菅田将暉の特異性

『dele』放映中、「祐太郎って優しいけど、たぶん薄情」とか、「すぐに約束とか忘れそう」とか、散々ひどいイメージを書かれていたけれど、
放送終わってみて、結果、めちゃめちゃイイヤツだった。ちゃんと圭のもとに戻ってきたしね。

でも思い返してみれば、たしかに1話、2話あたりでは、いついなくなっても仕方ない野良猫のイメージがあって、後半になるにつれてだんだん足元がふらつかず、実態を持つようになっていった。
そして最後はもうちゃんと『意志』のある圭の相方だった。

こんな難しい役を25歳前後でさらりと演じられるのは多分菅田将暉しか思いつかないし、(まぁもともとあて書きだったということを除いても)やはり彼がいなければ祐太郎はきっと成立していない。

やれカメレオン俳優やら、やれ憑依型俳優やら、いろいろな名称をつけたがるけれど、はっきり言って菅田将暉はスター型俳優だと思う。

すべての役が、菅田将暉を表している。彼が「役」を表すのではなく、「役」が菅田将暉を表すのだ。

だから、「役」を通して「菅田将暉」を好きにさせる。スター型。(これが窪田正孝の場合だと、窪田君を通して「役」を好きになる。これはまた別に書く)

祐太郎も、菅田将暉が産んだ芸術作品だった。映画のような演出も加味されて、彼が出ているほぼすべてのカットがスチールで切り取れそうな、そんな雰囲気があった。本作では、決してイケメンの顔をつくっていないのに。

監督たちがこぞって菅田将暉を撮りたい気持ちはめちゃめちゃわかる。でもだからこそ、そろそろ違う菅田将暉が求められている。
ただ、彼は、他人が引き出すよりも、自分で引き出すしかないスター型。この先からが、いい意味で正念場なんだと思う。
あぁ、とても楽しみ。

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