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旅の記憶 ちひろの行き当たりばったり旅記録④

ポーランド🇵🇱 クラクフ→ワルシャワ
5週連続で週末試合を見に行ってる中の2週目。ラトビア→ポーランド→エストニアっていう暴挙。

その中でもどうしても行きたかったヴィエリチカ岩塩坑と、何よりアウシュビッツ&ビルケナウ。
小さな頃からアウシュビッツやその辺の歴史に興味があったので、絶対行こうと決めていました。

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リガからヴィリニュスで一泊して、早朝6時半初のバスに乗ってまずはワルシャワまで向かいます。
ヴィリニュス→ワルシャワ間は8時間の道のり。ですが、バスの中はトイレにコーヒーメーカーにWi-Fi完備で座席も広く、むしろ快適な旅でした。
2時過ぎにワルシャワに着いたらそこからクラクフまでは電車です。お昼ご飯を駅で軽く食べてクラクフまで3時間の道のり。
着いたらなんと大雨。だけどホステルまでは3キロ。びしょ濡れになりながら歩いて、長い長い1日が終わります。

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2日目。朝からまずはヴィエリチカに!午前中だけのツアーでしたが、すごい迫力でした。
地下に降りると辺り一面塩でできた壁。塩はとても硬くて、見た目にはわからないけれど、舐めるとしょっぱい。
とても綺麗な場所でしたが、小さな子どもやロバなどの動物が強制労働をさせられていた場所です。岩塩坑内にはたくさんの教会があり、常に神に祈りを捧げられる状況だった事からもその残酷さがわかるかと。

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ここではたくさんの人が亡くなりました。ですが今ではその綺麗さが人気になり、結婚式やMVにも使われているらしいです。

その後、1週間前にヴィリニュスで出会った韓国人のるりと再開。
こうしてずっと友情が続いていけるといいな。

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3日目。アウシュビッツ。夕方にはワルシャワに戻らなきゃ行けなかったので弾丸です。
行きはシンドラーのリストを聴きながら、アウシュビッツの映像を見て、覚悟を決めてから行きました。
アウシュビッツは教科書や映画やビデオで見た建物がたくさんありました。たくさんのユダヤ人が働かされて殺される。残酷な現状がそのまま残っていました。豚小屋みたいなところに押し込まれて。

これは後でワルシャワのユダヤ人博物館でわかった事なのですが、ユダヤ人が民族大移動してきた時にバルト三国やワルシャワ、特にクラクフにたくさん住み着いたそうです。
確かに、シナゴーグがたくさんあった。

そんなクラクフに収容所を作ったのは、効率よくユダヤ人を殺害する為だったのかなと思いました。

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その後、ビルケナウでたくさんのイスラエルの国旗を持った少年少女を見かけました。
イスラエルでは、17歳になったら必ずここを訪れるそうです。絶対に忘れてはいけない記憶。
イスラエルの国旗を掲げながら線路の上を歩いて行く学生を見ていたら、自然と涙が出てきました。

帰り道、どうしても賛美歌が聴きたくなって、バスの中で久しぶりに賛美歌を聴きました。

賛美歌はキリスト教だけど、全ての原点はイスラエルであり、同じところから始まっている。それなのに、なぜこんなに争いが起きるのか。

サラエボで聞いた、「God is God」と誰もが胸を張って言える、そんな世界になればいいなと思いました。

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