とある役所の話13
役所でもちゃんと仕事をしている人はいる。被災地で働く公務員の皆さんのように。
そんな現場とは程遠い、とある役所の話だが、今回は批判ではなく、公務員が身内同士で揉めた場合、どんな取り扱いがなされるのかを、思いつくまま記してみたい。
喧嘩両成敗。
日本人が、好きなフレーズの一つだろう。どちらかに与する事なく、事を処理する、見方によっては理想的な始末の仕方だろう。
この原則に従い、公務員同士が揉めた場合には、当事者のどちらに理があるかは考慮されず、揉めた双方が、別々に飛ばされる(異動する)。
采配した、人事担当者としても恨みを買わずに済む最良の方法という訳だ。
仮にどちらかを一方的に罰した人事を行い、後に、罰した当事者のうちいずれかが、采配した者の上司になるなんてケースもある。そんな事になったらどんな仕返しをされるかわからない。
万事上手く処理するには、最適な方法なのだろう。「痛み分けだよ」、と言われれば周りも、名采配と評価する。
一見素晴らしい?が、双方から話を聞いて、関連する事実を集め判断する、という一連の作業をしなくてよいから、これ程楽なものもない。
その上、敵を作らなくて済むから、当事者から助けを求められた上司や仲裁をした者にも好都合な訳だ。
役所の中の、どうでも良い揉め事は、喧嘩両成敗でもなんでも、好きにすれば良いのだが、喧嘩両成敗で処理していけない事柄もあることを忘れてはいけない。
それは、イジメだ。
往々にして、イジメは、イジメられている側にも原因がある、といったナンセンスなコメントがなされることがある。
役所の中のイジメだけでなく、子どものイジメも含め、イジメ自体が人権侵害に他ならない。イジメられている側が悪いという思考停止から脱しない限り事態は何も解決しない。
しかしながら、イジメの処理でも、喧嘩両成敗を持ち出す公務員が少なくないことに、闇の深さを感じる。
それは公務員である教員の現場、すなわち子どもたちと日々対峙している学校では深刻な話と言わざるを得ないだろう。
白黒つけない、という意味で、喧嘩両成敗は役所以外でも見られる日本人の典型的な思考なのかもしれないが、喧嘩両成敗は万能ではない。その事を決して忘れないでほしい。