手段が目的に。

何かをしている時に、往々にして陥るワナに、「手段が目的化してしまう」ということがあります。

例えば、何かのキャンペーンで、シールを集めると、プレゼントが貰える、と言ったような場合に、シール自体を集めることに、意味を見出してしまうケースなどが例に挙げられるかと思います。

シールが、コレクション的な意味を持つようになることもありますから、こうした事を、一概には否定できませんが、時に不幸な事例も出てきます。

例えば、陳腐な例えですが、『「会議をいつ開くか」を話し合う会議を開く』、のように、もはや、何が目的だか、手段なのだかすら、当事者たちにはわからなくなっている場合すら、あります。

共通して言えることは、立ち止まって考えることの大切さ。

今やっていることは、何のためにやっているのか、?時々立ち止まって考えるだけのココロの余裕が大切ですね。(^o^)