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来るもの拒まず、去るもの追わずに対する私の気づき。

世の中には心に響く言葉や格言がたくさん溢れてる。

私が、中学生の頃から心に留めてきた言葉の一つが

来るもの拒まず、去るもの追わず

だ。

当時、私は父の仕事の都合で、2〜3年ごとに引っ越しを繰り返してきており、親しい友人ができたかと思えば、離れる。そして縁遠くなる。

の繰り返し。

定住地なく、根っこが大きくなってきたら鉢を替えるように育ってきたので、

転校して直ぐ、興味半分で色々聞いてくるクラスメートがいつの間にか離れていったとしても、内心(またか…)と人が離れていくことにこだわらなくなっていった。

そして、そこでもまたいつか引っ越しになるのだから…と、自分から積極的に人間関係を作る努力はしてこなかった。

それなりに誘ってくれるクラスメートはいたけれど。

家に帰ってから友達の家に遊びにいくとか、遊びに来てもらうとか、

母が地域に馴染もうとしない性格で友人と遊ぶことを良しとしてなかったこともあり、友達を呼んでまで遊ぶことがなかった。

だから、そんな頃に知った

来るもの拒まず、去るもの追わず

は、当時の私にはしっくり来る言葉だった。

孤独感が募るのは何故だろう?

そう。

しっくり来てた、はず。

いや、ずっとこの言葉を
(自分1人でも大丈夫だ。)と安心させるため

ある意味御守りのように大事にしてきた。

なのに、どうして?


なんだかいつも孤独感が消えなくて。

そこに友達がいてわいわいしてるのに孤独。

何年経っても孤独。

そう感じ続けていても、認めたくない私は

(どうせ死ぬ時はみんな1人。)

なんて

究極とも言えることを考え始めた。


ほんと、馬鹿にも程がある。


そんな言葉で私の孤独感が消えるはずないのに。

そして、気付き。

そんな私が、このままじゃ嫌だなぁ…と、もがいて、学んで、

それまで自分から足を踏み入れたことのない世界に入ってみた。

最初に入ったところは、イマイチだったかも?と思ったけど、

そこで今につながる「コーチング」というものを知ったから、大きなきっかけをくれた場所だと、今では感謝しかない。

そのあと、別のところに行って、実力以上のコンテンツを作って、

目先の売上にしか目がいかない私になっていった。

それからそれから、

そもそも私はなぜ?誰のために、何のためにこの仕事をしたいと思ったのか?


それが分からなくなった。

見失った?

…というより、そもそも、
持っていたビジョンが明確じゃなかったのだろう。

だから、何をしていても足下が揺らいでいる感じ。

そんな私が、その後出会ったのがライフミッションコーチ協会。

協会での学びを通して、未来志向型で目標設定ができ、その目標に向かって無駄なく、不必要に力むことなく、行動できるようになった。


そう。

ライフミッションを体現してゆく中で、わたしは

わたしが長年、お守りのように大切にしてきた

来るもの拒まず、去るもの追わず

という言葉で孤独感が募っていった原因

ただ、向こうから来てくれるのを待ってればいいんじゃない。

自らが行動して、
来てくれた人がいるなら拒まず、
それぞれ何らかの事情で去ることがあっても追わない。

そういう意味なんじゃないか?と気づいたのだ。

その気づきがあって以来
私はこれまで以上にやるだけやってみる、ができるようになった。

その行動は全て、わたしのビジョンを叶える道に続いていて

何一つ無駄なこともなく

一つ一つを丁寧に積み重ねていってる。

そんな気がしてるから。

この気づきや理解が正しいとか間違ってるということもない。

別の捉え方をする人がいても、それでいいんだと思う。

でも、もし、私はね…と別な気づきをシェアしてくださる方がいらっしゃるなら、ぜひご連絡ください。

そんなことを語り合うシェア会を開催してみたら面白そうだな、とまた一つ企画を思いついてニマニマしているわたしなのでした。

今日も長文お読みくださりありがとうございます。





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