オペラの演出:ペーター・コンヴィチュニー演出《さまよえるオランダ人》(バイエルン州立オペラ、ミュンヘン)

「この演出はいいの?」、「この演出の意味は?」とたびたび尋ねられます。
そこで、折をみて演出の意味などを紹介したいと思います。

さて、オペラ演出家ペーター・コンヴィチュニーは日本にもたびたび行っており、その名はよく知られています。

コンヴィチュニーは有名な指揮者フランツを父に持ち、旧東ドイツで育ちました。
ベルリンの壁の解放後、西側でもその名前がよく知られるようになり、90年代後半には高評価と大人気を獲得していました。

コンヴィチュニーは1998、1999、2000年とオペラ専門誌『オーパンヴェルト』年鑑で50人の批評家が選ぶ『オペラ演出家オブ・ザ・イヤー』に選ばれています。

ですが、日本では今世紀に入っても、『スキャンダル演出家』として否定する人たちがたくさんいました。
ところが2006年から評価が様変わりし、その後、コンヴィチュニーは日本にしばしば行くことになりました。

一方で、ドイツでの仕事はほとんど評価されなくなり、2018年になって、久しぶりに上記の『オペラ演出家オブ・ザ・イヤー』に選ばれました。

オペラハウスはある作品の次の新制作をすると、以前の制作は上演レパートリーから消され、以前の制作は観ることができなくなります。

コンヴィチュニーの名演出と評価の高い制作もだんだん消え始めています。

しかし、ワーグナー《さまよえるオランダ人》はまだ観ることができます(以降、《オランダ人》、と表記します)。
これは彼がドイツで良い仕事をしていた頃の演出作品で、ミュンヘンのバイエルン州立オペラの制作です。


バイエルン州立オペラのサイト→
https://www.staatsoper.de


ちなみにコンヴィチュニーがこの劇場で演出を手がけたのは三作です。

・1995年7月1日プレミエ、ワーグナー《パルジファル》
・1998年6月30日プレミエ、ワーグナー《トリスタンとイゾルデ》
・2003年2月26日プレミエ、ワーグナー《さまよえるオランダ人》

現在は、《パルジファル》も《トリスタンとイゾルデ》も新しいプロダクションに代わったので、コンヴィチュニー演出で観ることはできません。

私自身はコンヴィチュニー演出《パルジファル》の第1幕『聖杯の儀式』と第2幕『花の乙女』のシーンの演出は傑作だと思っています。ですので、もう観ることができないのはとても残念です。

《トリスタンとイゾルデ》は同劇場の日本公演でも上演されたので、観た方も多いと思います。私自身はあまり『良い出来』とは思わなかったのですが、コンヴィチュニー自身はインタヴューなどで「歌手(ここではイゾルデ役のワルトラウト・マイヤーのこと)との確執があり、うまくいかなかった。これは私の演出というより、彼女のものだ」と発言していました。

さて、上記の三演出の中で、最もコンパクト、かつ、わかりやすいのは《オランダ人》の演出だと思います(もっとも、作品のせいもあると思いますが・・・)。
2006年のプレミエから久しぶりに観たので、
https://note.com/chihomikishi/n/n1c3addd75e42

そしてまたバイエルン州立オペラから無償で4枚の写真の提供を受けたので、このシーンにつき、ご紹介したいと思います。©️ Winfried Hösl

ただ、ストーリーはここでは割愛します。
ネット上でいくらでも読むことができます。

全体写真ではないこと、また面白いシーンが少ないのが残念ですが・・・


第1幕第3場

画像1

幽霊船から降りるオランダ人(左)と現代の船長のダーラント(右)の出会いです。
ステージ全体では、幽霊船の一部が左側に、ダーラントの現代の船の一部が右側に位置し、陸地と船を繋ぐ階段が陸地にかかっています。対称的なステージの作りになっており、ステージの中心で過去と現在が出会います。

この後、2人の駆け引きはステージ中央で行われます。
オランダ人とダーラント2人の間にあるのはオランダ人が見せる財宝。

オランダ人は自分を救済してくれる女性を得るために財宝を示し、
ダーラントは自分の経済を救う財宝を得るために娘ゼンタをオランダ人に引き渡す『商談』が成立します。

ひどい話です。
男2人の欲望のために女性が利用されるのですから。


画像2

ステージには女性が黙役として現れます。オペラをはじめ舞台芸術に慣れていないと、『?』と思うでしょう。これは、オランダ人が求める、つまり自分を救済してくれる理想の女性像を可視化したものだと思います。

ブロンドで穢れなき白のドレスです。

笑えます。

ブロンドで優しげな女性・・・オランダ人(=男性)の理想像としてステレオ・タイプでどこか興醒めなのですが、逆にそれがオランダ人のキャラクターを描いているわけで、この演出のあざとさも一筋縄ではない。


第2幕第2場。

画像3

ここで第2幕冒頭の写真がないのが残念ですが・・・
『通常の演出』では女たちが糸紡ぎをしています。

しかしここではフィットネス・スタジオで色とりどりのレオタード(古い!プレミエは今から15年前!)に身を包んだ女たちが自転車漕ぎをしています。

私が観た2006年のプレミエでは第2幕の幕が上がると客席から歓声が上がりました。
今年10月1日に観た再演でも、あちらこちらで笑い声が上がりました。

第1幕の、男だけの暗いシーンに対し、女たちのシーンのなんとカラフルで活き活きとしていることか!

そして糸紡ぎ=自転車は音楽にピッタリです。

ここでは、昔の女性たちは糸紡ぎなどの家事労働に従事していたが、現代ではフィットネス・クラブで健康を保つこと、スタイルに気を配ることが一つの大きな仕事・役目、と言うことでしょう。

さて、この写真ですが、同じフィットネス・クラブにいるエリックが登場します。
しかし彼は運動で汗を流すというよりサウナで汗を流している、と思えます。
そして後ろの壁には鍛え上げたボディの男たちの半裸の写真が・・・この対比には結構笑えます。

エリックは、ゼンタが持っているオランダ人の肖像画を前にして、ゼンタを責めます。
エリックが手にしているこの絵、レンブラント風です。
レンブラントは17世紀、オランダ人画家。

この写真のせいもあるのですが、エリックの立ち位置が後ろの壁のポスターとの関連で興味深い。『こんな古ぼけた伝説上のおっさんのどこがいいんだ!』、『僕の方がずっといいじゃないか!』とゼンタをなじるエリックの声が聞こえてきます(しかしエリックもそう魅力的ではない)。

はい、ここでまたエリックという3人目の(勝手な)男が登場するわけです。


第2幕第3場。

画像4

オランダ人とゼンタが出会い、オランダ人は古ぼけたトランクの中から古ぼけた花嫁衣装を出して、ゼンタに着せます。
この花嫁衣装、あまりにもアナクロで、ここでも、かなり無理があるよね、と妙に冷めた気分になるのですが、取り憑かれたゼンタは喜びに溢れています。
オランダ人もびっくりするほどです。

この写真のように、切り取られた一瞬でも、その表情と動作の演技が素晴らしい。歌も素晴らしいのですが、歌だけではない。


最後、ゼンタは自爆テロを起こします。
男たちの勝手さに対する彼女の憤りとも言えるでしょう。

ほんと、ひどい話ですから。


劇場中に響き渡る轟音の後にはコーラスも含めた登場人物全員がうなだれてステージに整列しています。

救済されたオランダ人とゼンタが一緒に昇天するわけではない。
全員一緒に『幽霊』となって永遠に彷徨い続けるのでしょう・・・

そして最後はラジオを通じたような音楽が遠くからかぼそく聞こえてきます。

プレミエでは大ブーが出たことを覚えています。

でも、この作品、以前から『へん!』と思っていました。
《オランダ人》のメイン登場人物男3人と(いっちゃってる)ゼンタには共感を覚えることができません。強いて言えばエリックだけでしょうか・・・。でも、音楽が素晴らしいのです。とりわけ、合唱が素晴らしい。


コンヴィチュニーはしかし作品を茶化しているわけではありません。
作品と真っ向から向き合い、作品から距離を置いたり、異化しながら、色々な道具立てを効果的に繰り出して、登場人物を微細に的確に描き分けていきます。

そして、ゼンタ(=女性)に対する眼差しはあたたかく、金や父権をひけらかす男性、そして身勝手な愛で迫る男性に厳しい視線を注いでいます。


・・・と私の解釈と感想でした。


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