嫌いだった。
 一旦、「尊い」と言わせてほしい。望むならば「尊い」とすら言いたくなくて、夢と現を彷徨ったような心持ちで帰りの電車に揺られたいものである。

 案の定、見たい映画を選んで一人で見るようになってから、急に映画が面白く感じられた。僕はやはり映画そのものは好きで、感想を言語化することを嫌っていて、語彙を忘れてしまうほどに世界観に没入するのが好きなのだろう。僕がわざわざ映画館に足を運ぶのかというのもきっと同じ理由で、地上波で放送されても、映画館の没入感には敵わないからなのかもしれない。

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