49歳で漫画家デビューした話②

道具を揃え、漫画の真似事を始めてすぐに気づいた。

それは「自分には藤子先生のような気の利いたアイデアは出せず、よくできたストーリーも作れない」という事である。

漫画を描きつつ、ドラえもんを熟読したり、コロコロのしのだひでおの漫画教室への投稿アイデアを考えたりしてるうちに気づいていったのだと思う。

まだ小学校低学年なのだから、学校図書館にある本を片っ端から読んで勉強すればいいのでは、と大人の視点なら思うだろう。でもそうではなく、子どもながらに自分の資質を見抜いて「悟って」しまったように思う。

そんなこんなで、次第に描くことからは遠ざかっていった。

自分に残ったのは、何処にでもいる「クラスで一番絵が上手い人」というアイデンティティだけであった。

最初に省略してしまったが、私は幼稚園児の頃から小児喘息で、学校を休みがちで家に籠ることが多かった。そのため、広告の裏紙などに落書きをして過ごすのが大好きだった。そのような経緯で絵を描くようになったのだった。

描くのはやめたが、漫画はずっと読んでいた。「コロコロ」から卒業するのは遅く、中学校まで読んでいた。子供の頃読んで印象に残っている漫画は、「ドラえもん」「まことちゃん」「洗礼」「鉄腕アトム」「ど根性ガエル」「サザエさん」「いじわるばあさん」「ゴミムシくん」(ジョージ秋山)など。特にゴミムシくんの「女は人間、男は家畜」という世界に強いショックを受けた。

そして中学校へ進学する。そうなると周りの友達の方がずっと進んでいて、アニメ雑誌を読んで「安彦良和は凄い」と言っていたり、「これ面白いよ」と「風の谷のナウシカ」の一巻を貸してくれたりし、「なんだこれ?!」と驚いたりするのだった。また、他の小学校から来た連中は「ファンロード」「OUT」などを読む本格的な「オタク」がいて、同人誌を作って見せてくれたりもし、影響を受けた。たがみよしひさなどの漫画を借りたりもした。 また、書店で「ねじ式」を立ち読みし、白昼夢を体験する。

自分はまたその頃「めぞん一刻」にハマり読んでいたが、ある日書店で衝撃的な出会いをする。

大友克洋「AKIRA」である。

「なんだこの絵は!?こんなの見たことない」

ショックすぎて、一巻の表紙は「火星」だとずっと思い込んでいた(金田の頭の辺りの下水の穴が「星」に見えて勘違いしていた)。これが下水の中のシーンだと気付くのは大学に行ってからである。

それから短編集があることも知り、「ハイウェイスター」を買って読む。

読んで思ったのが「これなら自分にも描けるのでは?」という事だった。随分と不遜な気もするが、本当にそう思ったのである。当時は分析出来なかったが、大友の短編には藤子不二雄のようなアイデアやかっちりしたストーリーは無く、「ナンセンス」な漫画と自分なりに理解した(後年、「アオイホノオ」で初期の大友作品を「自主映画みたいな漫画」と形容していて、なるほどいい表現だなと思った)。アイデアやストーリーで挫折した自分だから、直感的に「こういう感じなら描けるのでは」と思ったのだろう。ただ、描き始めるのは大学に行ってからになる。それから中学校〜高校は大友克洋に夢中になり、また文春文庫「マンガ黄金時代」を読んでガロ系にも目覚めるのだった。

ひとまずつづく。

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