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映画「シラノ」感想

 一言で、手紙を通した愛の物語です。一人の小男が友人の男女カップルが結ばれるために、手紙を代筆しますが…「手紙の中の理想の人間」を愛してしまった故の恋の三角関係には、切なくも苦しくなりました。

評価「C」

※以降はネタバレを含みますので、未視聴の方は閲覧注意です。

 17世紀後半のフランス。主人公シラノ・ド・ベルジュラックは、「小人」でありながらも、剣術と詩の才能に優れていました。劇場で大根役者を「挑発」し、それに怒った子爵とステージで決闘を繰り広げたことで、周囲はその強さに驚きます。
 同じ頃、劇場でその一部始終を見ていた貴婦人ロクサーヌと、観客の青年クリスチャンは、瞬く間に恋に落ちます。(彼女には、ギーシュ公爵という求婚者がいましたが、彼と結婚する気はなかったのです。)
 翌日の朝、シラノは、ロクサーヌから呼び出されますが、彼女が好きになった人を知り、密かに失恋します。彼女からは、「クリスチャンが今日から入隊する」ことを伝えられます。 
 しかし、当のクリスチャンには文才が全く無かったため、シラノは、クリスチャンからロクサーヌ宛の手紙を「代筆」し、文通で2人の距離を縮めようと考えます。
 ある夜、ロクサーヌはクリスチャンに会いますが、手紙のような美しい言葉を言えない彼に失望し、その場から立ち去ります。その様子を影から見ていたシラノは、ある「助け舟」を出しました。
 その後、2人は結ばれて極秘結婚しました。しかし、ギーシュ公爵はそれに怒り狂い、シラノとクリスチャンを戦地の最前線に送ってしまうのです。必ず戻ると二人は彼女に伝えますが、彼らの運命はあまりにも過酷なものでした…

 本作の原作は、戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」です。フランスの作家エドモン・ロスタンによって、同名の実在の人物を基に執筆され、1897年12月の初演以降、フランスの劇場ではロングランで上演されてきた超人気作品です。日本でも宝塚歌劇団や劇団四季など、名だたる劇団にて幾度に渡って上演されています。
 尚、本作はミュージカル映画となり、原作からの「改変」を加えて、新たな作品に生まれ変わっています。

1. これまでのフランスミュージカルとの類似性について。

 本作は、これまでに上演・公開されたフランスの戯曲やミュージカル作品の時代背景や世界観、物語の構成が重なる部分が見られます。

 まず本作の時代背景は、17世紀後半で、絶対王政の時代でした。そのため、貴族が沢山登場します。その辺は、「美女と野獣」や「シンデレラ」と似た世界観です。
 この当時の男性貴族の見た目の特徴は、「不気味な」化粧と、白髪ロングパーマの「カツラ」でした。前者は、ギーシュ公爵や、シラノと決闘した子爵のように、顔をドーランで白く塗り、赤いチークを強調したもので、かなり不気味でした。現代なら、お笑い芸人の「ゴー☆ジャス」が一番イメージとして近いでしょう(笑)
 後者は、バッハやモーツァルトみたいな髪型ですが、実はカツラです。子爵がシラノとの決闘でカツラが取れてツルッパゲ頭が見えてしまうシーンは、間抜けで思わず噴き出しました(笑)しかし、彼らにとってこれはとても屈辱なことなので、余計に闘争心に火を付けてしまったのです。

 また、美女と「特異体質」な男性との恋や、「二人の男性が一人の女性を巡る」恋の三角関係、「マイノリティーの物語」という点は、「オペラ座の怪人」や「ノートルダムの鐘」との類似性があります。※尚、「特異体質」というのは、作中で何か「特徴的」な形質を持っているという意味であり、決して差別表現ではありません。
 本作で、劇場から物語がスタートすること、そして白塗り役者のオペラや羊達のバレエといった「珍妙」な演目の後に、突如シラノが登場する下りは、正しく「オペラ座の怪人」の怪人(ファントム)の登場シーンのようでした。

 さらに、立場や身分などが「許されない」者同士の恋愛という意味では、「ロミオとジュリエット」や「ウエストサイド物語」との類似性もあります。バルコニー越しの告白や、男性が壁伝いに女性の部屋に入るところが。※最も、「ウエストサイド物語」の元ネタは「ロミオとジュリエット」ですが、本作のようなフランスの恋愛文学とも共通点はありそうです。

2. ロケーションやセットは素晴らしく、リアリティーが高い。

 本作は、ロケーションやセットの完成度が高く、まるで17世紀後半のフランスにタイムスリップしているかのような感覚を味わいました。

 主な撮影場所はイタリア南部のシチリア島なので、フランスで撮影した場面はあまりないのかもしれません。それでも、劇場・岬の先端の要塞・バルコニーのある屋敷・貴婦人達が集うサロン・戦場の雪山(エトナ山)・カトリック教会などのリアリティーは高く、本当にフランスにいるかのようでした。ちなみに、終盤シラノの部屋からモン・サン=ミシェル(恐らくロクサーヌがいた修道院)が見えたので、ここはフランスでの撮影だったのかもしれません。

 ここのクオリティーの高さは、「ほんとうのピノッキオ」や「ハウス・オブ・グッチ」と同じくらい良かったです。

3. キャラクターは、原作より「改変」しているものの、違和感はあまりない。

 原作と本作では、キャラクターの設定がかなり異なりますが、時代背景に合っていたため、そこまで違和感はなく観れました。

 本作のシラノは、「小人」の男性です。※原作・舞台版では「大きな鼻」を持つ男性です。演じたのは、ピーター・ディンクレイジです。
 シラノは剣術と詩の才能に恵まれていますが、実は謎の多い主人公で、その生い立ちは殆ど語られていません。(軍人になった理由や、家族の存在など)
 正直、彼の「小人」というアイデンティティーは、「鼻」よりもかなり「目立つ」故に、もっと「酷い目」に遭うことを想像していまっていたのですが、そういう話ではなかったのは良かったです。

 実はこの時代、彼のような「特異体質」を持つ者は、「慰み者」と呼ばれ、宮廷に仕えていたのです。例えば、17世紀にスペイン・ハプスブルク家に仕えた宮廷画家ベラスケスが描いた「ラス・メニーナス」には、右端に「小人(矮人)の男女」が描かれています。また、「セバスチャン・デ・モーラ」に描かれた髭面の男性は、同じく「小人」で、その見た目はシラノそっくりです。ちなみに、ベラスケスが生きていた時代は、丁度本作の時代と重なります。※尚、本作では、「慰み者」という表現は使われていません。

 シラノは、「完璧超人」で、周囲に「化け物」と侮辱されても耐え、正々堂々と決闘で勝負し、勝っても驕らない性格でした。
 昔から、「ハンディキャップ」のある人間は、差別や迫害を受けてきました。しかし、一方で「不完全で特異的」だからこそ、「畏れられた」存在だったとも言われています。そのため、彼らは周囲から投げかけられた言葉をユーモアに変え、置かれた状況を知性で乗り切ることで、理不尽な環境を生き抜いていたのです。

 ちなみに本作では、シラノとロクサーヌは「同郷で幼馴染み」という設定に変更されています。※尚、原作・舞台版では、ロクサーヌはシラノの従妹です。
 ロクサーヌに淡い恋心を抱きつつも、クリスチャンとロクサーヌの「恋のキューピッド」に徹しなくてはならない、そんな彼の二律背反な葛藤は観ていて辛いものでした。

 ロクサーヌは色白美女の貴婦人でした。「家や地位に縛られた結婚はしたくない」と考え、恋愛からの結婚に憧れていました。演じたのは、ヘイリー・ベネットです。2人の男性から想いを寄せられ、彼らを振り回す様子は、まるで「小悪魔女性」でした。

 クリスチャンは下級兵士で、家庭では軍人になるために育てられました。純朴な青年ですが、とても口下手で、文才はありません。演じたのは、ケルヴィン・ハリソン・Jrで、アフリカ系の俳優です。本作も「ポリコレ」要素はあり、軍人やシスターにアフリカ系の俳優を起用しています。ここは賛否両論ですが、私はそこまで気になりませんでした。
 最も、この当時フランスはアフリカの国を植民地にしていたので、フランスに連れてこられた人々の子孫や、フランス人が現地で「作った」混血の子孫が渡仏していてもおかしくはないと思います。

 正直、なぜ2人が惹かれ合ったのか、明確な理由は説明されていませんが、「恋は突然に、好きになるのに『理由』はない」のかもしれません。

 ロクサーヌの求婚者のギーシュ公爵は、傲慢で横暴な男でした。劇場でシラノを見て嘲笑ったり、彼女と結婚したいがために、勝手にカトリックの司祭を彼女の家に寄越したり、やりたい放題でした。彼は、「たとえ司祭がいなくても、必ずロクサーヌを自分のものにしてやる」とぬかしており、彼女への「目線」は気持ち悪かったです。尚、彼は原作とは異なり、最後まで「ヴィラン」で終わります。

 また、本作では上記のようなヘテロカプ・ノマカプだけでなく、ブロマンスもあります。(シラノとクリスチャン、シラノとル・プレ大尉など)

4. 手紙による「本音と建前による虚構の人間関係」の形成とは。

 本作では、手紙による「本音と建前による虚構の人間関係の形成」が描かれていました。

 シラノは、クリスチャンにとっての(良く言えば)「代筆屋」、(悪く言えば)「ゴーストライター」になりました。勿論、ロクサーヌには秘密です。
 クリスチャン(シラノ)とロクサーヌ、この「2人」の文通より、この時代において手紙はコミュニケーションの主な手段だったことが伝わってきます。ここはアニメ「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が好きな人は、嵌まるかもしれません。

 しかし、彼らは文通を重ねるうちに、いつの間にか、お互い「理想像」を作り上げてしまっていたのです。「手紙の言葉」を好きになってたけど、「本人」のことはまるで知らない、つまり「現実」を見ていなかったのです。
 上記のシーンは、3人が同じ歌を歌いながら、違う場所で手紙を読み書きする様子が一画面に描かれており、ここは圧巻でした。
 また、窓辺のロクサーヌに、クリスチャン(シラノ)が愛を語るシーンは、「暗くて顔が見えない」ために、クリスチャンの言葉だと勘違いしてしまいます。ここはかなりツッコミ所はありますが、良いシーンでした。

5. 貴族の女性にとっての「結婚」の意味。

 本作では、この当時の貴族の女性にとっての「結婚」の意味が示されています。

 この時代の貴族の結婚は「家や地位」のためのものでした。例えば、ギーシュ公爵のロクサーヌに対する態度は、位の高い女性が、男性の地位向上の「道具」だったことの象徴に見えました。
 また本作に登場する宗教はカトリックなので、教義上「離婚」は出来ません。
 一方で、「恋愛と結婚は別」という考えもあり、実際には既婚者でも、「恋人」がいたケースはあったようです。しかし、少なくとも本作のギーシュ公爵はロクサーヌに対して、それを認めないと思います。

6. 戦争シーンが結構精神的にくる。

 本作の時代設定は、17世紀後半であり、フランス革命(18世紀後半、1789年)が起きる前の話です。また、その原動力となったモンテスキューの「法の精神・三権分立」が出版されたのは、18世紀半ばの1748年です。そのため、本作では、まだ法治国家の考えが浸透しておらず、身分の高い人の感情論で物事が決まってしまうことが多々ありました。

 例えば、ロクサーヌとクリスチャンの結婚の誓いを見てしまったギーシュ公爵は、怒りの感情一択でクリスチャンとシラノを戦地(フランス北部の雪山)へ送ってしまいます。よって、2人の結婚生活は、わずか一日も無かったです。
 そして、上官は彼らが所属していた衛兵部隊を「鉄砲玉」として敵地へ特攻させる命令を下します。この「特攻」の命令文書の手紙に血印と署名がしたためられるシーンは、生々しく感じました。

 戦地の様子は、丁度「今の情勢」と重なり、戦争の悲惨さが強く伝わってきました。直接的な残酷描写はありませんが、精神的に結構来ます。
 衛兵達が鉄砲玉のように敵地へ特攻する姿は、まるで日本の特攻隊のようでした。また、少年兵が時々映っていたのが印象的でした。兵士達の辞世の書いた手紙を集める少年兵や、大人の隊列に混ざる少年兵など。しかし、結局大人子供関係なく、銃弾や砲撃で倒れていくのを見ていると、悲しくなりました。

 出陣前、クリスチャンはシラノに、ロクサーヌへの手紙を見せてほしいと頼みますが、シラノはそれを断ります。しかし、「どうしても見せてほしい」と懇願するクリスチャンに根負けし、手紙を見せたのです。そして、シラノは「私もロクサーヌを愛していた。だから、お前よりも沢山手紙を送った」と伝えました。これを聞いたクリスチャンは突如陣営から飛び出して一人で敵地に飛び込み、銃弾で撃たれて亡くなります。
 ここでは、クリスチャンが突如パニックを起こして「自決」してしまったように見えてしまいました。何故彼はこんな行動を取ったのでしょうか?「ロクサーヌに『失望』されることが怖かった」から?それとも、「自分が作り上げた『嘘』を自分で認めることが怖かった」から?その気持ちを一言で纏めることは、大変難しいですが、正に、人間は極限状態に置かれると、理性よりも感情が勝って、とんでもない行動を取ってしまうことがわかる描写でした。
 これにより、シラノはクリスチャンに手紙を見せてしまったことを心底後悔したように見えたので、(戦局の悲惨さとは別の意味で)辛かったです。

 尚、原作では、ロクサーヌが兵士の慰問のために、戦地までやって来るシーンがありますが、本作ではそこをカットし、戦地で兵士達が戦地の過酷さと家族や友人たちへの愛を手紙にしたためるシーンに差し替えたそうです。

 ちなみに、本作の戦争について、本作では言及は無かったですが、原作より、「三十年戦争」というヨーロッパの宗教戦争だとわかりました。

7. 物語は割と淡々と進むので、緩急は少ない。

 私は本作を「良い映画」だとは思ったものの、そこまで作品に対する没入感はなく、感情も大きく揺さぶられず、終始一歩引いて観ていました。展開が淡々としているので、全体的な緩急は少ないように感じました。
 もしかすると、ここは映画化にあたって、カットした部分が多かったからかなと思いました。※原作はかなり長編のようなので。
 そのため、ダイナミックなダンスや派手な演出など、大きな盛り上がりを期待すると、肩透かしを食らいます。※その辺は、同じフランスのミュージカルの「レ・ミゼラブル」や「オペラ座の怪人」はうまく出来てたのかもしれません。

8. 終戦後の場面は「15年後」から「3年後」に変更された。

 終戦から3年後、ロクサーヌは未亡人になり、修道院で生活していました。
 シラノは生き残り、土曜日毎に彼女のもとへ通います。しかし、彼は心身ともに衰弱していました。
 彼の部屋には、沢山の「手紙の山」が。戦地でクリスチャンに語った「自身からロクサーヌへの手紙」のことですが、本当は「出してなかった」のです。机上の「最後の」手紙に「彼の血の手形」がクッキリ残っており、生々しかったです。
 終盤、教会で力尽きたシラノ、彼の臨終を看取るロクサーヌは「クリスチャン」からの銃弾の血痕が残る最期の手紙をまだ読めていませんでした。彼女は、その手紙をシラノに渡して、「読んでほしい」と懇願します。しかし、シラノはその手紙を見ず、まるで「暗記」しているかのように、彼女に伝えたのです。
 そこで、彼女は手紙の「真実」に気づいてしまいました。実らなかった「恋」と、そこにずっとあった「愛」に。でも、もう遅かったのです。
 しかし、同時に臨終のシラノとロクサーヌの「ディープキス」を見てしまうと、クリスチャンとの関係性は何だったのか、モヤッとします。あの場でクリスチャンが化けて出てこないことを祈りたいです。
 結局、3人共「手紙の中の虚像」に引っ張られて、各々の「中身」を見ようとしていなかった、そんな運命の皮肉と悲しさを感じました。

 尚、原作と本作では、「終戦後、次の場面に切り替わるタイミング」と、「シラノの衰弱の原因」が異なります。
 原作では次の場面は「15年後」で、衰弱原因は、「暴漢に襲われたことによる怪我」です。
 一方本作では、そこが「3年後」とかなり短縮されており、衰弱原因は、「戦争による心神喪失」と改変されています。確かに、この理由なら、「3年後」になっていてもそこまで違和感は無いです。寧ろ、戦争によって人はとても傷つくことが伝わってきました。

9. 「PG-12」指定だが、そこまで過激な描写は殆ど無い。

 本作のレーティングは、「PG-12」でしたが、そこまで強く感じる場面はほぼ無かったように思いました。観る前は、明確な性描写や残酷描写など、「過激な」描写があるのかなと思いましたが、実際はそういうシーンはなく、そこまで強い「刺激」は感じなかったです。敢えて挙げるとすれば、決闘での刺殺、戦争描写、最期のディープキスとかはあったので、この辺かな?とは思いましたが。

 原作には、本作品に描かれてなかった部分があるようなので、時間があればそちらも読んでみたくなりました。また、機会があれば観劇もしたいです。

出典:
・映画「シラノ」公式サイト
https://cyrano-movie.jp/sp/

・映画「シラノ」パンフレット
(粗筋はこちらから引用。)

・小寄道 「ベラスケスとは何者か」https://blog.goo.ne.jp/koyorin55/e/b4aec4f2fe0f474bfc05d46b51d2da2d

・【矮人と呼ばれた異形のものたち】王侯貴族の慰め役となった宮廷道化人https://www.highscoretoeicker.com/nagusamimono/

・慰み者からみたスペイン宮廷【ラスメニーナス、ベラスケスの十字の謎】https://www.highscoretoeicker.com/velasquez-juji-no-nazo-las-las-meninas/

・フランスの歴史年表https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%B9%B4%E8%A1%A8


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