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ただいま旅行中。

ただ今、1人旅中。
頭ん中がうるさいので、台風でホテルに缶詰をいい事に、1回言語化することにした。

●靴や靴下って脱ぎたくなるもの

台風が近づいてくるということで、旅行先にレインブーツを履いてきた。
これがなかなか足を締め付ける。そして、ムレる。すぐ脱ぎたくなる。
1時間ほど飛行機に乗ったのだが、隣の方には申し訳ないが、すぐさま脱いだ。
こうゆうところがガサツなんだろうなーこうゆうの嫌がる人はいるよなー品がないよなー千原兄弟のラジオよろしく、蝶にはなれないよな−どっちかというと蛾だよなーと思いながらも、“レインブーツなんか履いてられるか!”がまさってしまった。

勤め先の保育園の子どもたちは、上履きを履いている。もちろん職員も上履き。
食事中、机の下で上履き脱いでいる子が結構いる。それを見つけるたび、

「地震や火事がきた時すぐ逃げられるように、上履きは履いておこうね。」

なんて声をかけている。
とか言いながら、私も事務作業中は机の下で上履きを脱いでいる。

子どもたちは、どんな気持ちで脱ぎたいのかはそれぞれ違うから本当の意味ではわからないど、脱ぎたい気持ちはわかる。だって私も脱いでるもん。
家に帰ったら即裸足。靴下だって脱ぎたい。

そんな気持ちを抱きながら、上履きを履く意義を知らせなければならない。
なんと矛盾しているのか。

こんなような矛盾がよくある。

私は、小さい頃、生き物への探究心から結構残酷なことをしてきた。
みんな通る道であろう、アリの巣を水責めにするや踏みつけるどころか、カマキリや蜘蛛が捕食するところが見たくて、わざと獲物を捕まえて、口元や蜘蛛の巣に引っ掛けたり、土蜘蛛がどうなっているか知りたくて掘り返したり、挙げ句の果てはミミズの中身がどうなっているか知りたすぎてハサミで捌いてみたりしてた。

我ながら酷い。

ちなみに、アリの巣をどんどん掘り進めていくと、〝これはやばい、一大事だ!ここには暮らしていられない!〟とアリが判断するのか、卵を抱えて逃げ出す。
蜘蛛の巣にダンゴムシを引っ掛けると、丸まった上から蜘蛛は糸を撒き始める。
その時の発見と驚きは、鮮明に残っていて発明化になったような気分だった。

だから、虫をぞんざいに扱う子どもたちと出会うと、生命の大切さを諭すより先に、自分が経験した探究心からの発見を見出している所だと思って、そっとスルーしてしまう。そして、もちろんその子達は、他の大人にちゃんと諭されている。

虫を飼育している中、死んでしまったとして、形式上は〝お墓を作ってあげよう。天国で幸せに暮らせますようにってお祈りしよう。一緒に過ごしてくれてありがとう。〟なんてもっともらしいことを言っているが、〝これは、大人の価値観の押し付けだよなー〟と矛盾を感じてしまう。

生命との出会いの中で、最初に感じるのは尊さよりも、不思議さとか興味関心なのだと思う。どうしてなんだろう?なんでなんだろう?動いているけど不思議。自分とは違う生き物。追いかけると逃げる。捕まえてみたい。そんな沢山のわくわくを制御することが、教育なのだろうか。

沢山のわくわくを感じて、心から大事にしたい生き物と出会って、その生き物が亡くなった時初めて、悲しみを感じ、限りある命の尊さを知ると思うのでした。

●好きは人と人を繋ぐ
旅行先で、有名店ではなく自分が好きなカテゴリー(音楽、本、好きなインテリア)をポイントにお店を探したら、良い店に巡り会えた。店員さんも常連さんも仲良くしてくれ、おすすめの観光スポット教えてくれたり、好きな音楽や本の話ができて満足だった。

好きなものがあるというのは、人と繋がる架け橋にもなるのだなと。
当たり前のことなんだけど、大袈裟に実感したのだった。

好きが似てるとあっという間に仲良くなるなー
元カレとも好きが似てたなー
そういえば、台風来てるけど仕事大丈夫かなー
対応に追われているだろうなー
今年もMー1始まったなー見てるかなー
キングオブコントも決勝戦進出者決まったのどうみてるかなー

おっとと、ストップストップ。
って事がこの旅行中結構ある。
寂しいとか未練があるとかではないのだけど、つい考えてしまうのは、今を生きていないからなのだろうか。前に進めてないってことか。あの時の自分に執着してんだろうな。っち。

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