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すぐ隣にある環境問題を描く


こんにちは。はっぴと申します。
毎夜パステル画を描いて翌朝そのその絵のエピソードを書くということをしています。

昨日の朝は雨上がりということもあり、目の前の公園全体に朝靄がかかっていてとても幻想的でした。

冬の間は夜明け前の空の色に注目して描いていたのですが、新緑の美しい季節になると、夜中に降る雨や木々の葉っぱの呼吸により、早朝の公園の景色は朝靄に包まれた森のように思えてくるのです。

二次元だけでは表現できませんでしたが、活発で楽しげな野鳥達の声も聴こえてきたからかもしれません。

その日は仕事が休みということもあり、5時前から散歩に出掛けました。あまりに木々や野鳥が活発で、湿度もちょうど良く、気持ちの良い朝散歩ができました。


◆すぐ隣にある環境破壊


つい、1週間前、仕事の帰りに同じ公園に寄ると、いつも見ていた楠木が伐採されていました。

造園のことは良くわからないのですが、今の時期は楠木の伐採時期なのでしょうか。それでも地上50センチくらいのところでばっさりと切られたり、葉をほとんど残さずに枝を何本も切られて寒々しそうな楠木をみかけました。

楠木は神社でよく見かけますが、御神木になっていることもあります。樟脳(しょうのう)の原料でもあり、昔から衣服の虫除けの防虫剤として活躍してきました。街路樹としても害虫がつきにくく、さわやかな香りと可愛らしい葉っぱで私たちを守ってくれています。 

そんな楠木さんですが、20m以上あると思われる楠木が見事に根本から数本伐採されており、または葉っぱがなくなるほど枝が刈り込まれていました。


とある方にこの話をしたところ、公園の木も建築資材として使われている、とのことでした。なぜかというと、最近は一軒家を建てたい方が増えてきている需要に、日本にある木材の供給が足りないからなのだそう。さらにコロナの影響もあり、輸入木材の調達も難しいのだとか。

人間の住む家のために公園の木が使われているとは思いませんでした。本当に驚きです。そういえば、公園の木も段々少なくなってきていると感じるのは気のせいでしょうか。野鳥の鳥たちが朝になると朝食を啄みにくる公園。街路樹と言っても鳥たちにとっては一本一本の木が棲家であり、休憩所であり寄り合いの場所だったのにも関わらずです。野鳥の居場所はどうなるのだろう?と思っていた時に、この朝靄の森のような公園に多くの鳥の声が響いていたので、少しは安心したのですが、、。



◆1000本伐採される予定の神宮外苑のいちょう並木


そんなすぐ隣にある公園の環境破壊に心を痛めていた所、神宮外苑のいちょ並木が1000本伐採される計画があるとのニュースが流れてきました。


え?なんで?!
樹齢100年を超えるいちょうが伐採?!なぜされるの??


と驚いた。理由はやっぱり人間の為の開発。スポーツ施設、商業施設、190mの高層タワーを作るらしい。まだ、計画らしいけれど。都は「樹木医と相談しながら慎重に進めていきます」なんて、さも最もらしいこと言ってるけど、止める気配がない。

これから人口が減っていく日本だし、コロナ禍で三密を防ごう!と喧伝していた方達が、まだ何か人が集まるところを作りたいのか、と呆れました。一軒家もそうだけど、新しく建築するより、今ある建築物の活用ってできないのだろうか。地方には空き家の古民家もたくさんあるそうだし、リノベーションとかうまく活用して自然破壊を最小限に抑えることはできないのだろうか。この開発で喜ぶ人って一体誰なのだろうか。

植物がないと人間も生きていけない。だって、まず綺麗な空気がないと私たちはより良い暮らしをすることができないから。樹齢100年の木の価値がわからないのかな。そこに生きていた樹齢百年の木を伐採したら、いくらお金を積んでも戻ってこない。さまざまな人の手によって100年間育まれる樹木の価値なんてお金なんかにゃ換算できない。この計画を立てて得をする人たちがいるとしたら、きっと相当浅はかな人達なんだろうと思う。そんなの表面だけのエゴの塊の、一握りの人が作りたいだけの一心で、作るだけなのだろうから。

長ーい目で見たらきっと人間は損をする。あの時、やめておけばよかったな、なんて後悔する日が来ると思う。でもそれも実験だから失敗してみないと気づかないのかもしれない。お金さえあればなんとかなるなんてバブルの時代は相当時代遅れなんだけれどね。あの時学ぶことができなかったのかもしれないね。

このニュースを見てそんなことを思ってしまったのは私だけでしょうか。


◆植物にも意思がある


植物には独自のネットワークがあって、例えば私がベランダのハーブの葉っぱを一枚摘んだとしても「わー!葉っぱが取られた〜!!!」と地球の裏側の全植物まで連絡がいくシステムになっているらしいです。

台風の時には南の樹木がこれから進む北の方の植物に対して、「これから台風がいくからね!気をつけてよ」などと伝えるのだそう。


木は生まれた所で育って、そこで一生を終えるのが普通だ。観葉植物で普段家の中にあった子を日当たりのいい場所へと移動した途端に枯れてしまうこともある。人間のようにあちこち移動しても生きていけるようにはできていないようなのだ。


だから、たとえ移植したとしても、元気がなくなってしまうのではないかと想像される。地面の下では根っこで繋がっていた家族のような植物ともお別れしてしまうわけだし。寂しくて枯れてしまうかもしれない。


私が昔、一人暮らしを初めてした時、パキラの観葉植物を置いていたことがあった。狭い部屋だったけれど、話し相手のいない私は悩み事があると、パキラの幹に手を当てて話しかけたりもしていた。以心伝心しているような、気がしていた。


しかし、事情があり、実家にパキラと共に引っ越した。そのうち私は結婚して家を出ることになったのだが、パキラを実家に置いていくことになってしまった。その後パキラはすぐに実家で枯れてしまった。母は水やりもしてくれていたそうだけれど。。


私は直感で、「パキラは私に捨てられた」と思って枯れてしまったのかもしれないと思った。


若かったので、自分勝手なところがあったのだと思う。今ではわかる。植物にも何かしらの感情があったのではないかと。


◆野鳥ツグミの後ろ姿

これはさらに10日ほど前のことですが、いつも散歩している公園に一羽の姿勢の良い野鳥がいました。羽は茶色で背筋をピンと伸ばした清々しい鳥だ。思わず動画と写真を撮っておいた。ヒヨドリに似ているけどちょっと違う感じ。なんていう鳥だろう?とずっと気になっていたので、仕事帰りに近くにある野鳥観察舎のガイドの方に尋ねてみました。



「これはツグミですね。冬の渡り鳥で、多分見るのはこれが最後だと思いますよ。夏はロシアに渡るのですよ。戦争をしていないところで過ごしてくれればいいのですけどね」

そんな答えが返ってきた。

ロシアとウクライナの戦争。離れた国での出来事で頭では理解しようとしていても直接肌で感じることがなかった。それが、今現実に近所の公園で散歩している時に出会った野鳥が戦地に向かうかもしれないということがわかった。

背筋を伸ばして凛々しくも可愛いあの野鳥の後ろ姿は、今年最後の姿なのかもしれないけれど、そんな危険地帯に行く可能性があるなんて、思いもしなかった。

戦争でロシアでも環境破壊があり、もしかしたら、餌が取れないかもしれない。ツグミはロシアに渡って生きていけるのだろうか。再び日本に戻ってきてくれるのだろうか。

たまたま公園で出会った野鳥から、市区町村、国単位ではなく地球上での環境破壊を考えなくてはいけないと改めて強く心に刻みました。


◆植物や動物が伝えてくれること


私のように、東京近郊に住む人間でも身近な植物や動物から環境破壊の現実を教えてもらっています。

人間だけでは生きていけないこと。植物や動物をないがしろにすることは、人間をないがしろににすることと同じことだということ。

私たち人間は、身近な植物や動物から助けてもらって生活ができていること。

私たち一人ひとりの意識が自然を尊重することができたら、もっと暮らしやすくなるのかもしれない、ということ。

身近な公園という小さな森から教えてもらった出来事でした。

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