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天然

今日は朝から気分が晴れない。
『社会人になる甥に伝えたい思い』をテーマにエッセイを書いているのだが、私にはしんどい作業だった。
昨年体験した嫌なこと、を思い出すからだ。
ウケを狙ってボケたのに、誰も笑わず白けてしまった時のような、ちょっと寂しく残念な体験だ。
当時、私は会社員だった。20代の女性とペアを組んで仕事をしていた。親子ほど年の離れた二人だが、互いを補い高め合える関係だったと思う。休憩時間には菓子を持ち寄り、コーヒーを飲みながらたわいもない話をするのも楽しかった。
彼女は結婚していたが、実家の母親とあまり話をしていないように見えた。そのせいか、彼女の心の中には母親にかまって欲しいという気持ちと「手のかからない頼りになる娘」と思われたい気持ちが入り混じっているように見えた。実家の話をする時に見せる寂しげな横顔がそれを物語っていた。
ある日私は、「お母さんを喜ばせることが親孝行じゃないよ。自分の人生をしっかり生きることが親孝行なんやで」と話してみた。そして、「ちゃんとできてるから、心配いらん。旦那さんと幸せになったら良い」とつけ加えた。
彼女は同年代だけでなく、私のような年配ともうまく関わり、仕事の成果を上げられる魅力的な女性だ。心から彼女の幸せを願う気持ちが先走り、気がつけばお茶を飲む度に同じ話を繰り返すようになっていた。
その時彼女は決まって、「はい」と柔らかい声を出した。
茶色いビー玉みたいな丸い目で私の方を見ながら頷くのだ。
その目を見る度に、私は心の底から空しさがこみ上げてくるのだった。
なぜなら、彼女がその声を出す時は、間違いなく本心ではない、ということを私は知っていたから。
私の中のモヤモヤは、胸に錆びたくぎを打ちつけられているような痛みに変わっていった。母親と同い年の同僚の言葉が、彼女には全くひびいていないようで、軽い苛立ちを覚えた。
もはや私の方が、母親にかまってもらえない寂しい娘のようになっていた。
その後彼女は、妊娠し私の思いをさらりとかわすかのように産休に入っていった。

ぼーっと物思いに耽る私の側で、スマホのアラームが鳴った。私は、パソコンのキーボードに両手を置いたまま我に返る。手首に砂袋をぶら下げられているようなだるさを覚えた。
気分を変えるためキッチンへ行き、濃いお茶を淹れた。
熱いお茶をすすりながら、スマホを開いてみる。noteからメールが届いていた。
そこには、私がフォローしているクリエイターさんたちが新しい記事を投稿した、と記されていた。【書く習慣が身につく1週間プログラム】の、いしかわゆきさんの記事もあった。
開いてみると、数日前、YouTubeで観たマシンガントークさながらに熱い思いを語った文章が、余白を感じさせない程ぎっしり、畳みかけるように綴られていた。
なんだか格好良かった。
不意に、へその下の方から笑いがこみ上げてきた。
自分の思いが届かないとグダグダ思い悩んでいる自分が馬鹿らしくなり、声を上げて笑った。気づいたら目尻から涙がこぼれ落ちていた。
「この天然、どうにかならんか……」
自分に向けて吐き出した言葉を飲み込むように、私は口にお茶を流し込んだ。










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