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決めていたこと

とても。
冷たい夏でした。

その大きすぎる喪失感を受け止めるため。
誰とも分け合わず、自分のことだから。
自分だけで向き合おうと。
しばらく一人で過ごそうと決めました。

篠山さんが東京オリンピックに出ること。
東京オリンピックで篠山さんを応援すること。

同じように聞こえるかもしれませんが
わたしの一番の夢は後者で。
後者は、夢自体を託すのではなく、
わたし自身の心が真ん中で描いた夢でした。

この夢は他人事ではなくて。
自分のことでした。
だからこそ、ここまで心が冷たく空っぽになってしまったんだと思います。

2017年7月29日。青山学院記念館。
日本対ウルグアイ戦。
何の前知識もなく、ふと足を運んだ、男子バスケ代表戦。

そこで出会ってから、どんなに彼が素敵で稀有な存在か。それを伝えたくて。もっと応援したくて。力になりたくて。

ワールドカップから、そしてオリンピックへ。
更なる高みを目指す彼を写真に残したくて、カメラを構え続けました。

2019年12月29日。
レンズ越しに見てしまったあの瞬間。左肘関節脱臼の。

あの日から、わたしなりの覚悟を決めて、
応援すること、残さず伝えられるよう撮ることを
第一優先事項として、生活していました。


男子バスケ日本代表キャプテンが、五輪メンバーから落選。

結果としては、本当に撮りたかった場所には
辿り着くことはできませんでした。

決意に対して行った行為には
本当に何も後悔なく、
悔いもなく、応援し、撮り続けることができました。

ただ。結果と過程は別です。
いくら過程を愛せても、結果で報われなくては
やはり寂しく悲しいものです。
それは、見つめ続けた対象が。一番そう感じているのでは無いでしょうか。

彼のいない代表戦親善試合、宮城大会と岩手大会。

現実を受け入れるためには、彼のいないコートを撮ること。

逃げずに、彼の不在を直視すること。それしかありませんでした。

あの日のタイムライン。代表今までおつかれさまムードのSNS。オリンピック本番に向けてさらに盛り上がる試合会場。思い出に浸ることを頑なに拒否したわたしは、どこまでも冷たい人間なのでしょうか。

彼に、さらなる無理をさせようと願っている人間なのでしょうか。

わたしは、その時は、この後彼が進もうと選ぶ未来がどんなものか知りませんでした。

きっと東京オリンピックは間違いなく、節目になるに違いないもので。そこを境に今後どうあろうとするのか。時間は誰にも等しく有限で。その中で、どんな未来に進みたいのか。思いや考えをしっかりと確かめたいという、気持ちが強くなりました。

彼の描く将来設計、進みたい未来の場所と、わたしの願う到着地が同じであれば、応援は力になれると信じることができます。でも、そうでなかった場合、この思いや応援が、彼にとって足枷になることもあると考えました。

大好きだからこそ。自分の思いが、彼の未来の足枷や呪いのような、のしかかる、重たいものには、なってはいけない。

だから。篠山さんが考えていることを、思考の温度まで確かめられるぐらい、言葉や考えが伝わってくるまでは、待とうと決めていました。

感情と思考が温度と共に伝わるインタビュー。それを受け止めることのできる幸せ。

離れた場所から待つ身としては。これ以上無い、プレゼントでした。

本当に、本当に、ありがとうございました。

デルタ株の蔓延により。もしかすると。2020-2021シーズンより、2021-2022シーズンの方が、苦しく分断されたシーズンになるかもしれません。

アリーナで直接、また、応援できる保証なんて、どこにも無い。
それは応援を辞める理由になるかと問われたら、ならないと答えます。

わたしは彼ではないので。全く一緒の同じ夢は見ることができません。
それでも。同じ到着地を目指して辿り着く夢なら。きっと見ることができると思うのです。

もう一度。応援しても、良いですか。
わたしもわたし自身の夢を、見てもいいですか。

応援するということは。
ボロボロに負けることもズタズタに苦しむことも。
一緒に引き受けることです。

応援するということは。
まるで上り坂に見せかけた下り坂も。
終わりの見えない平坦な平坦な長いだけの道も。
同じ歩幅で歩き続けて、
自分からは歩みを止めないことです。

応援するということは。
自分自身の成長によって。
相手の新たな素晴らしさを発見しつづける連続のことです。



応援したいから。力になりたいから。

涙が止まらなくても、前に進むことは止めなくていいよね。篠山さん。

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