小滝ちひろ

フリー記者。1962年、福島県いわき市生まれ。奈良県在住の元新聞記者。主なテーマは歴史…

小滝ちひろ

フリー記者。1962年、福島県いわき市生まれ。奈良県在住の元新聞記者。主なテーマは歴史文化財、古社寺、考古・古代史、災害史。仕事のご用はchihirokotaki@me.com へお願いします。

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聖徳太子信仰のタテヨコその2 法隆寺のカキアゲってなに?

 奈良・法隆寺に、ちょっと変わったお供えものが伝わっている。その名を「カキアゲ」という。  漢字で書くと「柿揚」。米粉を水としょうゆで溶き、直径約13㎝の専用鍋に入れて油で揚げる。頃合いを見て、花のように切り開いた干し柿を真ん中にポトリ。香ばしい香りがして、全体が固まってきたら出来上がりだ。 【専用鍋で揚げる柿揚とその完成品(右)】  この柿揚、毎年3月22~24日に寺内の聖霊院で営まれる聖徳太子(574~622)の年忌法要、「お会式(えしき)」で供えられる。 同寺の

    • 運慶と快慶 ふたりの仏師とふたりの写真家

       10月、2冊の写真集が相次いで出版された。  ひとつは『運慶 六田知弘写真集』(求龍堂、税別5400円)。  ひとつは『快慶作品集』(佐々木香輔著、東京美術、税別3200円)。  運慶(?〜1224)と快慶(生没年不詳)のふたりは平安末期から鎌倉時代初期に活躍した日本の代表的仏師であり、ともに奈良仏師・康慶(生没年不詳)のもとで修行した。治承4年(1180)に起きた平家の南都焼き討ちの後、東大寺や興福寺の復興事業で腕をふるっている。  ともに写実的な作風ながら、運慶は動、

      • 法隆寺は二つあった? 円範事件とは? 『法隆寺史 中』の秘話

         8月に刊行された『法隆寺史 中 ――近世――』(法隆寺編、思文閣出版、税込7480円、以下寺史)を入手した。これが実におもしろい。478ページを一気に読んでしまった。  同書からまずは、ふたつのエピソードをご紹介したい。   信長が決めた東西の法隆寺 法隆寺はかつて、東寺と西寺に分かれていた。  東寺は夢殿を中心とする東院伽藍(上宮王院)で、法要の進行や作法などを取り仕切る「堂方(どうほう)」が支配。西寺は金堂や五重塔がある西院伽藍のことで、学侶(学問僧)が取り仕切

        • 聖徳太子は知っていた? 舟塚古墳の被葬者

           9月9日、奈良県斑鳩町の舟塚古墳で、発掘調査の現地説明会がありました。  古墳は法隆寺南大門の南約300m、法隆寺観光駐車場の一角にあります。遺跡としての範囲を確かめる学術調査として、町と奈良大学が4回にわたって発掘したのです。  と言いますが、調査されるまでは、ただの「植え込み」でした。低い石垣で裾部を囲み、上には数種類の庭木が植えられていて、ちょっと見には古代の墓と思えない姿だったのです。  調査面積はわずか13平方mですし、今回の調査も当初はさほど注目されていな

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        聖徳太子信仰のタテヨコその2 法隆寺のカキアゲってなに?

          仏教彫刻でわかった日本人の走り方のルーツ?

           奈良国立博物館の特別展「奈良博三昧−思考の仏教美術コレクション−」(9月12日まで)に、とても興味深い展示作品があります。  それが下の写真です。 【「奈良国立博物館だより」第118号表紙】  「伽藍神立像(がらんしんりゅうぞう)」と言います。高さ56・3㎝の木造で、時代は13世紀の鎌倉時代です。  以前は「走り大黒天」と呼ばれていました。最近の研究で、お寺の伽藍を守る「伽藍神」で、修行を怠る人を見つけると釘を刺して懲らしめる神様だとわかり、名称が改められました。

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          紙漉きの里・吉野に起きた文化的奇跡

           さて、クイズです。  次の人物に共通するのはなんでしょう?  寿岳文章(英文学者)、水原秋桜子、山口誓子、中村草田男(以上俳人)、犬養孝(万葉学者)、狹川明俊(東大寺長老)、高田好胤(薬師寺管主)  わかりますか? わからないでしょう。もしわかるなら、あなたは相当の和紙フェチかもしれません(笑)。  実はこれらの人物は、奈良県吉野町の福西家が所蔵する墨蹟の作者です。  福西家は吉野で紙漉きを続けてきた旧家です。同家には、これらの人々を始めとする錚々たる文化人の墨蹟が

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          展覧会でわかった、聖徳太子は天才じゃない?

           聖徳太子は天才的な伝説の人物だ。でも、本当にそうだろうか。その自筆と見られる文書を読むと、どうも違う姿が浮かんでくるのだった。   「法華義疏」。  大乗仏教の代表的な経典、法華経の注釈書で、聖徳太子(574-622)が著したとされる。やはり太子の作という「維摩義疏」「勝鬘義疏」とともに「三経義疏」と呼ばれている。  奈良国立博物館で開催中の特別展「聖徳太子と法隆寺」(6月20日まで)に、この「法華義疏」が出展されているので見に行って来た。 【御物 法華義疏(法隆

          展覧会でわかった、聖徳太子は天才じゃない?

          偶然ではなく、二重の虹が撮れたわけは?

           5月22日、奈良県香芝市の自宅マンション駐車場で、二重にかかる虹を撮影しました。時刻は18時45分ごろ。使ったのは、いつも手にしているiPhone11です。  偶然ではありません。15分ほど前から「虹が出る」と分かって、待っていたのです。少しでもお天気のことを知っている人には「それがどうした」と言われそうですが、あえて書きます。  この日、自宅周辺は曇りでした。私は午後4時ごろからウオーキングに出かけたのですが、途中から西の空の雲がだんだん厚くなってきました。「降るぞ」

          偶然ではなく、二重の虹が撮れたわけは?

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          2016〜2018年私が撮った空

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          サボる役人、まじめ?な役人は今も昔も

           鹿児島大学法文学部教授の虎尾達哉さんが書いた中公新書『古代日本の官僚』を読んだ。  この本の言いたいことは、メインタイトルよりも、カバーに添えられたサブタイトルに表されている。  「天皇に仕えた怠惰な面々」  そう、古代の官僚がいかにいい加減だったかがたっぷりと語られている。天皇が臨席する儀式を欠席した上、別人に代返させる。儀式には出ないで、それが終わった後の「打ち上げ」にだけやって来て酒を飲み、お土産をもらって帰る。そんな話が満載だ。 ■命令からわかる怠惰の実態

          サボる役人、まじめ?な役人は今も昔も

          聖徳太子信仰のタテヨコ番外編 四天王の邪鬼は女の子か?

           奈良国立博物館で開かれている「聖徳太子と法隆寺」展を見てきた。今年が太子の1400年忌であるのを記念する特別展で、6月20日まで。その後、東京国立博物館で7月13日から9月5日まで開催が予定されている。  法隆寺金堂の薬師如来坐像(国宝)を始め、見るべき展示物が多すぎて、2時間かけて全体の4分の3を見て回るのがやっとだった。その中で、私が特に気になった数点について、「妄想」を巡らせてみよう。 ■邪鬼の乳房は張っていた? まず金堂の四天王像(7世紀、国宝)。広目天(高

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          家族がPCR検査を受けてわかったことは……

          夜中に妻が発熱した。このご時世、コロナを疑わなくてはならない。 さてどうする? 入院か? とにかく検査だ! それから数日間の体験を綴った。 ■コロナが来た?土曜深夜。60歳の妻が、くたびれ果てた姿で自室を出てきた。 「熱がある。38・4度」 その瞬間、思った。 「ついにコロナが来たか?」 平熱が他人より低い人なので、38度台は相当の高熱だ。ただ、咳はない。 パートタイムの仕事をしているから、不特定の人に接触する機会はある。その点、会社を辞めてフリーの失業者状態にあ

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          古典へのリクルートを読む 『平安女子』と『平安男子』

          シャンプー&セットでワクワク気分 恋も婚活も日本語力が大事 即レスはメールの命! なにはなくとも上司の信頼 どれも、ある本に登場する小見出しです。これだけ読んで、なんの本かわかりますか? ファッション? ビジネス系のアドバイス? 実は、平安貴族のことを書いた「解説書」なのです。 『平安女子の楽しい!生活』(川村裕子、岩波ジュニア新書) といいます。 著者の川村さんは新潟産業大学名誉教授の平安文学研究者。平安時代の日記文学について、たくさんの著作があります。『平安女子

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          聖徳太子信仰のタテヨコその11 太子は尾ひれか? 理想か?

           岩手のマイリノトホケ、茨城の浄土真宗と真言律宗による太子信仰、尾道の観音信仰と抱合された太子像、職人による太子講の形成など、聖徳太子をめぐる信仰は、時代や地域によって、さまざまに繰り広げられてきた。 ■聖徳太子は「尾ひれ」? その中で近年最も注目されたのが、「聖徳太子はいなかった」説だろう。旗振り役とも言えたのが、中部大学名誉教授の歴史学者大山誠一さん。2021年1月1日付の毎日新聞奈良版「おらんの? 聖徳太子!」(https://mainichi.jp/articles

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          聖徳太子信仰のタテヨコその10 聖徳か厩戸か 揺れた戦中戦後のとらえ方

          ■厩戸と教えよ 2017年3月に文部科学省が示した中学校の学習指導要領には、こう記されている。   聖徳太子が古事記や日本書紀においては『厩戸皇子』などと表記され、後に『聖徳太子』と称されるようになったことに触れること  これに先立つ改訂案の段階では、中学校で「厩戸王(聖徳太子)」、小学校で「聖徳太子(厩戸王)」とすることになっていた。しかし教育現場などから困惑の声や批判が上がったため、「厩戸」の表記を一歩後退させたのだった。  聖徳太子より「厩戸」を前面に押し出す考え

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          聖徳太子信仰のその9 太子が歩いた?道をたどって見れば

          ■太子をたどる道二つ 聖徳太子にまつわる道を、通称「太子道」という。 これには主に二つのコースがある。  ひとつは、都があった飛鳥(奈良県明日香村)と斑鳩宮(同県斑鳩町)の間を太子が通ったとされる道で、別名を「筋違道(すじかいみち)」。南北に長い奈良盆地の南東と北西を斜めに通るからだ。  【太子道・筋違道のルート。法隆寺の「つどい」でたどるルートなので、一部バス移動のところがあり、真っ直ぐ斑鳩と飛鳥を結ぶようにはなっていない】  もうひとつは、斑鳩宮から磯長(大阪府太

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