55歳会社員。人生先延ばし中。
私は、今年で55歳になる会社員。
55年前、団塊の世代ジュニアとしてこの世に誕生した。
55年の人間生活を通じて思うのは、人間はとても優柔不断であるということ。
だが、私は、過去に、一つだけ大きな過ちを犯してしまった。
それは、小学3年生の時に親から地元のラグビークラブに入るか聞かれ、、、
「うん、やる、高校生になったら、花園に出て活躍する」
と言ってしまったのだ。
この時から高校卒業するまでは私の人生は、どうやったら花園に出場できるか、この目的のためにすべて費やされた。
本当に文字通り、朝から晩まで学校の授業以外の時間はラグビーの練習に費やした。
また、実家がマンションの12階であったが、雨の日も雪の日も台風の日も、エレベータの代わりに階段をつかって足腰を鍛えた。
さらには、中学と高校の間はいつも手首に鉛の板を巻き、運動靴に鉛の板のソールを入れて生活していた。
ただ、そうした努力の甲斐もなく、結局は花園には行けなかった。
今思い返せば、自分がラグビーをするという道を選択肢したがために、その責任と格闘し続けて生きていたような気がする。
全ては、ラグビーをするという人生の選択をしたがために始まった悲劇である。
うかつに人生の重大な選択なんてするもんじゃない。
これが私の学んだことだ。
この時、私は誓った。
”これからの人生、何かの選択に迫られたら、可能な限り先送りする”
これを人生のモットーにしていこうと。
もう、2度と中途半端に人生のしないで生きていいこうと。
ラグビーのことしか考えずに生きてきた18歳の私は、まず、高校卒業後の進路の選択を迫られた。
進学するかどうか、進学するとしたら理系か文系か、学部や学科はどうするか、こういったややこしい選択である。
私は早速、人生のモットーに基づいて考えた。
「理系か文系かどっちにするか、、、理系なら将来文系に変更することも可能だから理系一択だな、、、次に、学部や学科はどうするか、理系の中で最もつぶしが効くのが情報工学科だと学校の先生が言っていたな、よし、情報工学科にしよう、あとは自分の実力でいけるなるべく偏差値が高い大学を目指すだけだな」
そもそも、18歳や19歳の人間が人生の選択をするなどできっこない。
ということで、とりあえず、ややこしい選択を全て先延ばししたのである。
次に大きな選択を迫られたのは大学卒業後の進路である。
理系の大学の学生は大学院に進んで研究を続ける人も結構いたが、その選択肢は私にはなかった。
私の当時の理系大学院のイメージは、なんか薄暗く、社会から切り離された独特の世界だった。
そんな道を進んだら、その後の人生の選択肢が狭くなってしまう。
だから、最終的に、文系就職という選択をした。
その方が圧倒的に将来の選択肢が多いと感じたからである。
人生のモットーに基づいて人生の選択を先延ばしたのである。
ただ、これと言って興味のある業種があるわけでもなかったで、就職活動は手あたり次第に幅広い業種を回った。
金融、マスコミ、商社、メーカー、各種サービス業などなど。
本当にいろいろな業種の人の話を聞いた。
またしても、人生のモットーに基づいて考えた。
「商社ってなんかいいな。メーカーと違っていろいろなモノやサービスを扱うことができるみたいだ、これなら、会社の中に入ってもいろいろ仕事の選択肢が多そうだな、、、その中でも、総合商社という業種は本当に何でも扱っているので面白そうだ、仕事の場所も全世界にあるみたいだし、働く場所の選択肢も多そうだな」
そもそも、20代前半の人間が人生の選択をするなどできっこない。
だから、ここでも、ややこしい選択を全て先延ばしをしたのである。
その後、私はなんとか某総合商社に入社し、人事ローテーションにより5年周期でいろいろな仕事を経験してきた。南米とアジアでの勤務も経験した。
転職経験はないのだが、1つの会社にいながらも、多くの経験ができた、選択を先延ばしした作戦のおかげだ。
そして、もうすぐ55歳。次はどんな選択が待っているのだろう・・・
それは、おそらく、もう間もなくやってくる役職定年の後の身の振り方だ。
再び、人生のモットーに基づいて考えた。
「役職定年までに役員になれるかな、、、ちょっと難しいだろうな、、そうなると、関連会社に出向するか、いままでの海外赴任のキャリアを生かして外資にでも転職するか、それとも思い切って起業するか、、、、ただ、どれもちょっと違うな、うかつにそんな選択したらラグビー生活の時みたいになっちゃうし、、やっぱ、このまま会社に居座るのがいいな、なんの選択もしない、このまま、このままま」
「このまま会社に居座れば、今後、少子高齢化や長寿社会が進む中で定年が65歳、70歳、80歳と、どんどん延びていくかもしれないし、その間に、会社の中でもっと新しい仕事を経験できるかもしれない、それに、会社員生活をしながら、副業というかたちで新しいことを始めることも可能だし、これしかない」
そもそも、55年しか生きてない人間が人生の選択をするなどできっこない。
そう、まだまだ、できる限り、ややこしい選択は全ては先延ばししていくのがいい。
私は、会社員とは何かと聞かれたら、迷うことなく、こう答えるだろう。
「それはね、人生の選択を避けながら、先延ばしの人生を謳歌している人だよ」
そんな私も、いつか人生の最期を迎えるときがくるだろう。
そのとき、私は家族に見守られながら
「私の、人生は、、、先送りの連続だった、、、 会社から給料ををもらいながら、これまで、いろいろと先送ってきたぞ、、会社員はええぞ、、、人生の選択を避け、先延ばしつづける人生は、、とても無責任で、とても楽しくて、良かったぞ、、、」
と言うのだろう。
さて、現世では先延ばし続けてきた人生の選択。
来世において、持ち越されたこれらの選択をどうしていくか、、、
やはり、来世でも先延ばしでしょ。
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