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自分の指向がわかったら、「ビジョン」が決められない理由がわかった

WAKKA NEWS LETTER 2024.1

バブル時代に店舗の内装デザイン・設計をする有限会社を作ってバリバリ働いてきた両親は、小さい頃からマッチョな思想で私を追い詰めた。「なんでできないの?」が両親の口癖だった。なんでと言われても、できないものはできないし、なんでできないのかは自分でもよくわからない。

「なんでできないの?」とことあるごとに言われ続けてきた私は、子どもながらにうっすらと「できない自分はダメなんだ」と思うようになっていった。できないことは恥ずかしいことだ、恥ずかしいことだから隠さなきゃ、知られないようにしなくては。

その上、母は長男の嫁だから男の跡取りを生まなければというプレッシャーをかけられており、姉の次に私が生まれてしまった瞬間、母は泣いた。また女を産んでしまったと。「五体満足に生まれただけでもありがたいことだと思えと看護婦さんに叱られた」と話す母。それを聞かされたとき、私はまだ中学2年生だった。だからその言葉をうまく受け取ることができなかった。

自分なりに一生懸命解釈した結果、「私が女だからダメなんだ」という結論になった。私が女だからお母さんは泣いたんだ。私が女だからお母さんはあんなに厳しかったんだ。私が女だからダメなんだ。

そこから「男に負けないようにがんばらねば」という戦いの人生が始まってしまった。呪縛の始まりだった。

呪縛がかかった戦いの人生だから、余計なことにエネルギーを費やした結果、社会に出てからもうまくいかないこと、空回りすること、無力感に苛まれることの連続だった。同じ話をしていても、男の同僚の話をクライアントさんは聞く。同じようなポジションでも、男の同僚のほうがお給料がいい。前に出るのは、出世するのはいつも男性。それは全部自分が未熟だからだと思ってがんばってきた。

東京で会社員をやっていたときは、シャドーボクシングをしているような人生だったから、うまくキャリアを作っていくことができなかったし、会社や社会にも貢献できていなかったし、デザイナーとしても正直、中途半端な存在だったと思う。

今、東京から北海道に戻ってきて、会社を作ってみてつくづく思う。戦う必要なんてなかった。自営で仕事をするようになって、仲間ができて、男女関係なく助け合える関係性ができて、ようやく呪縛から解放された気がした。私が戦うべき相手なんてどこにもいなかった。戦う必要なんてなかった。

それに自営業は、すべてが自分の責任。会社員だったときは「自分がうまくいかないのは○○のせい」と思って戦っていたけど、いざ自分で会社を始めてみたら、誰のせいにもできないし言い訳もできなから、全部自分のせいだということを受け入れて進むしかなかった。会社のせいでも上司のせいでも同僚のせいでも、世の中のせいでもない。ましてやお客さんのせいでもない。いま起こっていることは全部自分が撒いた種。そう思えることが自分にとってはとてもよかったし、成長に繋がったと思う。

最近、「MBTI」というユングが開発した性格検査を受けた。そのなかで私は以下のような指向があると知って、あまりにも自分すぎてびっくりしてしまった。

可能性に重きを置くため、ゴールを設定すると可能性を狭める感じがし、あらゆる可能性を見て臨機応変に対応する時にエネルギーを得る

想定外を好み、想定内は飽きてしまう

「10年後の目標」や「ビジョン」や「ゴール」を設定してしまうと、ほかの可能性を捨てたり、可能性を狭めることに繋がる感じがして、自分のなかでいつもしっくりきていなかった。会社員だったとき、評価面談で「3年後の自分」「5年後の自分」を聞かれていつもうまく答えられず、「やる気がないのか」と低い評価を付けられていた。会社を作ったときも、ミッションはすぐに決まったけどビジョンが決まらなかったし、今も決まっていない。

プレゼン資料を作っているときも、プレゼン時間の数十分前まで資料を作り込んでいることが多々ある。その瞬間まで、もっと良くなる可能性を捨てたくない。常に「もっと良い可能性はないか?」「もっとよいゴールはないか?」と考えていたいし、そう考えているときに自分のパフォーマンスが最大化するんだ、とMBTI診断を受けて改めて気づいた。

ジャパネットたかたの二代目社長である高田旭人さんは、なぜジャパネットたかたが長崎にスタジアムを建設しようと思ったか聞かれて、

世の中の機会やチャンスがあったときに、自らの強みを活かすことを続けているだけ。そこにたまたま土地があって、うちの事業をぶつけてみたら面白いと思った。計画的には何もやっていない。10年後どうなっているかは僕もまったくわからない。

https://youtu.be/5ErgNrRcET0?si=RcmGnwPEtlkQieFp

と言っていて、僭越ながらとても共感してしまった。ジャパネッたかたの「世の中に埋もれている良いモノを磨き上げ、その最大限の価値を伝える」という理念もあまりにも素晴らしくて、自分の会社の理念にそのまま使いたいと思ったほどだった。

だから私は、いったん「ビジョン」のことは気にしないことにした。どういう世の中にしたい、という想いが自分のなかにはない。そうではなくて、世の中の機会やチャンスがあったときに、自らの強みを活かすことを続けていきたい。常によりよい可能性を探っていきたい。事業者さんのビジョンに共感して、人のビジョンを応援する存在になりたい。

今思うと、両親の「なんでできないの?」は、言い換えると「なんで人と同じようにできないの?」だったんだろう。なんで人と同じようにできないのか。それは私は人と指向が違うから。パフォーマンスが最大化するタイミングが人と違うからだ。と今になってわかった。

だってもし10年前にビジョンを決めていたら、私は今ここには居ない。北海道に戻って来ず、まだ東京で中途半端なデザイナーのままだったかもしれない。

これでいいのかはわからないけど、それすらも可能性のひとつとして自分のなかに持っておいて、今年は進んでいこうと思う。


【御礼】
前回のnoteを更新後、たくさんの方からコメントをいただきました。このnoteをきっかけに、弱いところもだめなところもきちんと受け入れて発信していこう、という気持ちになり、今年は毎月noteを書くことに決めました。ありがとうございます。

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