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書いたらいいじゃん?

これを職業と言っても良いのかしら? と思いつつ、お話しします。

まだパソコンのない時代(正確にいうとあることはあったけど限られた職種にだけかしら)、私たちはコピーライターというお仕事を紙とペン、ワープロでやっていました。文字で表現することが好きだった私が、初めてライターとして対価を得たのは21歳。

新人として入社、研修を経て、初めて一人で仕上げた仕事は、上司から両手で足りないほどのダメ出しをされ、半泣きで仕上げた自社の見開き広告でした。ゼロから言葉を生み出す苦しさと戦う毎日、デスクの引き出しにはカロリーメイトがぎっしり。とりあえず食べて「脳まで栄養届け!」と、味すら感じないカロリーメイトオンリーの食事です。

当然のことだけど、週刊誌は毎週締切が来るし、社内報のコラムには「へぇ」となる内容かつ正確な情報を書かないと大クレームに繋がるし。「さあ完成!」と、意気込んでチェックしてもらうと修正指示出戻ってくる。達成感を味わうことなく、流れ作業のように次に取り組む毎日でした。

3年で結婚、逃げるように退職をして、嫁いだ老舗旅館で女将として奮闘すること30余年、お客様と従業員とのふれあいが、そこで巻き起こる波乱万丈なたくさんの苦労を吹き飛ばしてくれました。昼ドラにでもなりそうなほど強烈な人間模様は、笑いと汗と涙のごちゃ混ぜで、忙しさは繊細な感情を麻痺させていきます。朝5時から働き、夜11時までの17時間は女将の顔。その隙間時間で家事と育児、寝る前の1時間ほどが自分に与えられた自由な時間です。貴重な1時間は、学生時代使っていたパステルと水彩色鉛筆を使い週4日絵を描き、残りの3日は日常を小説風日記に綴り、絵本のような絵日記を作りました。

40代後半になると、大人になった4人の子供たちが、旅館と家事を手伝ってくれるようになり、私は育児と家事の両方から随分と開放されました。

「お母さんも自分のために時間とお金、使っていいんだよ」

長女の言葉。

そうなれば、自由な時間は格段に増え、私は隙間時間で逃げたいほど嫌になったはずのライターの副業を始めました。興味のある、書きたいものだけを書く。例えば、植物や愛犬、神社巡りに身体作り、美味しいレシピ等々。昭和生まれだからというわけではないですが、記事を書くからには、自分の足で情報を集めるし、徹底的に本で調べる。時には、報酬よりも経費の方が遥かに上回ることもあったり。

それでもその時間は、好きなものや好きなことに囲まれ、とても充実していました。その上、書いて誰かに伝えられることが楽しくてしょうがない。こんなに好きなことをして収入になるなんて、夢のよう。日頃のストレスが消えてなくなるほど、ライターの副業に支えられました。

新型コロナの影響と、度重なる地震によってダメージを受けた旅館は、常連の7~8名程度だけのために営業を続け、徐々に開店休業の状態へ陥っていきました。2022年4月遂に閉館、今では女将業からもすっかり解放されています。

「小説もまた書き始めたら? 夢なんでしょう? kindleとかで売るとか、noteとかで発表するとか。誰も読まなくたっていいじゃん。やってみないと何も変わらないよ」

緊急事態宣言下、長男から出た説得力のある言葉。

書いた小説をnoteに投稿、ほんの少し共感が得られれば幸せな気持ちになります。少しずつ投稿を重ねて、とある出版社から出版のお話を頂きました。既にnoteから削除していますが、ここに掲載していた3作品を一冊にまとめて2022年の11月末日に。

45年かけて「本を出版する」という夢を叶えることができるのは、子供たちが背中を押してくれたから。手元にはまだ、未発表の小説が7作品、書きかけが4作品あり、私の夢はまだまだ膨らんでいます。

1年ほど前からブログを開設して、Googleアドセンスの審査も通り、設定まで済ませて、さてどうしようか。ひとまず愛犬たちと過ごす日々やメダカ日記、神社巡りと日常をつづり、なとなく続けています。

すると、ある提案が。

「アイスが好きで毎日食べたいんだから、写真撮ってブログに書けばいいんじゃない?」

またしても子供たちに教えてもらいました。おかげで罪悪感なしに、毎日アイスを食べられて、読者が少しずつ増えています。

web雑誌のライター、小説、愛犬ブログとアイスクリームブログ、今はどれも食べていけるほどの収入ではありませんが、私にとっての天職は、やっぱり書くことなのかな、と前向きに感じることができる日々です。

憧れて入ったライターの世界、ゼロから創り出す苦しみから逃げ出したかった20代の自分に教えてあげたい。「書くことが幸せに繋がってるよ」って。


#天職だと感じた瞬間

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