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水臭いわたしと、仕返しと。

わたしの仕事のひとつ、「チームのよさがみえる会議」。

今日はその公開セミナーを開催した。
セミナー後のアンケートでよくいただくのが、
「同じカードを見ても、人によって捉え方や感じ方がこんなに違うんだと驚いた」
という声だ。

人の考え方や価値観はそれぞれだ。
…と言われれば「そりゃ そうだろう」「そんなことは分かってるよ」と思うけれど、人は簡単にそのことを忘れたりもする。


娘を妊娠したとき、安定期に入るまで、お腹に子どもがいるのだということはごく身近な人にしか伝えなかった。
家族と、仕事をする仲間ぐらいだ。
仕事仲間に伝えた理由も、体調面で迷惑を掛ける可能性があったから、だった。

安定期に入り、つわりがなくなり、晴れやかな気持ちになった秋の日。
友達やSNSで緩やかに繋がっている人たちに向けて、Facebookへの投稿という形で妊娠を告げた。
たくさんの「おめでとう」というコメントを眺めていたら、1対1のメッセンジャーがピコン、と鳴った。

2年ほど前からの友人で、その頃はもう何ヶ月も会っていない人からのメッセージだった。

「Facebook見たよ。
おめでとう。
水臭いなあ。
教えてほしかったよ」

正確な記憶ではないけれど、こんな言葉が並んでいた。

水臭い、という文字が心にジュッと焼きついた。

え、わたしって、水臭いのか。

連絡を忘れていたわけではない。
「個別に伝える相手」ではない、と思った(というかその人を思い浮かべさえもしなかった)。

これは、水臭いわたし ということになるのか。

そう言われた自分のことも、言った友人のことも、どちらも責めたいような、なんとも言えない不協和音を聴いているような感覚になった。

そしてわたしは「仕返し」をした。

出会った頃は同じ県内に住んでいたその友人が、実は遠く西の県に引っ越したのだと人づてに聞いていた。
どういうわけか、転居の事実をひとに知らせておらず、わたしにそれを教えてくれた人も「本人は訊かれたくなさそうだよ」と言っていたのだ。

その友人に、水臭いと思わせたならごめん、ととりあえず謝った。
そして、「ところで○○ちゃんって、今、△△に住んでるの?」と、無邪気に畳み掛けた。
このとき自分をとても意地悪だと思った。

友人からはYESでもNOでもなく、
「なんでー?」という返信があった。
それにどう返したのかは、もう覚えていない。

人の捉え方や感じ方、価値観や好みは違うのだ。
ということを、このときのわたしは忘れていたのだと思う。
「水臭いと言われたこと」が許せなかった。
わたしの世界観とかけ離れていた。

自分の世界観と離れていることがあっても良い。
だって人の捉え方や価値観は違うのだから。

それを忘れて何かうまくいかなかったことは、ここ最近にもあったのかもしれない。
でも今日なぜだか思い出したのが、この4年前の出来事だった。

#日記 #つぶやき #価値観 #違いは宝

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