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”三十路ハケン女”はフランス旅行で何を学んだのか


三十路ハケンの孤独旅

今年に入り、いよいよかのコロナ禍が終結するのを目の当たりにし、約7年ぶりの海外旅行へ行って来ました。
4泊6日のパリ旅行です。(約10年ぶり2回目)
パリ旅行と聞いたら少し優雅に聞こえるかもしれませんが、
三十路ハケン女は彼氏もおらず、友達の母数も少ないに加え、数少ない友達の殆どが既婚です。そう、お察しの通り、今回の旅も自ら選んだ”孤独な一人旅”です。

貧乏だろうが、お一人様であろうが、
便利で豊かなこの時代、数ヶ月の節制を耐えれば、薄給の筆者も一人で充分楽しめる海外旅行が実現するようになりました。
自分の頑張りに関わらず、いつしかそれが当たり前になっていたし、近い将来そんな旅行がちっとも楽しくなくなってしまう時代が来るのだろうか。
ぼーっと、一人で、そんなことも考えるようになりました。

さらには、「世界中が武力による大きな脅威や金融不安にさらされている中、部屋着姿でパソコンをカタカタできているのは、ある意味奇跡でしか無い」
そういった真っ当な意見がもし頂けるのでしたら更にぐうの音も出ませんが、
しかしながら、まさに今、筆者は奇跡の街道を逆行したような”地獄の黙示録”の一部を書きつけるところなのです。


パリでの孤独と人生の孤独

パリ旅行の話に戻りますが、今回の旅行は、筆者の中では過去一の充実感を味わうことができたものでした。もちろん、当方フランス語は全くできず、英語もほとんど話せません。
ですから些細なトラブル(空港からのシャトルバスの時刻表が変更になっていることに気付かない、ホテルで鍵の開け方がわからなかったが、フロントで説明がうまくできない、etc・・・)は当然あったものの、一人で切り抜けるしか無いとなると、そんなことはなんとかなるもの。

ついでに、うまいことを言うつもりは無いですが、人生こそ”孤独な一人旅”です。一人で生まれ一人で死んでゆくのが人間です。
その精神のもとで、属さず、拘らずの生き方をしばらく続けて来ました。

しかし、この旅行でパリでの孤独は人生の孤独を図るようなものであるように、ふと思ったのです。


筆者がハケンになったワケ

筆者がハケンとして働き始めたのは、新卒で入った会社を1年で辞め、
ダブルワークでアルバイトを掛け持ちして過ごし、そこからしばらく経った後です。
ハケンという選択をした大きな理由を挙げるなら、貧困と精神崩壊でしょうか。
じっくり第二新卒で再就職先を探す時間を取り、そこである程度長く働き続けていたらその道は選ばなかったかもしれません。ですが、一社目での働き方やプライベートの諸問題が起因となり、精神的に参ってしまい正規雇用での仕事を継続することが困難になってしまいました。
心も体も不安定だけど、働かないと食べていけない負のループ。
そういったことから、ある程度働き方にワガママがきくアルバイトの仕事を始め、その後にフルタイムのハケンへと”ステップアップ”した形なのです。

ここでは、精神崩壊の原因は追求しませんが、
過去の筆者は、それによって飲めない酒に溺れたり、恋愛のみを心の拠り所としてみたり、それはそれはひどいものでした。
今では、そんなことは全く考える余地も無いですが、一時は自ら命を断つことを日々、常々考えずにはいられないほどでした。

今、回懇すると「誰かや何かに少しでも頼ることはできただろうし、そうすればよかったじゃん。」と思います。
でも、それは正常な精神状態の人間が考えることです。
まともなアドバイスをしてくれる人もいなければ、アドバイスをもらっても、受け取る側の耳は閉じている、そんなことは誰でも容易に想像できるでしょう。


パリの路上ミュージシャンと東京の貧困OL

パリ(の主には地下鉄駅のコンコースなど)では多く路上ミュージシャンを見ることができます。もはや路上に留まらず、駅のホームでもギターやバイオリンやアコーディオンの演奏をしたりして、小銭を集めています。
ミュージシャンの様相は多種多様で、性別は問わず、年齢も人種もバラバラのよう。定職に就いていて小遣い稼ぎをしているのか、それだけ(では生活はできないはずなので、家族や国の助けか何かもあって)で生きているのか、実状は知りもしません。

そんな様子のパリで旅行中、ギターを掻き鳴らす中年の男性が、ホームで電車を待つ筆者に話し掛けて来ました。
前述の通り、フランス語はこれっきしなので、何を言われているのかは全くわかりませんが、どんな状況かは理解することができました。

アジア人女性が少々珍しいので、ちょっかいをかけてきているのです。
筆者は、仮に小銭を要求されたりしても手持ちがないから、と思い得意の大無視をかましました。
男性は終始笑顔のまま、何か一言、二言発し、その後去っていきました。
(なぜだかパリにてイギリスのロックバンドの曲を歌い奏でながら。)

来る電車に乗り込み、しばらくその出来事について考えてみると、その男性の様子が不思議なことに羨ましく思えてきたのです。
もちろん、路上ミュージシャンになりたいわけでもないのですが。そんな芸もあるまいし。

そして、男性の笑顔の理由は不純な動機からかもしれないとしても、そんな" パリの小銭稼ぎ”に微笑まれた自分は何かツンとして粋がっていて、
「お前なんかとは、たどり着く先も乗り込む電車も違うんだ」
的な態度をとっているのが、至極くだらない心の平穏の保ち方をしているように感じてくるのです。
なぜなら自らが今、そうやって”ツンとすること”で自分を安心させるしかしようが無いような、本物の孤独と、迫りくる貧困と向き合わざるを得ない状況なのですから。


縁の切れ目は何によって?

少し前、ハケン先にて有り難いことに、正社員としての採用の話題が持ち上がり、それが具体的な方向へ動きかけたことがありました。
ぜひ、直接雇用によってこのまま就業を続けてもらいたいと。
ですが、コロナ禍の厳しい煽りを今になって受ける形により、会社全体での中途採用が中止になり、その希望もあっさり消えてしまいました。

もともと、自ら進んで直接雇用を希望したわけではなかったとしても、実際に、この会社ではそれを達成しようがない、という無理ゲーを目の当たりにすると酷く落ち込みました。

やはり数年お世話になれば、会社や一緒に働く人々への愛着も少ないながら湧いてくるもの。縁の切れ目は何によってでも、それはとても残念なことで、己を再びあの孤独と貧困に引き合わせるものであることは変わりありません。


パリの路上ミュージシャンがくれたもの

しかし、前項のパリでの経験を通して、筆者は一つ成長を得られたと実感することができたのです。
(幸いにも、ハケン先である程度実績を残し、信頼してもらえる三十路女になれたことはまあ、そうなのですが)
何かと言えば、少し前の残念な出来事のせいで、高嶺の花として自分を偽装してしまうような瞬間を認識し、それは至極くだらない心の平穏の保ち方をしているからなのだ、と思えるほどの心の余裕です。
もっと言えば、自分の弱さを甘んじて受け入れ、数十秒足らずの些細な出来事から、自分の愚かさ、ちっぽけさを学ぶことができるある種の心の強さです。

もし人生の中に、他所では”地獄の黙示録”とみなされてしまうような、孤独な一人の”破滅や世界の終わり”を見るようなストーリーが、1ミリも組み込まれていなかったのであれば、こんなに素直な自分を見つけられていなかったでしょう。


人生こそ”孤独な一人旅”と聞いて、どう感じるのか

人生こそ”孤独な一人旅”です。一人で生まれ一人で死んでゆくのが人間です。
そう聞いて、人々はどんな解釈をするのでしょうか。
筆者は、自分が”今生きていることほどに当たり前なこと”と感じます。
それは今、ここで部屋着のままパソコンいじりをすることが出来ているからこそでもあります。
一方で、過去の自分が一つでも違う選択をしていたのなら、その言葉の虚しさに耐えきれず、二度とあの美しいパリには行くことが出来なかったかもしれない、とも思うのです。

人は一人で切り抜けるしか無いとなると、どんなことでもなんとかするべく、生きているのです。
これは、文字通りどこかに向けて、たった一人で生きてゆけ、というメッセージを発しているのではありません。

大きな孤独も自分次第でしなやかな強さに変えられる、ということです。
今まさに、自分の人生の中で”地獄の黙示録”の一コマを目の当たりにしているような人がどこかにいたのなら、そんなあなたが、その場所を無事通り過ぎて、己の孤独を認めてあげられるようになってゆくことを切に祈っています。


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