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「木島理生という人のこと」偽りと創作と、先生のレコードが再び音を奏でるまでの軌跡【ポルノグラファー考察】

 前、前々の記事に引き続き、こちらもドラマ「ポルノグラファー 」配信リアタイ時(2018年9月)に猛り狂って書いた考察です。
 「先生はなぜ久住くんを置いていったのか?」ということについて、木島理生という人を読み解きながら考えました。
 基本的にドラマベースの解釈になっていて、ドラマ版のオリジナルのラスト「私は思った。あの日を一生忘れない」にも影響を受けています。
 「劇場版ポルノグラファー」の公開を控え、「ポルノグラファー」と「インディゴの気分」が地上波放送され、新しくはまられた方の熱が眩しくて、私も当時を振り返ってみたくなりました。
 非常に長いですが、お付き合いいただけましたら幸いです。

◆初めに◆

 物語なのに、木島理生という人にこうも惹かれるのはどうしてなのだろう。
 久住くんじゃないですが、木島理生という人のことがもっと知りたくなり、妄想を交えながらいろいろと思い巡らせてみました。ポルノグラファーは、物語にも人物たちにもすごく深みがあり、久住くんの視点で描かれるので、余計に先生のことが気になるのかもしれません。
 なぜ、先生は久住くんの告白を受け容れなかったのか、久住くんを置いて行ったのか、そういうことについても考えてみようと思います。また、先生と久住くんの関係を考える時、先生にとっての創作、先生が小説家であることも深く関わってくると思うのです。
 創作と城戸さんとの関係を踏まえたうえで、先生の人物像、先生にとって久住くんがどういう存在であったのかを読み解いていきたいと思います。
 私は、ドラマを知ってから原作を読みましたが、どちらも違う面白さと楽しさがありました。一応ドラマ版を軸にしています(引用した台詞もドラマ版です)が、原作とピッチリ分けるのではなく、木島理生という人を総合的に紐解くというスタンスで、両方を引用しています。
 また、先生の人生を知るのに、インディゴの気分、ポルノグラファー補遺は欠かせないと思うので言及しております。ネタバレを含みますので、ご留意ください。

◆作家木島理生のこと◆

 先生のデビュー作は、木島先生と、先生を理解しない父親をモデルにした、私小説的な作品でした。純文学の賞を取り話題にもなります。しかし、そのあとはなかなか売れずお金に困り、そんな時に会ったのが城戸さんでした。
 行き詰っていた先生は、紆余曲折あって蒲生田先生に弟子入りし、創作の本質に触れます。
 蒲生田先生が「まずは、欲望がそこにあるかだ」と言っていますね。さらに「真実、自分自身の欲望を描いて初めて他人の心と体を動かせるんだ」「欲望する自分を解放しろ」とも。
 きっとこの時先生は、純文学がなぜ続かなかったのか、自分の創作に何が足りなかったのか、己の才能の本質にも向き合うことになったのだと思います。
 木島先生は、蒲生田先生の助言を聞きながら、城戸さんとの行為を思い浮かべていました。先生にとっては、城戸さんへの情欲に向き合うことが、官能小説を書く一歩だったんだと思います。木島先生が自室で後ろをほぐしていたのも、欲望を解放していく過程の一つだったとではないかな。蒲生田先生との対話を通して、きっと木島先生は、「ああしたい、こうしたい、こうされたい」という自分に向き合って、城戸さんへの恋情と欲望を解放しました。だから、ポルノ作家として成功することができたのだと思います。そしてその創作の源にあったのは、好きな人、城戸さんでした。

◆城戸さんが先生に打ち込んだ楔◆ 

しかし城戸さんは、出会った初めから、木島先生のようになれない嫉妬と鬱屈を抱えていました。木島先生が城戸さんの不誠実な態度を詰った時、城戸さんはその感情を口にしてしまいます。
「お前といると俺は…自分が嫌になる」と。
 ほんと、こんな決定的な言葉は無い。嫌いだ、と言われた方がまだましですよね。自分の存在がそこにいるだけで、好きな人を傷つけるってことです。
 城戸さんが、プライドのない仕事を紹介したのも、彼女と復縁していながら先生と関係を持ったのも、結婚のために先生をダシにして仕事を取ったことも全部、憎しみにも似たわだかまりがさせたことだとしたら。
 城戸さんの本心を知って、平然となんてしていられるはずがない。
「気が合うな、僕もお前みたいな人間、反吐が出る」と言った瞬間から、先生の嘘は始まったんだと思います。そうでもしないと保っていられない。城戸さんの闇を見てしまった先生は、追いかけることも詰ることもできなくなった。城戸さんに愛を期待しなくなったし不誠実も責められなくなった。
 だって、そうさせていた原因は、自分の存在そのものだったんです。
 苦しめている相手から、心からの愛なんて得られない。愛されるどころか、憎まれていてもおかしくない、対等の土俵にさえ立っていなかったのを知ってしまったんですよね。
 この時に、先生の恋は粉々に壊れたんじゃないか、と思いました。扉が閉じた。
 それでも、唯一の理解者である城戸さんを手放すことはできなかった。
 だから、傷ついた心を隠すために、偽りの言葉が必要だった。「まわりの人間に優しい、まともな城戸くんの、そういうところが好きだよ」というような。物わかりのいい嘘が必要だった。
 そうしていつしか、気持ちをごまかしたり、悟らせないように嘘をついたりすることが、当たり前になってしまったんじゃないかという気がします。

◆蒲生田先生の憂慮と削られた欲望

 そしてたぶん、蒲生田先生は、木島先生のわずかな変化に気づいていたんだと思います。だから心配の種になった。せっかく欲望を解放した先生が、また硬い殻を作ろうとしている……。
 先生にとって創作する、愛欲を書くということと、先生の身の内の愛欲は切っても切り離せないものになっていた。だから人生を削るようにしていい官能小説を書けるようになった。
 でも、その姿はあまりにも捨て身だったのではないか。力を抜けないままでは、いずれ潰れる。しかもそうさせている相手は理生を連れてきた城戸だと分かったから、蒲生田先生は城戸さんの胸倉を掴んだんだと思いました。

◆そしてついに書けなくなった木島先生◆

 それからの木島先生は、憑かれたように仕事をしていくわけですが、それは城戸さんへの愛執の裏返しだったんじゃないかな、と。緊縛ものが得意なのは、城戸くんに縛られた自分だから。
 でも、いくら望んでも欲しいものは得られない。得られないものに手を伸ばすことの、虚しさと徒労。城戸さんを求める気持ちを押し殺し、偽りを重ねるしかない関係。先生の中の真実の愛欲は、やがて摩耗しすり減っていってしまったんじゃないかと思うわけです。
 久住くんが、「確かにここ数年の作品は焼き直しが増えていましたからね」と言っていました。きっと城戸さんが先生を深く傷つけた時から、欲することに臆病になった。求めもせず求められもしない微妙な関係性が、「欲望」を痩せ細らせたのだと思います。また、城戸さんの結婚という事実が駄目押しとなって、ついには欲望自体が枯渇してしまったのではないでしょうか。欲望がなければ、解放も何もないのです。先生が、久住くんの手紙の中で「空っぽなのです」と言ったのは、こういうことだったのではないかなと思いました。 

◆久住くんとの出会い

  そんな地獄の中で、先生は、久住くんと出会います。
初めは、単なる戯れで。それもスランプではない、普通を装う嘘でした。久住くんといる間は、ちゃんと書くことができる小説家でした。偽りの自分でも、偽りの自分でいられたから、久住くんとの時間はきっと夢みたいに楽しめた。
 さらに先生にとって嬉しい驚きがありました。久住君を見て、先生は「なんかよかったなぁさっきの感じ。ネタになりそ」と思いました。長いこと、一行も書けなくて苦しんでいた先生が、書く意欲を刺激されたんですね。それは鬱屈とした地獄の中に差した光のように見えたかもしれない。
 この瞬間先生は、久住くんとの恋に落ちたんだと思います。
 そして、久住くんとの仮初の夢に、危機をもたらしたのが城戸さんでした。このあたりの先生の心情は、一つ前と二つ前の考察で詳しく触れたので省きます。
 付け足すことがあるとすれば、城戸さんに対しても嘘劇場をかましつつ、「悪い。もう少しだけ、待って欲しいんだ」といった先生の言葉に、先生の中ではわずかな期待が滲んでいることかな。これは、この時点ではまだ、先生は創作を諦めていない、むしろ仄かな灯りを見つけたような発言に思いますね。
 それに対して、待つけれども「そこまでして書かなくてもいいんじゃねぇか」と言ってしまえる城戸さんの、このどうしようもない食い違い。
 これは脱線ですが、城戸さんは木島先生のスランプに仄暗い愉悦めいたものを感じている気がします。上っ面にしがみついている城戸さんは、絶対に認めないし見もしないし気付きもしないとは思いますが。もちろん、助けられるものなら助けてやりたい、それも本当の気持ちでしょう。でも、俺のせいで、あの俺がなりたくてもなれなかった木島理生が、ぐちゃぐちゃになっている。待っていてやれるのは俺だけだという支配と束縛(ああ丸木戸先生特集号24の表紙が浮かぶ…)。だから、書かなくてもいい、なんて言ってしまえるんだ。あの時の先生の失望に冷めた目がね、二人のいる奈落を物語っていますよね。

◆久住くんの将来◆

 さて、横道から先生の行動に戻ります。
 先生は、久住くんとの時間を終わらせたくなくて、嘘劇場を続け、ついに、久住くんを求める一歩を踏み出してしまうのですね。
 唇に触れながら、「何をやってるのかな、僕は」と、先生は改めて、自分の中に芽生えた欲望と情動をなぞる。
 久住くんを帰してから数日、ギプスが外れて、腕が治る日が近づいてきます。久住くんといる心地良さを味わい楽しんでいた先生は、久住くんの「器用貧乏なんですよね、俺。まぁ、他にやりたいこともないし。将来、どうなっちゃうんだろうって」という言葉で、唐突に思い出します。久住くんが将来のある若者だったことを。
 自分のことを、器用貧乏だ、と言った久住くんに、もしかしたら一瞬、半端者で“すごくまとも”な城戸さんのことが脳裏を過ったのかもしれません。何でもそれなりにこなせるけれど、真っすぐに何かを貫いたり成したりはできない器用貧乏。しかも、真面目に将来とか世間の目を考えて結婚した城戸さんです。
 先生は、途端に怖くなったのかもしれません。

◆「なんにもなりゃしない」◆ 

 何を勝手に期待していたんだ、僕は、と。
 久住くんに僕は、嘘をついている。都合のいい未来なんて、初めからない。
 「内側をいつまでも回転しているレコードと同じだ」
 音の鳴らないレコードと同じ。どうしようもなく無意味に回るだけ。ただその場にとどまって、グルグルと抜け出せない輪に囚われている。
 「ばかだなぁ、こんなこと」
 ただ戯れに、寂しさを紛らわしたかった、ただそれだけのこと。
 「なんにもなりやしない」
 ただ、久住くんの時間を奪うだけ。何の意味もない。何にも得るものなんてない。何にも始まったりしない。
 レコードから針を上げて、終わりにしないと。こんなバカげた戯れから、価値のない嘘つきから、久住くんを放してあげないと……。
 もし例え、最後までバレなかったとして、その先があったとしても、鳴らないレコードはレコードのまま。
 僕との関係を続けていたって、久住くんにはなんにもなりゃしない、と先生は自分の在り様を省みて我に返ってしまうのですね。
 こんな底辺作家の泥沼に、若者の久住くん巻き込んではいけない。蟻地獄に引きずり込んでいい相手ではない。書けないのだ、一行も。もう、作家でいられるかさえわからないのに。もしこのまま一緒に居たら、ずぶずぶと依存してしまうのが見える。いつか、作家であることにしがみついて創作の糧にしようと足掻いて、久住くんを食いつぶしてしまわないともかぎらない。きっと、それでも求めてしまう。

◆終わりにする決意◆

 「これからも、飯食いに行ったりしましょうよ。全部終わりとかじゃなくて」という久住くんに、先生は、「自分の時間を大切にしてほしい」と言う。「部活や勉強を頑張ったり、恋人を作ったりさ。今君にできることをしっかりやってほしいんだ」と久住くんを突き放す。
 久住くんは、「なんで急に、そんなまともな大人みたいな言い方」と反発しました。
 久住くんの言うとおり、こんな大人の分別をわきまえた物言いは、全然「先生らしくない」。先生は、城戸さんみたいな“まともな大人”を装った。
 城戸さんに会う前の先生は、傲慢で、そういう生きるための事情なんかには関心もなかったし、理解もしなかった。久住くんが見透かしたとおり、今だってそんなものを大して、大事だとは思っていない。
 でも、先生は、過去に言われたことがありました。「世間なんか、将来なんか知らない顔で…好き勝手ワガママ放題で、空気も読まねぇで」「みんながみんな、お前みたいに生きられると思うなよ」と。好きだった男に。
 その男は結局、真面目に将来や世間体を繕って、まともな家庭人になった。
 だから、それがどれほど、普通の社会を生きる人間にとって大事なのか、よく知っている。そういうものの前には、色物作家の、ましてや男との、愛だの恋だのなんて、吹けば飛ぶような脆いものだということも。本当に、そんなものは、若い久住くんにとって、なんにもなりやしない。
 底辺で這いずる自分には、まともな人間の生き方に口出しできるほど、大層なものもない。
 僕のような色物の底辺作家から学ぶものなんて、本当になにもない。

 そうやってことさらに自分を卑下する先生に、久住くんはちゃんと怒って「俺は先生のこと尊敬してますよ。先生の作品好きだし」と言ってくれた。
 でも、書けなくて機能不全に陥っている先生には、「才能を生かしていて、すごいじゃないですか」という言葉は、冷や水みたいに感じられたのかもしれません。
 「知った風なことを言わないでくれるかな」と声を荒げてしまったのは、先生が自分自身の才能に疑問を持ち始めていたからだと思う。真実を曝け出して、デビュー作で賞を貰ったけれど、曝け出すものがなくなったら、見向きもされなくなった。城戸さんへの愛欲でポルノ作家にはなれたけれど、それももう、空っぽだ。削り取るものがなくなったら書けなくなるなんて、そんなのは才能なんて言わない。
 だから、先生は、小説家じゃなく、まともな大人のふりをした。
 手を放すのに、先生はそんな方法しか、知らなかった。
 けれども、久住くんの将来、手紙の中で願った、久住くんの光輝く未来を大事にしたかった、その気持ちに嘘はなかったと思う。
 先生は本当に不器用で単純で怖がりで、嘘つきだけれど純情だ。
 それでも、久住くんは、真正面からぶつかってきます。問うことを諦めません。先生の本心に踏み込むように暴こうとするように、ストレートに訊いてくる。

「先生、先生は、俺と一緒にいて、楽しくなかったですか」

 楽しかった。だから終わらせる。早く。取り返しのつかないことになる前に、傷つけてしまう前に終わりにしなければ。
 躱してもなお、真っすぐに突っ込んでくる久住くんに、追い詰められた先生は、ついに嘘の仮面を剥いでしまった。分別のある大人をやめて、最後には、「失望されたくない、それだけだ」と本心を曝してしまうのですね。
 臆病で怖がりな先生は、人から否定されることを何より恐れている。無価値に成り下がることが怖い。大好きな人に、失望されたくない。低俗な人間だとバレたくない。もう、傷つきたくないんだ。なんかこう、この「失望されたくない」という言葉に、先生の、傷つくことを恐れる子供みたいな素直さと脆さを感じて、先生がいつも嘘をつく理由が見える気がする。いつも嘘で固めた人の、傷つく前に終わりにして離れたいという自分本位な衝動が漏れ出た瞬間なんだな。しかもそれが相手を「傷つけたくない」や「苦しめたくない」じゃないところに、先生の身勝手と弱さが見え隠れして、この仕方のない人のどうしようもなさに、立ちすくんでしまいそうになる。

 先生は、そしてその夜、久住くんの書いた原稿用紙ゴミに捨てました。久住くんとの時間をなかったことにするみたいに、戻らない覚悟をするように破り捨てる。久住くんとの関係が終わってから捨ててもいいのに、それをこの夜壊すのは、あの原稿用紙が久住くんそのものだからだ。原稿用紙に言った「ごめんね」は、久住くんへの「ごめんね」であり、終わらせるための別れの儀式だった。久住くんの文字が好きだった、その文字が詰まった原稿用紙。終わりの決意を固めた先生は、とても痛々しい。

◆知られてしまった嘘◆

 一方、久住くんはとうとう先生が始めた嘘劇場に気づいてしまう。混乱と疑問に駆られながらも、先生にちゃんと確かめようとする姿勢が、久住くんらしい。先生の作品をほぼ読破した久住くんは、ここ数年焼き直しの傾向があることを知っていたし、この時の怒りは先生が、信頼を失う不正をしていることに対して、だったんじゃないかなと思う。
 何か事情があるんじゃないか、とまだ人のいいことを考えていそうな久住くんを煽って、一つ一つ潰していく先生に、胸が詰まります。嘘を明かし、「別に、なんにも」意味のない行為だったと言い捨てて、君は加害者なんだと立場を思い出させて。開き直ってみせて、この問題を無理やり終わらせようとした。終わりの先は無い。だから許されなくていいし、謝りもしなかった。

 それでも、先生の物言いは、必要以上に投げやりで偽悪的なんですよね。窮地に追い込まれた先生の恐慌が目に見えるようでした。
 きっと先生は本当に、久住くんがこの嘘に気づくとは思っていなかったんだと思う。そもそも先生は嘘つきだけれど、城戸さんが言っていたように平気な顔で人を騙したり陥れて喜ぶような人間ではない。久住くんの「俺はすげー真剣に先生の仕事、手伝ってるって思ってたのに」という吐露に、「気づくとは思わなかったんだ」とぽろと零した言葉は、確かに真実だったと思う。なぜなら、そう思い込んでいれば、後ろめたさを感じずに済むから。そうやって、罪悪感を無意識の底に追いやって、ここまできたんだと思う。
 本当は先生は、この嘘が、どれだけ久住くんを傷つけるか十分にわかっていました。わかっていたからこそ、逆に酷い態度を取ってしまったんですよね。それは、わざと自分を悪しざまに見せることで、これ以上傷を負わないように予防線を張ったのかもしれないし、久住くんに罰して欲しい感情があったのかもしれない。

 でも久住くんは、憤りながらもそこでちゃんと、自分の心を素直に表現できる人でした。
 「俺の気持ちとか全然考えなかったんですか」と。
 そういう久住くんの率直さが、先生の虚飾をぽろりぽろりと剥してしまうのです。いつも本音を表情に出さない先生が、久住くんが作品をほぼ読破したということに、動揺を隠しきれない。
 それは、先生の創作が、先生の本質に関わるものだからです。それが、先生自身を肯定する行動であったからです。行動は、偽りでごまかせる言葉よりも、ずっと確かで説得力があった。  
 先生の本、ざっと見た限りでは二十五冊以上ありました。それを一か月半で読破するのは結構なペースですよね。
 先生は、「あんな低俗な本より、他に読むべき本があったと思うけど」と狼狽して取り繕うけれども、久住くんは「低俗とか高尚とか関係ないでしょ」とすぐさま否定すします。
 先生は、純文崩れと揶揄する卑屈を、真っ向から一蹴されて、きっと黙るしかなかった。

◆久住くんの告白◆

 「俺は先生の作品が好きだったし、あんたのこともっとよく知りたくて」
 「好きなんです、木島さん」
 久住くんらしい、本当に真っすぐな告白。「先生」ではなく「木島さん」と呼んだ。あなたがポルノ作家であろうとなかろうと、立場を利用し俺をあしらったのだとしても、どんなにあなたの嘘に打ちのめされても、それでも俺はあなたが好きなんです。
 そんな久住くんの熱情が伝わってくるようでした。
 久住くんの言葉はいつでも、先生の虚像を剥いで、切り開いて先生の真皮を剥き出しにさせますね。
 先生は本当は、先生が生み出すもの、それから先生自身、全部を求められたかった。片方が欠けては満たされない。だから、久住くんの、先生の才能と先生自身、全てを愛そうとするひたむきで真摯な想いは、先生の心臓を刺し貫いたに違いありませんでした。

◆拒絶の理由◆

 けれども先生は、揺り動かされた真情を封じ、拒絶します。
 しかも今度は、露悪的な物言いだけでなく行動に起こしました。一番久住くんが傷つく方法を選んで。
 どうして、先生は、好きだと言った久住くんを受け容れられなかったんだろう。
 私は、ここで引き返すしかなかった先生に、とても胸が苦しくなります。久住くんの想いと、その先の関係を選択できなかった、木島先生の傷と孤独に心が痛くなります。
 先生の中には、拭えない痛みがずっとある。その痛みが先生を嘘つきにし、ずっと孤独の中に置きざりにしてきました。
 先生が恋情を抱いていた城戸さんは、先生の想いに向き合うことなく、生きるための事情を優先して家庭人になりました。先生は城戸さんの懊悩を知ってしまったし、その生き方を否定したりはしなかったけれど、嘘で守った心の奥底は、何度も傷ついてきたんだと思う。
 もし、久住くんとの恋が成就したとして、その先は? 久住くんは将来のある若者で、その将来にあるのは、社会や世間の目だったりするわけです。久住くんは学生で、先生や城戸さんが生き方を選んだ時と同じくらい若い。まだ将来の想像もできないくらい、何者にもなっていないんですよね。
そんな久住くんが、社会を知っても、ずっと底辺作家の自分を選び続けてくれるのか。そんなことわかりようがない。年の差だってある。もしかしたら、城戸さんと同じように、いずれ自分を捨てて、去っていく時が来るかもしれない。そんなことになったら、またあの痛みを繰り返すのか。
 書くことができなくなった先生は、久住くんを見て、一行も書けないはずなのに、ネタになりそうだと思った。久住くんに恋をして、身の内に愛欲の気配が灯るのを感じたと思う。創作の糧になりそうな仄かな予感。
 もしも万が一、久住くんとの恋愛が、再び創作の道を開いたらどうなるだろう。城戸の時のように、欲望を吸って削って放って生きるのか。久住くんに縋りついてしまうんじゃないか。その先で久住くんを失ったら、空っぽになって、また、書けなくなるのか。ずっと、同じことの繰り返し。こんなことにはもう、耐えられない。削り取ってなくなってしまう愛欲なら初めからいらない。もうこれ以上傷つきたくない。もう、たくさんだ。これ以上の痛みは抱えきれない。
 先生の心に巣食った疑念と恐れが、久住くんとの未来を、信じさせなかったんですよね、きっと。

◆先生が恐れた久住くんの強さ◆

 そしてまた、久住くんが持つ、真率でてらいのない強さが、先生を余計恐れさせたのかもしれない。久住くんの正直で一途なところは好ましい。けれど、その囚われない強さは先生にとって諸刃の剣でした。
 久住くんの嘘のない真っすぐさは、嘘で隠した先生の本心を簡単に引きずり出してしまう。柔くて傷つきやすい胸の奥を、久住くんにはいつの間にか晒している。暴かれた心は、少しの傷にも弱い。脆い分、致命傷になりかねない。
 先生にとって、久住くんの「好き」を受け容れることは、「パンドラの箱」を開けることだったんじゃないか、と。たとえ、一握りの希望が残されるのだとしても、先に放たれる痛苦は恐ろしい。気持ちを知られるのが怖い。乱されたくない。傷つくのが怖い。嘘で隠していたい、けれど、全て暴かれて楽になりたい。矛盾に揺らいでしまう。
 久住くんの強さは、眩しい光であると同時に、先生が必死で手に入れた平穏を脅かすものでした。
 しかも、その強さは、少しの事ではへこれない。いくら傷つけられても、若木みたなしなやかさで立ち上がり、向き合おうとしてくる。
 もし、嘘をついた理由を「書けなかった」からだと言ったら、久住くんは、仕方がないと受け入れてしまいそうだ。たとえ手酷い裏切りに傷つけられても、そこにやむを得ない事情があったのなら、許して寄り添おうとするのではないか。
 だから、先生は、同情される隙を作らないように「仕事干されててさ」と装った。

◆強行の果て◆

 久住くんの献身と想いは、関係を終わらせようとする先生にとっては、高い障壁でした。久住くんを欲しいと自覚すればするほど、判断は傾いて揺らいでしまう。
 だから、わざと嫌われる態度をとった。完膚なきまでに嫌われなければならなかった。
 自分からは、はっきりと去ってくれとは言えない先生です。そんなことをして、また「どうしてですか」と歩を詰められたら、崩されかけた偽りが崩壊するのが目に見えている。
 だから、先生は、先手を打って行為に及びました。こうすれば久住くんを黙らせることができる。久住くんが抵抗できないのはわかっていました。好意を利用した強引に、弱いであろうこと。久住くんの好み、迫り方、官能の機微は、人一倍よくわかる先生です。
 先生は、真摯に告白した久住くんの気持ちを逆手に取り、有無を言わさない横暴で踏みにじりました。自分を好きだという相手に、これは、「お詫び」だと言って。君に愛なんて微塵も無いけれど、こんな行為で君の気が済むなら、してもいい。
 そんな態度を取られたら、普通に拒否されるより数倍傷つきます。
 でも先生は、そうやって、そういうことをするヤツなんだと、久住くんに完全に失望されなければならなかった。また戻ってくるのでは意味がない。二度とこんなことがないように。復活する余地などないように。完璧に久住くんが離れるように。ちゃんと断ち切るには、こうするしかなかった。だから、久住くんが「帰ります」と言った時、「もう来ません、だよね」と念を押してしまったんだと思いました。

◆叫喚◆

 先生が、強迫観念のような怖れや不安によって起こした事態は、久住くんだけでなく、結局先生自身も酷く傷つく結果を引き起こします。傷つきたくないと思って咄嗟にしてしまった行動が、結果的に返す刀で自身に返ってきた。
 久住くんとの関係を終わらせると決めていても、嘘をついていた罪悪感や、糾弾される痛みや、破局への焦燥が、先生の行動に、一層拍車をかけてしまいました。先生が思っていた以上に制御がきかなかった。開き直りの衝動に抗えず、必要以上に久住くんを傷つけてしまった。追い詰められて、切羽詰まった先生の過ち。
 先生は、久住くんが出て行ったあと、苦渋に満ちた口調で「だから、昨日、そう言ったんだ」と言います。
 だから昨日、終わりにしようとしたんだ。失望されたくないって言ったじゃないか。こんなことになるなんて……。こんな風になるから、早く終わらせてしまいたかった。きっと他の方法だってあったはずだった。でも、ああするしかなかった。自分を止められなかった。抑えることができなかった。
 「くっそ。なんだよ」なんだっていうんだ。どうすればよかったんだ。なんで、なんで、なんで。どうして、こうなるんだ!!「くっそ、なんだよ!!」「なんなんだよぉ!」
 先生の叫びを見て、とても胸が震えました。原作のシーンにはない、解放の場面でしたね。原作の先生は、滅多に本当の心情を見せず、今回のことも内に内にしまい込んだように見えましたが、ドラマの先生はそれを解き放った。
 暴発と叫喚、感情をむき出しにする。部屋を滅茶苦茶にした。
 久住くんを突き放した、跳ね付けた、粉々にした。久住くんの好意を受け取れなかった。もう戻らない。失った悲しみ。本当の終わり。自分から破り捨てた。自分で壊した。ぐちゃぐちゃにした。やりきれない憤懣。押さえきれない怒り。全部台無しだ。この手で傷つけた一番の大切。嫌われた痛み、拒否、負い目、抵抗、自責、呵責、後悔、悔恨、最低で最悪。そして口を開けた絶望。
 押し込めて感じないようにしてきた感情が、押し寄せてきた。一気に、噴出したのだと思います。
 これを見せて貰えて良かった……。
 こうやって抑圧を爆発させられた木島先生を見て、私は少し安心しました。
 こういう発露もないまま、あの事件を胸の中にしまって蓋をして、先生が作家をやめる決意をしたのだとしたら。その圧殺の苦しみと麻痺を思って、もっと泣いたと思います。

◆小説家をやめる決意◆

 さて、こうして、久住くんとの関係を終わりにするという先生の目的は、究極的には果たされました。久住くんはもう二度と来ません。久住くんの世界線は二度と交わらない。あの時間は夢幻で、また寂しい独りに戻るだけのこと。目的は達成できたのですから、苦い後味を噛みしめたまま、先生は、何ごともない日常に、戻ってもよかったはずでした。
 けれど先生は、そうしませんでした。
 先生は、久住くんへのメールにある通り、まず、小説家をやめることを決めました。
 ひっそりと世界を閉じてしまうわけですね。
 そして、身辺整理をして、実家へ引っ越す準備を進めます。
 先生は結局、何でもないふりをすることはできなかった。
 今度ばかりは、負った傷が大きすぎて、自分を騙せなかった。
 先生は、「小説家をやめる」ことで、この事件の幕引きをしようとしました。それは、自分自身への決着でした。
 けれど、それがどうして「小説家をやめる」ことであらねばならなかったのでしょうか。他の折り合いの付け方はなかったのか。
 先生にとって、小説家であることは人生そのものであったはずです。
 それが、恋を捨てたから、仕事も人生も捨てる、というのでは、あまりにも自棄すぎる。けれど、先生にとっては、この事件が、それほどの深手であった、ということなのかもしれません。
 嘘で偽れないほどに、このままでは自分を保てないほどに、ボロボロになってしまったのかもしれません。
だから、人生ごと、清算するしかなかった。それしか、生きる道はなかった。
 先生がどういった心境で、作家をやめるにいたったのか、久住くんへのメールにその一端が明かされます。
 このメールは、嘘つきの先生が、初めて自分から、掛け値なしの素直な感情を打ち明けたものなのですよね。しかも推敲中だったからこそ、尚更に率直で、感傷的な気配さえする。
 人生を捨てる覚悟をして先生は、ようやく真の言葉を綴れました。
 では、先生のメールを追いながら、事件から作家をやめるに至るまでの先生の心情を感じてみたいと思います。

◆先生のメールから読み解けること◆


『あの日、君の自転車が、ふらふら歩いていた僕の体を吹っ飛ばしたあの時、腕に激痛を感じながら僕は、あることを強烈に期待していました。それは、僕の手が動かなくなって筆を執れなくなること。僕は利き手ではなかったことに、ひどくがっかりした』
 
 先生の書けない苦悩は、いかばかりであったか。
 もし、誰かが強引に書く手段を奪ったとしたら、きっと嘆くだろうが、いずれは、仕方がないことだったと諦められるのに。書けないことを、奪った者のせいにすることができる。書けないことを、自分のせいだと思わなくていい。誰かのせいにして、書くことを諦められる。強引にでも取り上げられてしまえば、もう、書きたいとう気持ちを持っていなくてもいい。書きたいという気持ちが、いつでもこの地獄に自分を引き止める。
 先生はずっと、この創作の無限地獄から連れ出してくれる手を待っていたのだと思います。たとえ書くことを引き渡しても、楽になってしまいたかった。無意識にそれを望んでいたように思うのです。

『いかにもお金がなく、人の良さそうな君を見て、僕はその愚かな発想の通り、利き手の使えなくなった小説家のふりをしてみることにした』

 書けなくなった作家が、書ける作家のふりをする。本当は書けるけれど、利き手が使えないから書くことができないだけ。その偽りには、何だかとても自虐的な匂いを感じます。
 「利き手の使えない作家をやるのって、面白いかなって」と先生は言いましたが、それはきっと、「滑稽で」面白い、ということも含んでいますよね。
 自尊心をあえて傷つけるような偽りは、自傷行為のようにも思えます。そうやって、自分を罰するこで、少しでも書けない痛みを和らげたかったのかもしれません。
 そしてまた、書ける自分になっていられる間は、書けない苦しみからも逃れられる。先生は自分で自分に魔法をかけました。だからそれは、いつかは醒める夢だと分かっていた。けれどそれでも、それだからこそ、久住くんとの時間が楽しかったんだと思います。

『なんでそんなバカなことをしたのかと君は当然疑問に思うでしょう。それは、今思えば、寂しさを紛らわしたかったのかもしれない』

 嘘をついた一番の理由は「寂しかった」からだと。この、屈託のない言葉に、先生の孤独が、いかに長い時をかけ、深く刻まれたものであったかを思わずにはいられません。
 先生はずっと寂しかった。寂しくて寂しくて、その寂しさを満たしてくれる存在が欲しかった。純文学も城戸さんも官能小説も、孤独を生み出しこそすれ、その本当の寂しさを癒すことはありませんでした。スランプという抜け出せないトンネルの先に見えた小さな光が、久住くんだったのかもしれません。

『僕は長い間、創作の限界という闇と、孤独に戦っていました。作家の端くれとして僕は人生を削りながら書いてきたつもりです。それがたとえ、読み捨てにされる三文エロ小説であろうと。でも、もう僕の中には、削り取るものがないように感じるのです。空っぽなのです』

 先生の戦ってきた、創作の限界という闇。先生は、自分を認めなかった父親との真実を曝け出して書いた処女作で純文学の賞を取ります。けれどそれ以上に晒すものがなかった。だからつまらなくて売れないものし書けなくなりました。担当とケンカ別れして「干されて」いたわけです。一度目の挫折でした。でもこの時はまだ、書くということの本質にも気づいていなかったのかもしれません。
 城戸さんと再会し、蒲生田先生に弟子入りし、先生は自分の中の欲望に向き合うことで、ようやく官能小説家として職を得ます。蒲生田先生は惜しげなく弟子に書くことの本質を教えました。書くことは、真実自分自身の欲望を描くことだと知り、好きになった城戸さんを、求め欲望する自分を解放することによって、官能小説家としての一歩を踏み出しました。けれど、求めても得られない城戸さんとの関係は、先生の欲望を摩耗させていったのだと思います。嘘やごまかしで自分の欲望を偽る行為が、よりいっそう先生の身を削ったのかもしれません。そしてとうとう城戸さんが結婚し家庭人となり完全に人のものになった時、先生の中の欲望が枯渇したのだと思います。削り取るものをなくして、空っぽになって、先生は書けなくなりました。きっと小説しか書いてこなかった先生は、人生そのものを失ったような感覚に陥ったのかもしれません。人生を削る創作は、削るものがなくなったとき、限界を迎える。それを先生は、二度の経験で嫌というほど思い知ったのだと思います。
 先生は原作の中で、駆け付けた久住くんにこう言っています。

「ふと、誰のために、何のために書いているのか、わからなくなった。そしたら、1行だって書けなくなってしまった。つまりよくある話さ。僕には才能がなかった」
 
 才能なんかなかった。ただ、沸いたものを削っていたたけだった。削り取って曝け出すものがなくなったら書けなくなるなんて、それは、本当の才能とはいえないのではないか?
 真実を曝け出す者にしか本物が書けないなら、曝け出す真実がもうない者には、本物は書けない。自分が今まで才能だと思ってきたもの、城戸さんを嫉妬させ世間の事情に押しやったそれは、本物ではなかった。才能なんてどこにもなかった。
 たとえば、久住くんがトンネルの向こうの光だったとして。久住くんを欲望する自分を解放したとして。万が一、また書けるようになる未来があったとして。久住くんとの関係が終わればまた書けなくなる。

 才能のない僕は、終わりをただ先延ばしにするだけなんじゃないか。
 じゃあ何のために書くのか。誰のために? 読み捨てにされるエロの三文小説を、自分のために書くのか? こんなもののために、彼の将来を縛っていいのか。そんなことをして書いて何になる。書くことに果たして意味なんかあるのか。わからなくなってしまった。
 久住くんを失ったら、また書けなくなる。全部徒労じゃないか。そんな痛みに二度も耐えられるわけがない。怖い。傷つきたくない。もう、繰り返すのはうんざりだ。
 どうせ今だって、一行だって書けてやしない。
 書くことができないなら、書くことを止めたって同じこと。単純に、もう、書かない、そう決めればいい。書けないことを認めてやればいい。書くことを諦める。書きたい気持ちを手放せば、楽になれる。作家をやめれば、この苦しみから逃れられる。

 先生はずっと、誰かがこの書けない地獄を終わらせて欲しかった。けれど、それを終わらせてくれる人は現れない。それなら、自分でこの苦しみを終わりにするしかない。
 先生は、久住くんに「気づくとは思わなかったんだ」と言っているけれど、気づかれないはずがないと思うのです。そもそも「僕の本、次までに何冊か読んできてもらっていいかな」と初めに言ったのは先生でしたよね。次の本に「愛のいけにえ」を選んだ時に、なんで隠しておかなかったのでしょう。
 先生は心のどこかで、久住くんが嘘を暴いてくれることを期待していた。
寂しさを紛らわせたくて嘘をつく。けれども本当はその嘘を暴き、寂しさを知って欲しい。矛盾しています。
 孤独は嫌だ、もう独りには戻りたくない。愛が欲しいと足掻いている。心の奥には、そんな子供みたいな先生がいる気がするのです。

 そして、創作の限界という闇、に立ち返るとき、創作がいかに先生の魂に根差したものであったのかを、想わずにはいられません。
 先生の創作は、心の苦悩を描いた私小説が原点であり、それが認められることによって、傷ついた痛みを癒やした。それは、きっと己が肯定されることの代償でした。官能小説もまた、欲望という真実に焦点を当て、己を解放することでした。
 それが、書けなくなったということは、先生は根源から自分自身を否定してしまった、ということだと思うのです。
 先生は、とうとう、愛されない自分を受け入れることができなくなった。
 愛される価値がない、空っぽな自分に絶望したんだと思うのです。均衡が崩れて、孤独に耐えられなくなった。
 だから先生は、久住くんを見つけた時、手を伸ばさずにはいられなかった。
 久住くんが、先生の孤独を救ってくれる存在だと感じたからです。
 嘘の中に身を置いて、自信に満ちた自分を演じることで、先生はどうにか愛されない自分から目を背けていました。
 けれど、どうしたって、書けない事実は変わらない。創作をできない現状が、愛されてこなかかった自分を、突き付けてくる。
 愛されるはずがないという疑心暗鬼が、久住くんの愛を受け取ることを拒みました。
 書けないということは、先生にとっては愛されないということと同義だったと思うのです。だから、どうしても踏み出すことができなかった。書きたい気持ちを否定し愛されたい気持ちを押し込めたままでは、前に進めるはずがない。
 そうして先生は、書きたい自分も愛が欲しい自分も認めることができないまま、久住くんとの関係を壊すしかありませんでした。

『つまらない言い訳が、長くなってしまいましたね。このメールを出そうと思ったのは君にお詫びとお別れが言いたかったからです』
『今回のことがあり、僕は軽率な自分を深く反省し、同時にこれまでの人生の一切を清算しようと思い立ちました。僕はこの世界にもう何も未練はありません』

 先生は、作家をやめるという決断をしたことで、はじめて素の自分に戻ることができました。創作という枷を取り払い、愛されない自分ごと、全部葬り去ることにした。
 作家であることを捨ててしまえば、無価値で愛されない自分も直視しなくても済む。先生は自ら左腕を捥いで、最後には自分の人生そのものを壊し、命とも思える創作をやめました。原作では「死出の旅と思える地へ」と、それは実家のことだと冗談交じりに言っていますが、たぶん死ぬも同然、という気持ちもあったのではないでしょうか。
 そうしてみてはじめて、久住くんの感じたであろう痛みにも思い到ったのだと思います。
だから、謝罪と別れのメールを送ることにしました。
 作家をやめる、という決断はまた、逃亡であると同時に、一種の贖罪でもありました。久住くんを傷つけた事への贖い。犯した罪に対する罰だったのだと思います。
 罰されることによって許されたい、と先生は思ったのかもしれません。

 けれど、とうとう先生は最後まで、愛されない自分に向き合うことができませんでした。結局、全部を投げ捨てた。やっぱり先生はどこまでも嘘つきで。最後の最後まで自分を偽って、創作も自分も葬り去ることで、愛されない痛みもなかったことにしようとしたんだと思うのです。
 空っぽで、孤独で、寂しくて、才能もない、どうしようもない自分。好きな人を傷つけても保身を止められなかった。自分が許せない。心底嫌になる。それなら、この地獄を終わらせてしまえ。もう楽になってもいいだろう? 作家としては死ぬけれど、きっと安らかな世界だ。身を削ることもない、書けなくなることに怯えることもない。もう、苦しまなくてもいい。だから、終わりにしてしまおう。
 結局、先生はこういう方法でしか、痛みから逃れる術を知らない。
 過ちをおかした自分を省みることはできても、自分の真実には向き合えない人です。

『たくさん嘘をついてきた僕ですが、これだけは真実です。君と過ごしたひと月半、僕はとても楽しかった。とても…。本当にとても…。ありがとう。君に光輝く未来を』

 君との未来を恐れたのも本当、君の未来を願ったのも本当。本当に最後まで、仕方のない人。それでも、そんな先生が、自分自身さえ偽りで満たしてしまった先生が、唯一、真実だと思えたものが、久住くんと過ごした、「楽しい」という感情だったんだな、と。涙が出そうになるのでした。

◆久住くんとの再会◆

 そして久住くんは、先生からのメールを受け取り、先生の家にすっ飛んできます。先生の名前を呼びながら家中を探しまわって、残された先生の鞄に気づいたところで、先生が帰ってきて。
 メールを「間違って送っちゃったんだよ」という先生は、もしかしたら、全部を引き揚げてから、それを送るつもりだったのかもしれません。もう、久住くんとは会うつもりはなかったのかもしれない。
 けれど、図らずも久住くんと直接話す機会がおとずれます。
 絶望には向き合わないことにした先生は「憑き物が落ちたみたい」にくつろいだ表情をしていました。「この世界にもう何も未練はありません」という言葉を体現するような、凪のように静かな自然体の先生です。
 久住くんは、「先生が本当に苦しんでいるなら、俺は力になりたい」と思っていたんですよね。でも、実際に会った先生は、もうその苦しみを捨ててしまっていた。先生は、もう深い一線を引いて久住くんの手の届かない、あちら側の世界に行ってしまったようでした。きっと、久住くんが何を言っても、先生の決心が揺らぐことはない。覆すことなんかできないとわかっていても、久住くんは、抵抗せずにはいられなくて。先生の一言一言にちょっとした苦言を呈さずにはいられなかった。引き止めたくても引き止められない自分を、きっともどかしく感じたのではないかと思います。
 そして、でも久住くんは、どうしたら先生の力になれるか、ずっと考えていたのではないか。

 「先生、先生はいいんですか、それで本当に」と聞く久住くんに、先生は「いいんだ」と答えます。でも、久住くんは、先生にとってそれがいいこと、だとは思えなかった。考えて考えて、最後に、先生が言っていた「誰のために、何のために書いているのかわからなくなった」(原作)という言葉に思い到ったんじゃないか。
 だから、先生との別れる間際、久住くんは、「悪かったと思うなら、最後に、俺のためになんか書いてくれませんか」と言ったんだと思います。
 先生が、誰のために書いているかわからなくなったのなら、俺があなたの書く理由になれませんか、と。
だから「どんなに時間がかかってもいいんです。なんでもいいんだけど……」と考えて。
 「俺が俺の好きそうな、俺の抜けそうな小説とか」と提案した。
 「面白いこと考えるなぁ」と久住くんの好みに思い巡らす先生は、どこか楽し気でした。
 「ネタになりそ」と言いながら久住くんのことをメモに書き留めていた姿と重なりました。久住くんは、最初から確かに、創作への欲望を掻き立てる人でした。
 そういう創作への衝動が一気に蘇り、先生の激情の扉を開いたのかもしれません。

◆先生の真実◆


「本を書けって君……ひどい奴だな」
「大丈夫ですよ。書けます」
「無理だよっ。本当に本当に長いこと、一行だって書いてないんだ。でも…、書きたい……、書きたいんだ……!ずっと……、ずっと…」
「書けます」
「書きたいんだ、僕は…、書きたい…」
「大丈夫ですよ。大丈夫、大丈夫…」

 先生は、やっと先生は、「書きたい」気持ちを認められました。ずっと、偽りで抑えつけ、筆を絶って封をした、“書きたいんだ”、という想いを溢れさせた。
 涙をポロと零しながら、あの嘘つきな先生が、本心をあらわにする。子供みたいに素直に、真情を曝してしまうのです。
 「書きたい」という叫びは、「本当は、愛したい、愛されたいんだ」という吐露と同じでした。そして、先生は、「書けます」という言葉が欲しかった。一番望んでいた言葉を貰いました。あなたは、愛することができる。愛されても、ちゃんと、大丈夫。本当にずっと、先生は心から、そう言われることを求めていました。

◆久住くんの真っすぐが、先生にもたらしたもの◆

 久住くんは、先生が無理やり閉じた蓋を、再び開けました。もうやめた、と言っている先生を引き戻した。久住くんの真っすぐな想いが、先生の書きたい、愛したい、という欲望を解放しんだと思います。
いつだって、久住くんのそういう清廉さは、保護膜のような嘘を溶かしてしまう。頑なに閉じようとする扉を取り払い、心の中に踏み込んでいく。

 その昔、先生が城戸さんと出会ったころ、城戸さんは先生にポルノ作家になることを勧めた時にこう言いました。「俺は木島くんのファンなんだよ」「やっぱりすごい才能があると思うんだよ」「俺出たやつ全部読んでるんだぜ」「書き続けて欲しいよ、勿体ないよ」と。その時先生はポルノ作家になってもいいかと思うほど、とても嬉しかった。けれど、その言葉は、自分の仕事を否定されてプライドを傷つけられた城戸さんの、憤りから出たものでした。傲慢なことをいう先生を「グチャグチャに」貶めてやりたいという歪んだ嫉妬心が言わせた言葉でした。 
 先生は、城戸さんの屈折した想いを知った時、この言葉が純粋な称賛から出たものではないことにも、気づいたのではないかと思います。好きになった人の、一番の理解者だと思っていた人の欺瞞に、先生はとても傷ついた。先生が、「純文崩れ」「低俗なもの」「底辺」、と自分の作家としての立ち位置をどうしても卑下してしまうのは、こういう始まりであったからかもしれません。
 しかし、この城戸さんの言葉、どこかで聞き覚えがありますよね。そうです、久住くんです。
 「先生の作品好きだし…自分の才能をちゃんと活かしてて素晴らしい作家じゃないですか」だから先生は、この言葉を聞いて「わかったようなことを言わないでくれないか!」と声を荒げた。
 「気づきますよ!俺、先生の作品、ほど読破しましたから!」ずいぶん昔に、言われたことがあった。先生は、二重の意味で驚愕したと思う。

 そして、「俺のために、なんか書いてくれませんか」と久住くんは言いました。
その言葉には嘘がなかった。すこしの曇りもない。傷ついて嘘を感じて捨てた言葉たちを、久住くんはもう一度、先生に投げかけてくれました。久住くんの性格そのままに、真っすぐで、真っ正直で、率直で。一直線に、先生の心に届いたんだと思うのです。

◆互いを知るということ◆

 それから、久住くんは泣いてしまった先生に「大丈夫、大丈夫」と声をかけて、あやすみたいに優しく背を撫でて微笑むのですよね。なんだか、久住くんの包み込むような温かさに、心が浸されていくようでした。先生もまた、久住くんに縋るように身を預けて、きっと久住くんの温もりを感じたのかなって。いたわるように先生の涙を拭う久住くんと、そんな久住くんを見つめる先生から、互いの心を寄せ合い信じる空気が伝わってくる。一旦はそれぞれの手を放したけれど、二人は確実に、それだけのものをひと月半、積み上げていたのだな、と思える。久住くんの手が肩におりて、先生の手が久住くんをとらえて。

「…もっと君のこと、教えてくれないか。知りたいんだ」

 どちらともなく吸い寄せられるような。今までのことをじっと確かめ合うような触れるだけのキス。それから互いをもっと知るための……。涙のあとを光がたどって、わずかに涙が溶けた唇を重ねて。惹かれ合う二人がとてもいとけなくて、溢れる想いが純化したような、あんな澄んだ口づけを私は見たことがなかった。

 久住くんはずっと、先生のことをもっと知りたくて、と言っていました。「先生のことをもっと知りたくなって」先生が書いた本を借りてきて……、「先生の作品が好きだったし、あんたのこともっとよく知りたくて」先生の作品をほぼ読破して……。そうやって久住くんは、先生の創作を読むことで、先生自身を知ろうとしてくれていたのですよね。それは久住君が、先生の小説をただの官能小説ではなく、先生自身を知ることができるものだと、感じていたとうことですよね。久住くんは作家ではないけれど、小説を読む側として、そういう創作の本質をわかっていたのではないかな。
 だから、先生は、それに応えたかった。「僕も君のことが知りたい。初めて、知りたいと思う。君のことを、僕にも教えてくれないか」ということなのではないかと思いました。ああ、こんな慎ましやかな、一途な愛の告白があるでしょうか。

◆先生にとっての久住くん◆

 先生にとって、創作を好きだと言ってもらえることは、自分自身を好きだと言ってもらえることと同じくらい、重要な意味を持っていた気がします。創作は真実の発露であり、偽りでかためた先生自身を愛されても信じられない、そんな心理もあったのかもしれない。先生は、創作も自分自身も愛してくれる人でなければ満たされなかった。
 先生が求めていた理想的な父親は、「僕が愛する世界を愛し理解してくれる人」でした。けれど得られなかった。蒲生田先生も失い、城戸さんは、創作を愛してはくれましたが、先生自身を愛してはくれませんでした。
 本当は欲しくてたまらないのに、愛を手に入れるのが怖くて、欲しい自分を偽るような人でした。弱さを曝して生きられない人でした。だからずっと孤独で寂しかった。
 先生は、先生が愛する世界も、先生自身も、全てを愛し肯定してくれる人を求めていました。片方だけでは満足できない、愛に餓えた欲張りな人です。
 どんなにか、先生が寂しかったか。どんなにか、久住くんといることが楽しかったか。
 久住くんは先生を丸ごと愛してくれた、初めての人でした。そしてまた、求めることに臆病になっていた先生が、初めて手を伸ばした人でした。
 久住くんは、先生の嘘を敏く見抜いたりはできないけれど、その奥に隠れている真情を感じることができる。先生が作るまやかしに惑わされたりしない。見誤ったりもしない。先生の本心の在処がわかる。だから、先生の一番欲しい言葉を投げかけることができる。
 もう先生は、自分を偽る嘘を手放して、ただただ、愛する人の前に在ったのだと思いました。本当にずっと長いこと素直になれなかった先生が、素裸の自分で、愛する人に向き合えた瞬間だったのではないかと思いました。
 そうして、久住くんは先生にとって、唯一無二の宝物になったのだと思うのです。

◆重なった距離◆


「少し寝てなよ」
「いや、でも電車の時間あるでしょ。」
「まだ大丈夫。起こしてあげるから」


 互いを確かめ合って一夜を明かした後の、物静かな時間。先生は久住くんを安心させるような嘘をついて、久住くんを置いて行ってしまうのですよね。
「僕は嘘つきだけど 約束は守るよ」
 とそっと囁いて。
 僕は嘘つきだし、さようならは言わずに行くけれど、君との約束は守るよ。君が、書いてほしい、と言ってくれたから、僕は書いてみようと思う。君のことをもっと知りたいと思えたから、書ける気がするんだ。君と僕の物語を。
 なんだかそんな先生の想いが溢れている気がして……。先生の満ち足りたような穏やかな声が柔らかに響いて。とても心打たれるのですよね。 
 先生の愛おしそうなキスに、ほっと気が緩んで久住くんは眠りに引き込まれていってしまうんですね。
もし先生がお別れだと言うなら、俺もちゃんと先生を見送りたい、でも、これで終わりじゃないですよね。少しだけ寝たら、もっと先生と話がしたい。これまでのことも、これからのことも。だから今だけ……。
 そう思いながら眠ってしまったのだろうか。起きて先生が隣に居ないことに気がついて鍵を見て、久住君の、(やっぱりな。ああ、もう)という消沈と悔しさと、「先生……。」という声が聞こえてきそうで。とても胸が掻き乱されました。

◆久住くんとの別れ◆

 どうして先生は、久住くんを起こすことなく行ってしまったんだろう。
 たぶん先生自身だって、久住くんと離れ難かったんじゃないかな。
 もし久住くんに見送られたりしたら、余計に一緒に居たいと思ってしまう。だから声をかけなかった。残される久住くんのことより、不都合からすぐそうやって顔を背けようとするところが、全く先生らしいなと、思ったりしました。

 そしてつい、久住くんとそのまま共にいる、という選択肢はなかったのだろうか、とも思ってしまうのです…。でも、やはりそうすることはできなかった。
 先生は、久住くんとの未来のために、一旦ゼロに戻ってやり直すことを選んだ、という気がします。(まぁ単純に貯金が尽きて、お金のない久住くんのところに転がり込むわけにはいかなかった、っていう現実的な問題もあるかもしれないけれど)
 創作が先生自身の人生そのものであるなら、具体的なことはまだ何も見えていない。
 「本当に本当に長いこと、一行だって書いていないんだ」と言った先生が、「書きたい」という気持ちを認め、「書けます」という言葉を貰い、けれどもそれが本当に「書ける」に繋がるのか。先生自身が一番、疑わしく不安で怖いと思っていたはずです。一朝一夕に戻れたらきっと一年半も苦悩しない。けれどもそれを、先生が「約束は果たすよ」と口にすることができた。
 先生の口調はとても穏やかだったけれど、その決意はとても重いと思っています。「書く」と約束したことは、作家廃業の撤回、みたいな安易なものではなく、それこそ「作家をやめる」なみの決断であり、大事だったのではないかと思うのです。
 それは、一旦は捨てた地獄の苦しみにまた引き返すことだからです。きっと、それは言うほど簡単なことではない。先生が再び書くためには、己の本質に向き合うことを避けては通れません。それをしたくなくて、できなくて、そうするぐらいなら全部捨てる、と逃亡した先生です。もしかしたら、そこにはこれまで以上の地獄が待っているかもしれない。

 先生が久住くんと踏み出した一歩は、大きな、確かなものではあったけれど、先生自身の問題がすべて解決したかと問われれば、そうではない。人間の本質なんて、そうそう変わりません。次の日から真っ新な自分です、とはならない。一つ一つの事柄を積み上げて、徐々に癒されたり変わっていったりするものなんじゃないか。
 たとえばあの後、先生が久住くんと一緒にいる方法を探したとして。それで今までと同じことを繰り返さずにいれられるか、といったら、やっぱり答えはNoだと思う。
 先生は自分に都合よく流されやすい人です。
 なし崩し的に関係を深めても、きっと先生は自立できないと思う。相手に委ね頼るだけの愛では、依存するだけで終わる。愛されない自分を受け容れないままでは、愛をいくら貰っても、その愛を心から信じることはできない。それができなければまた、自分から人を愛することも難しい。先生自身が変わらなければ、久住くんとの未来にも、同じ苦しみが待っているように思える。
 だから、そうならないために、先生は過去の自分と対峙して、自分の本を見つめることが必要だったんじゃないか、と思うのです。
 しかし、先生がそう思えるところまで導いたのは、やっぱり久住くんの真っすぐさだったと思うのです。偽りに隠れた本心を直視して認められたから、先生はその先にも逃げずに踏み出そうと思えたのではないか、と思います。

◆創作の原点と再生の物語◆

 そして先生は、実家に帰り、久住くんと先生の物語「愛欲のエクリチュール」を書き上げます。先生は、それを一人称で綴った。視点が「私」だということは、「私」が見たり感じたことを、そのまま書いたということです。そこには「私」の想いと、その欲望が、きっと赤裸々に語られていたはずです。

「彼の…青く硬くそそり立った衝動が…私の乾いた粘膜を熱く溶かしていく」

 それは久住くんへの恋文であると同時に、自身を見つめ直し、過去の自分と邂逅することでもあったのではないか。先生の新境地は、まさに純文学の私小説のようだった、と想像します。それは、小説家木島理生の再スタートであり、先生自身の再生の物語でもあったのだな、と思うのです。
 そしてまた、先生は実家に帰ったことにより、自分の創作の原点にも向き合うことになったのではないか。家族と過ごす中で、私小説の源泉になった、父親との軋轢をもう一度見つめ直した。
 先生の父親が死んだとき、先生は葬式にも出ませんでした。先生はずっと、自分を理解しなかった父親を許せなかった。その父親を許すことはきっと、愛されなかった自分自身を許すことでもあったはずです。
 そうして先生は、傲慢だった過去の自分や、城戸さんとの関係にも、目を向けていった。
 先生が自分に巣食う無価値感を正面から受け止めた時、一度は見失った、なぜ自分は書くのか(誰のために何のために書くのか)ということにも、立ち返ったのだと思う。
 久住くんとの出会いが先生を、創作と自身の原点まで、遡らせてくれたのではないかと思う。
 だから先生は、久住くんから離れた後も、久住くんの存在とあのひと夏の出来事を、きっと繰り返し繰り返し、思い返した。

「あの日を一生、忘れない」

 この言葉は、先生がこれからもそうやって、久住くんのことを思い続けていく、ということなのだと思うのです。過去のものではなく、これからもずっと、一生、忘れないのだと。久住くんとの未来に向けて送り出された言葉のように感じられました。

◆久住くんの手紙◆

 久住くんの手紙を先生はとても楽しみにしていました。先生は久住君の字が好きでした。久住くんの手紙は、見るたびに先生をあの日々へと運んだのだと思います。久住くんが“俺と先生の物語”を何度も読み返すように、先生もまた久住くんの手紙を何度も何度も読み返したんだと思うのです。

(木島理生 様)
(拝啓)
(春暖)の候、いかがお過ごしでしょうか。こちらは桜(も咲き始めて)
(いますが、そちらは)まだ蕾(ですか)?俺も、就職活動に本腰を入れて職
(場訪問をしないと)いけない(ところ)まで差し迫ってきました。代理店や出版を
(受けていま)すが、なかなか現実は厳しく…。
(新刊)拝読しました。あの夜の俺が先生にお願いした事、覚えてい
(てくれましたね。そして) ようやく約束を守ってくれましたね。
勘違いだったらごめんなさい。「愛欲のエクリチュール」は俺と先生の物語
ですよね。先生と過ごしたあのひと夏のことは、今でもはっきりと脳裏
に焼き付いています。今すぐ先生に会いたい。でもまだ会えない。
何となくそう思うのです。その時が来るまで何度もこの本を
読みます。本の中に先生がいるから。
俺が迎えに行く日まで、どうか元気でお体大切に。
煙草も少し減らした方がいいですよ。

                             敬 具
                                   久住春彦


               *注(( )内は妄想で補いました)

 口から出た言葉というのは、形なく流れて消えていってしまうものではないかと思います。でも、文章に書き起こされて紙の上にとどめられた言葉は、消えることがありません。変わってしまうこともない。久住くんが手紙の中で言っていたように、久住くんの手紙を読めば、いつでもそこに久住くんがいるのです。だから、先生は久住くんの手紙を楽しみに待っていたし、あの日々に繋がる久住くんの文字と言葉はきっと、向き合う先生を勇気付けた気がするのです。
 きっと度々届く久住くんの手紙には、久住くんの先生への想いがたくさん詰まっていた。
 遠く離れているけれど、確かな言葉を受け取ることができる、嘘をついたりごまかしたりしなくてもいい、そういう距離感が先生にとっては良かったのかもしれない。

◆久住くんの想い◆

 そして久住くんもまた、先生のことをたくさん考えたのではないかと思いました。
 先生がメールで言っていた「寂しかった」理由や、先生がなんで作家をやめるのか。やっぱり自分とのことが直接的な原因になってしまったのか。久住くんは、先生の書く作品が好き、と言っていたし、真面目なところがあるから余計に責任を感じたかもしれません。
 「先生が本当に苦しんでいるなら、力になりたい」と思っていた久住くんは、それでも結局、置いて行かれてしまった。だから、先生の新刊を店頭で見るまでの半年、本当に先生の力になれたのだろうか、という疑問を抱えながら過ごしたのではないかと思うのです。
 何となく、久住君は先生が書いていたことを知らなかったのかな、という気がします。もしかしたら、先生の方から連絡することさえしていなかったのかも。
 久住くんの手紙の「あの夜の僕がお願いしたこと、覚えてい(てくれましたね。)ようやく約束を守ってくれましたね」という文面と、偶然、新刊を見つけた雰囲気から、そう思いました。
 先生は、書きあがって出版されるまで、「愛欲のエクリチュール」のことを黙っていた。怖がりな先生は、ちゃんと形になるまでは言わないでおこうと思ったのかもしれません。
 だから、献本はいらなくても、形になって久住くんの目に触れることを「ずっと待っていた」。のではないかと思いました。

 そしてその間、久住くんは久住くんで、真剣に、先生とのこれからを考えていた。
 先生が自分から明確に距離を置こうとしたきっかけが、自分が将来の不安を口にしたことだ、と気づいた。それにたとえ自分が、一緒にいたいと言ったところで、現実が許さない。お金のない学生の自分と、貯金のない無職の先生が一緒に暮らすことは難しい。
 どうすれば、先生と一緒にいても、先生が苦しくならずにいられるのか。
 もし、先生が自分との先を考えてくれなかった理由が、自分が学生で若者だったということなら、自分はちゃんと自立した社会人にならないといけない。
 きっと、先生と対等に向き合える自分でないと、先生を支えることはできない。

「今すぐ先生に会いたい。でもまだ会えない」

 だから、自分の人生に責任を持ち、背負えるようになるまでは、先生に会えない。
 先生との未来を考えるために、一人前になる。
 そう決心して、久住くんは先生と会わないことを選んだんだと思います。

「俺が迎えに行く日まで、どうか元気でお体大切に」

 先生を支えられる自分になったら、必ず迎えに行きます。それまで元気でいてください。

◆二人が紡ぐ未来◆

 先生は、久住くんの手紙を読んだあとに、ちょっと煙草を見て火を消します。
 自分の体には無頓着そうな先生が、ちゃんと久住くんの言うことには素直に従う。
 久住くんの言葉は、しっかりと先生に伝わり、先生もそれを受け入れた。
 そんな風に思えて、二人の紡ぐ未来はきっと明るいんだろう、と想像しました。

 二年半という時間は、長いようで短かったのではないかと思います。
 二人が、二人の未来に踏み出すために必要な時間だったんじゃないかと思います。
 久住くんが新刊を手に取ったのは、ドラマでは半年後でした。
 原作では、雪が降って桜が咲いて、一年半後くらいかもしれません。
 桜の花を見て微笑む先生は、本当にとても綺麗でした。
 久住くんの手紙を見て「あの日を一生、忘れない」と言ったドラマの先生は、きっともう、久住くんとのその先を、見ている先生なんだと思いました。

 ゆっくりと時間をかけて、先生が楽になれるといい。
 丸ごと受け止めてくれた久住くんを信じて、久住くんが語る言葉を信じて、久住くんが信じる先生自身を、自分でもしっかりと信じていく。
 そうして、先生が少しでも肩の荷を下ろし、力を抜いて創作できるようになったらいいと思いました。

 後日談で、久住くんが訪ねてきた時の先生は、ちょっと角が取れて丸くなったみたいでした。
 「僕だってずっと…」と言えた先生がとても自然体だった。
 それから理生さん、ハルくんと呼び合うようになって……
 会わなかった時間を取り戻すみたいに、距離を縮めていく二人が。とても愛おしくなりました。
 そして何より、先生が東京で再び城戸さんに会った時のこと。
 先生はまだ小さい炎が燻っている城戸さんに「城戸くんまたね」と言うことができた。あの時から時間が止めている城戸さんに「またね」と微笑むことができた。
 ああ、先生は本当に、城戸さんのことを過去の事にできたんだなぁと思いました。
 先生は、ちゃんと前に進めたから、城戸さんを振り返って「またね」と言えたんだと思う。
 労わりと優しさと許し。城戸さんにそうできた先生は、きっと、過去に囚われていた自分自身を許すことができたんだろう。
 先生は久住くんとの未来へちゃんと歩み出しているんだな、と思えて、胸が熱くなりました。きっと、先生はもう大丈夫、そうと思えたのがとても嬉しかった。

 虚構の中の人にこんな感情を抱くのはおかしいかもしれないけれど、敢えて言わせてください。
 これからもずっと、久住くんと一緒に暮らしながら、ゆっくり年を重ねていって欲しい。そしていつか、先生が久住くんと一緒に、お父さんのお墓参りに行けたらいいですね。

◆終わりに◆

さて、長々と綴ってきましたが、ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。 きっかけはドラマでしたが、私はポルノグラファーという物語がすごく好きです。
 そしてまた、ドラマを見、原作を読んで、木島理生という人に本当に心魅かれてしまいました。ドラマの先生を観ては、瑞々しい存在感に眩暈がし、原作を読んでは、その奥深さに打ちのめされ、どんどんと沼底に引き込まれていきました。知れば知るほど、もっと知りたいと思うようになり、このような妄想と感想混じりの考察を書くにいたりました。
 ポルノグラファーで描かれる人物たちは、本当に奥行きがあって、生々しく人生を生きていて、物語を読むと、彼らの一部を切り取って見せられているような感じがします。だからこそ、もっと、読み解いてみたいと思ってしまったのかもしれません。
 そしてまた、ドラマを観なければ、ここまでポルノグラファーに嵌ることはなかったかもしれません。木島理生という人が、実在する人間の確かさや、真に迫る鮮やかさをもって、立体的に映し出されていました。
 そこには、作り手側の繊細な眼差しと真摯な姿勢がありました。
 俳優さんたちの演技の説得力など全てが合わさり、本当に素晴らしい世界を見せていただいたと、感謝しております。
 私の中の木島先生は、今まで書いてきたこのような人ですが、きっと、皆様それぞれに、思い浮かべる姿があることと思います。私的なバイアスがかかっているので、描かれた意図から外れることもあるかもしれませんし、これからも捉え方は変わるかもしれません。妄想補完8割です。その程度に刹那的なものと思っていただけると嬉しいです。
 今回は木島先生に焦点を当てましたが、城戸さんや久住くんについてもまた、もう少しじっくり考えられたらいいな。
 最後まで読んで下さり、どうもありがとうございました。

(2018年9月30日 稿)

 この考察を書いたのは、原作者の丸木戸マキ先生も「続・春的生活」「プレイバック」を描かれる前でしたので、今読むと夢ゆめしくエモーショナルで個人的願望が多いと感じます。今はもう少し冷静かもしれません。木島理生さんが実家に帰った後のことについても、今ならもう少し淡白に捉えるかな。
 また、当時はまだ城戸さんや「インディゴの気分」はドラマ化されておらず、原作ベースの過去の木島理生さんからドラマを解釈するという捩れ現象が起きています。今は原作は原作、ドラマはドラマ、と分けて考えたいと思っていますが、ドラマ視聴後の熱を懐かしむ気持ちで、そのまま載せました。手紙についても円盤の特典になるなんて予想もしてなかったので、(内容はドラマオリジナルですし)当時どうにか内容を補填して考えたいと必死でした。わりと違っていて笑ってしまうのですが、ぜひ「ポルノグラファー」のDVDで現物を確認してくださいませ。
 さて、FODでは「春的生活」も配信され、「劇場版ポルノグラファー〜プレイバック」の公開も間近です。映画ではどんな木島理生さんが描かれるのか楽しみすぎて夜も寝られません。「インディゴの気分」を観て確信したのですが、きっと、三木康一郎監督と竹財輝之助さんならではの木島像が、鮮やかに映し出されるのでないでしょうか。映像の表現の新鮮さや豊潤さをドップたっぷり堪能したいと思います!

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