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「わかったッ」がわかった!とか言いたい気持ちはわかる・・・ケド・・・

そうだよね。
この「わかったッ」は「犯人わかったッ」だよね。
さらに言えば、もう「わかった」んだからみんなを襲うことはないよ、ってコトだよね、セイレーンが言いたいのって。

だってセイレーンって「わかったッ、もうわかったから辛(カラ)いのやめてッ!」とか言える塩らしいキャラじゃないし、フツーやめて欲しかったら「やめてッ」じゃん、ツーことはハチの「襲わないでーーッ!」がこのミスリードを支える伏線だったワケで、あーその時点で感じてた違和感をもっとちゃんと考えれば読めた展開だったなー、って思うんだよなー。(どんだけ上級者だよオマエ)

イヤ、あながち後付けでもないのよ。
①犯人探しが島編の鍵になってたから、どこかの時点で犯人がわかる、っていうのは確定だったでしょ。
②ンで誰がそれを見つけ出せるかって言うと、人魚を食べた者だけに出る「印」を知っているセイレーンしかいないわけ。
③てことは、セイレーンが「犯人がわかったッ!」って言うのも確定だったわけじゃん。

あとはもう逆算。
「わかった」に至る流れの上には、「葉っぱの腰ミノの下を見る」があるわけで、それを前回見ちゃったんだから、その時点で、「わかったッ!」っていう発言は予想できるワケで。
さらに言えば、島編の解決(島民が漬けられちゃって食べられちゃう祟りの解消)に必要なパズルのピースって「理由の解明」→「犯人の特定」→「生け贄を捧げて怒りを鎮める」で、それさえ済めばまた島に豊かな実りをもたらしてくれる神獣を崇めていけばいいワケだから、セイレーンにも島民にもWIN×WINな伏線回収ルートとしても説得力があるだろう。

言い訳がましいけど、前の解析で僕、「一枚葉っぱはここで知っちゃった」けど「セイレーンはそれどころじゃなかっただろう」って、つまり、1枚葉っぱには腰ミノの下は見えていても、セイレーンの視界に入らなかっただろうって予想してたワケです。
コレはね、ナガノの「視線」の描き方は卓越してて、その視線がグルグル目でうまく判別できなかったのはあるけど、「あ、視線が腰ミノの中に向けられてないな、見れてないルートで行くんだな」って判断したんだわ。

うさぎがちいの頭頂部を見つめているのがわかるだろうか。
これがナガノの「視線」表現の妙である。

考察や予想なんてものが「考えうるパターンの総当り」っていうのは、以前言ったけど、可能性の分岐ができた時にはどちらのパターンも追っかけてくのが原則だから、まあ、今回はそれを怠りました。

腰ミノの中身が晒された段階で、

〇 一枚葉っぱが見た場合 → 共犯の場合 → ちいかわたちに隠す
             → 単独犯の場合 → うろたえる

〇 セイレーンが見た場合 → 犯人を見つけた! → 告発と復讐

みたいに分岐が生まれるから、それをどっちも考えていくってワケね。

この分岐のパターンに、ナガノがミスリード仕込んだり、絶対予測不可能の超展開の仕掛けを施すことまで加味すると、もうAIに助けてもらいたくもなる。あまりに膨大だもん、可能性。
今回の「襲わないでーッ」みたいに分かりやすく違和感があったらワンチャンいけるけど、「わかったッ」を読者にミスリードさせて犯人の特定を引き伸ばして、そこからさらに何が起きるんだろう。

まずは告白・・・かな。二人の葉っぱが、絶えることなく友達でいるために、泣きながら告白して謝罪する、フツーだったらそれだろうな。
ずっとみんなを騙して隠し通してきた秘密がただバレるのと、罪を認めて自ら白状するのとじゃ、身もふたもない言い方だけど、僕ら読者の心証が違うもん。まあ島民がずいぶん連れ去られてるみたいだし、もう取り返しのつかないところに来ちゃってるから・・・もしかしたら、吊るし上げの生け贄エンドは絵的にもあんまりだから、超展開があったとしてもダークな「絶えることなく友達」エンドは避けられないかもしれないね、葉っぱたち・・・。
まあ・・・それが見たいっていうのは・・・ある。




ケド・・・分岐を辿って、伏線を読み解いて、どこに行くのかな。
イヤ、僕は予想して当てて、どんな気持ちになりたいのかな、って。

一緒くたにしてゴメンだけど、僕ら考察勢ってなんで予想当てたいのかな。
同じちいかわ好きが集まってあーだこーだ言いたくて、その中で賞賛されたり、マウントでも取りたいのかもしれない。自己顕示欲とか承認欲求って捨てきれない気持ちだから、「ちい民」の中で一目置かれたいとか思っちゃってるのかもしれない。
誰にも負けたくないっていう気持ちではじめたくせに、今更殊勝なコト言うのもおかしいんだけどさ、自分に正直になれば、ンー、もっとさ本当の気持ちはさ、読んで欲しいんだよね、ただ。
ンで、オマエ考えすぎだろとか、暇なの?とか、文章下手、無駄になっがいよとか思われつつも、あ、こういう考え方もあるよな、とか、そっかあのマンガのオマージュなんだとか、確かにナガノならそう考えそうとか、「マンガが好きで好きで「ちいかわ」に辿り着いた僕みたいな人」に、同じような「僕」を見つけて欲しいんだろうな。
そしたらいいねも何も、別になくていいって思う。矛盾してるかなー。

あーそうか。
なんのことはない、僕はさ、自分を救おうとしてるんだわ、これで。
誰に分かって貰えなくていいとか思ってるくせに、自分だけは自分を救うことを諦めきれないンだな。

執着だよねーコレ。
マンガに捧げてきた時間をムダにしたくない、 サンクコストとかコンコルド効果だよね、きっと。最高のマンガ「ちいかわ」を見つけてしまった一ファンとして、僕自身が考察して盛り上げることでなんかファンたちに貢献したり、なによりナガノを応援したいっていう、勘違いのおこっがましい気持ちもあるんだろうけど、でも、誰かは読んでくれるって信じたいんだと思う。
その誰かっていう「僕」のために、書く。自分に期待することは絶対やめない。僕みたいな誰かも、僕も、明日にはもうちょいマシな自分になってる可能性、ゼロじゃないもん。

なんだ、遠回りして、「ちいかわ」に戻ってきたじゃん。
成長するってことはやっぱり転んだり泣いたりすることと切り離せないんだな。
ループ編の本当の恐ろしさは、ループから逃れられないことでも、巻き戻しに巻き込まれた友人たちが消えてしまったことでもなくて、現実に戻れば必ず「フューチャー・オー・ノー」を迎えることが、避けられない運命だとハッキリわかってしまったことにあると思う。
そしてそれでも、ちいは戻ることを選んだ。

恥をさらしても、自分の出来ることをやってみようって、僕の背中を押したのはあの時のちいかわなんだと思う。僕だって、恥をさらして、盛大に転んで泣くしか、やり方は知らない。
成功体験、なんて要らない。
まとめてかかってこい、失敗。




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