雑記

一日一か所と掃除をしている。どんどん捨てていくのが心地よい。そもそも、物を増やさなければいいのだよな。ミニマリストに憧れるが、私は程遠い。

捨てるの基準は、片づけコンサルのこんまりさん曰く“ときめかないもの。というのを思い出す。ときめきか、ときめきってなんだ?あの時の気持ちは、ときめきだったのか?今、ふわっと抱いている気持ちはときめきなのか?と脇道にそれていくから困りもの。結局、“一年使わなかったものは使わない”理論でがんがん捨てていく。

この勢いで、電話帳とTwitterも整理。

ふと、“あの人生きているのかな。何してんだろう。”と急に気になりだす。インスタを見ようとするものの、相互フォロー外していたのだった。アカウント名も思い出せない。別れた後だったが、YouTubeチャンネルを立ち上げるほどの面白い人だったというのは思い出したのだが、YouTubeチャンネルの名前すら思い出せない。

こうして他人になっていくのだな。

こないだTwitterのスペースで、“いいね”を押す基準の話になった。“いいね”するとき、うざいと思われるかなと考えてしまうとのこと。ほかにも、本当に“いいね”と思った時だけ“いいね”を押してほしいという話も出た。
みんなそんな思いをしてTwitterの“いいね”を押しているのかと驚いたし、考えるの辛そうだなと、そんな一人ひとりの繊細さを抱きしめたくなった。

いいんだよ考えなくてもと思ってしまうけど、考えちゃうんだよなーそれもわかる気がする。そして、そうやってひとつひとつ考えてしまう人が私は好きだと思う。繊細さに愛おしさを感じる。

距離の縮め方が居心地良い人に出会った。仲良くなりたいなって素直に思った。お互い似てますねって話にもなって、おそらくだから居心地良いのだろうと思う。

相手が自分だと思うとぐいぐいと来られるのは嫌だろうな。でも、嫌だなと思う人以外は、ちょっとだけ踏み込んで来てくれる方が嬉しいよな。自分はどこのカテゴリーに入ってるのかな。仲良くなりたいなって同じ思いだと嬉しいな。LINE送ろうかな、いや電話してみようかな、迷惑かなを繰り返し考えてしまう。

こんなこと考えるのには意味のないことだってわかってんだけど、暇なのだろう。暇はよくないのだ。


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