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わたしの物語をわたしと話す 02

「わたしの物語」を書くめあて


これは「わたしの世界観」を遺憾なく発揮する「わたし」になるための過程。わたしを思い出すための物語

わたし自身が感じるこれまでの記憶。それを書き並べていけば、きっと忘れていたわたしの何かも輝き始めるはず。置いてけぼりになった感情も昇華されて、すっきりと見えてくるわたしの世界観。これまでの体験、諦めたこと、握りしめてきたこと、誤認、

その中で未だ握りしめている感情を、思い出す順番にひとつひとつ並べて眺めてみる


思い出す感情を書いてみる

変われない自分やみんなへの失望
追い抜かされて置き去りにされ情けなかった
ステージに選ばれなくてくやしかった
信頼していた人が離れていって寂しかった
誰かの信頼を失った自分がかなしかった
間違えた自分を誤魔化し曝け出せない恐怖
理解されなくていつも苦しかった
人は誰もわたしを理解などできない
馬鹿にしていた人より自分ができない情けなさ
夫との価値観の相違がいつも苦しかった
夫のせいでわたしは発揮できない
子育てと旅を意地でも両立させてやる
できない事の多さに自分の存在価値を見失い


全部!わたしがそうと決め込んで
心をキュッと縮めていたものことたち。。

唄舞の旅、制作や仕事、結婚生活や人間関係が、絡み合いながら体験してきた感覚。

こうして書いてみると、うまく書けないけれど、なんだそんなこと思ってたんだって少し距離を持って見られる。

目に見えないモヤモヤを、言語化して書いてみて、見て知るだけで、感じるだけで、こんなに愛おしくもなるもんだ。




ひとつひとつ許していく


そんな時もあったよな
一生懸命だったな 健気なわたし
可愛いな わたし


ひとつひとつ許していくって、こんな感じなんだな

同じ状況の人は許せても、自分のことは許せなかった。

そんな自分認めたくなかったな。

自分は強くみんなを率いる、前を歩く人でなければならなかった。

リーダー的素質は今やもう認めるけれど、本来のわたしはもっと頼りなく偉そうで、みんなの力を遺憾なく利用しているような感じだ。
あの時のわたしのリーダー像を、わたしに押し付けて勝手に頑張って勝手に辛くなって、勝手に無能感や不要感や、孤独を感じてしまっていた。


なんて、自分に厳しかったんだろう!

わたしが一番前で全部を仕切らなければ気が済まなかった。でも自信がなくて中途半端だった。そもそもわたしのやることではなかったことも引き受けていた。自分への不信があった。

だからみんなを信頼しきれなかった。

みんなからしたら、頼りなくて、ただの一生懸命なひとりだったのかもしれないのにね。いやきっとそう。いつもいつも支えてくれていた。

わたしがひとりで頑張ろうとしていたんだ。そして一生懸命作ったものを壊れないように守ろうとしていた。

壊れたらどうしていいのかわからない。わたしが消えるようなおそれがあった。

わたしがやるべきと思うことをやろうとする仲間の芽を、潰したいとさえ思っていた。自分の存在が有意義に感じられるために守らなければならなかった。そんな思いには気づいていなかったけれど。わたしの行動は恐れに基づいていた。

自分の作ったリーダー像を自分が演じる以外に、わたしがみんなの中で命を存続させる方法が見つからなかった。

だよね〜
書いてみるとほぼギャグだな。でもこの時わたしのそばで傷ついた人もいたはず。実際離れていった近しい人もいたんだから。

ごめんね。
そしてわたしにもごめんね。


ただこうして、誰もが見ようと思えば見られる場に書き出す。これで自分が許せてしまえるなんてすごいことではないか。まだぞわぞわするところもあるけれど、許せてしまうどころか、自慢にさえ思えてくる不思議。

誰が見ようと見まいと、もっと書いてみようと思えてくる。もっとスッキリクリアになっていきたい欲求なのか。これは過去の自分へ届けるメッセージなのかもしれない。


つづく

二〇二三年 二月一日

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