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映画「ギレルモ・デル・トロのピノッキオ」感想

 一言で、ストップモーションの可愛さとリアルさが素晴らしく、また原作の良さを残しつつ、新たな視点を授け、監督節もしっかり効いた、今年のオスカー受賞も納得のアニメでした。

評価「A」

※以降はネタバレを含みますので、未視聴の方は閲覧注意です。

 本作は、2022年のアメリカ合衆国のミュージカル・ファンタジー・ストップモーションアニメ映画です。
 原作童話は、カルロ・コッローディの『ピノッキオの冒険』、ギレルモ・デル・トロとマーク・グスタフソンが共同監督、デル・トロとパトリック・マクヘイル(英語版)が共同脚本を務め、リメイク&オリジナルアニメに仕上げています。
 製作総指揮は、ジェイソン・ラストとダニエル・ラドクリフが務めています。(何と!)

 元々は2008年に企画が発表され、2013年または2014年公開を目指していたものの、開発・製作資金不足により一度2017年11月に製作が中断しましたが、2018年にNetflixが権利を取得したことで製作が再開し、一部の映画館にて先行上映、そして12月9日にNetflixで配信されました。

 批評家からはデル・トロとグスタフソンの演出やアニメーション、映画音楽、キャストの演技が高く評価され、。第80回ゴールデングローブ賞では、ストリーミング作品として初めてアニメ映画賞を受賞し、第95回アカデミー賞では長編アニメ映画賞を受賞しました。

・主なあらすじ

 第一次世界大戦下のイタリア王国、ゼペットは息子カルロと共に、慎ましい生活を送っていました。
 しかし、ある日オーストリア=ハンガリー軍の空襲で爆弾が教会に投下され、そこにいたカルロが亡くなってしまいました。ゼペットは息子の墓の側に松の木を植え、息子の死を悼みながら20年間を過ごします。
 やがて、ゼペットは成長したその木を切り倒し、「新しい息子」を創ります。ある日、彼の「願い」を聞いた木の精霊が人形に命を吹き込み、人形に「ピノッキオ」と名前を与えます。
 住処に勝手に命を吹き込まれたセバスチャンは木の精霊に抗議しますが、木の精霊から「ピノッキオの良心として成長を手助けすれば、一つだけ願いを叶える」と告げられ、提案を受け入れます。早速ピノッキオの側に行くセバスチャン、しかし…。

・主な登場人物

・ピノッキオ/カルロ:グレゴリー・マン(野地祐翔)本作の主人公でゼペットの「息子」。ひょんなことから珍道中の旅を経験します。

・ゼペット(英語版):デヴィッド・ブラッドリー(山野史人)ピノッキオとカルロの「生みの親」。最初は無邪気でヤンチャなピノッキオに振り回されますが、やがて親として何ができるか悩みます。

・セバスチャン・J・クリケット(英語版):ユアン・マクレガー(森川智之)
 ゼペットの松の木に住み着いた小さなコオロギ。ピノッキオの「良心」となり、彼を「正しい方向」に導こうと奮闘しますが…。

・ヴォルペ伯爵:クリストフ・ヴァルツ(山路和弘)
 落ちぶれ貴族で、人形劇経営者。猿のスパッツァトゥーラはペット。「生きた人形」であるピノッキオに利用価値を見出し、契約書を交わして人形劇に出演させますが…。

・スパッツァトゥーラ:ケイト・ブランシェット
 白い猿でヴォルペのペット。彼からは「パシリ」や「物扱い」され、ピノッキオに嫌がらせを続けるも、ヴォルペからは酷い目に遭わされますが…。

・木の精霊(英語版)、死の精霊:ティルダ・スウィントン(深見梨加)
 前者はピノッキオに「命」を与えた存在。後者はピノッキオが「死の世界」で出会った存在。どちらも彼の運命を握ります。

・市長(イタリア語版):ロン・パールマン(壤晴彦)
 町の統括者。とあるアクシデントからピノッキオを車で轢いてしまうも、彼を「不死身の兵士」としてイタリア陸軍に徴兵しようと画策します。

・キャンドルウィック(英語版):フィン・ウルフハード(宮里駿)
 市長の息子、ピノッキオや他の子供たちと共に少年兵になることを強いられるも、実は臆病者として父親から嫌われることを恐れています。ピノッキオと語り合ったことで友人になります。

・神父:バーン・ゴーマン(横島亘)

・医者:ジョン・タトゥーロ

・黒ウサギ:ティム・ブレイク・ネルソン

・ベニート・ムッソリーニ、ムッソリーニの側近、船長:トム・ケニー

1. ストップモーションアニメとしても、近年のアニメとしてもレベルが高い!

 本作、ストップモーションアニメとしても、近年のアニメとしても、どちらを取ってもレベルが高かったです。今年のオスカー受賞も納得の出来でした。

 まず、ストップモーションアニメとしては、キャラの造形が「リアル」すぎて、人形とは思えなかったですね。本当に「人間」のようでした。また、動きも大変滑らかで、技術の進歩を感じました。
 この辺は、ストップモーションアニメ制作で有名なアードマン・アニメーションズ(代表作に『ウォレスとグルミット』や『ひつじのショーン』)やライカ(代表作に『KUBO/クボ 二本の弦の物語』や『ミッシング・リンク英国紳士と秘密の相棒』)などの会社にも引けを取らないレベルでした。映画館で観たかったです。(一部の映画館では上映あったみたいですね。)
 元々ストップモーションアニメは、制作費の高さと制作に長期かかることから、アニメ全体数ではあまり数は多くないですが、今回の称賛は、間違いなくストップモーションアニメの進歩に繋がったと思います。

 ちなみに、吹き替えキャストも豪華なのに驚きました!ユアン・マクレガーにケイト・ブランシェット、ティルダ・スウィントンなどなど有名俳優が多かったです。
 特にスパッツァトゥーラ役は、エンドロール見るまで気づかなかったです。※日本語吹き替えキャストはおらず、原語版のままでしょうか?

2. 本作はリメイクの「成功例」である。

 本作は童話のリメイク映画なので、「基本的な」ストーリーは同じです。しかし、そこに「オリジナル要素」を加えていました。
 本作は原作童話より、かなりリアリスティックでダークでシリアスな内容に変貌していました。正直、ここまでガラッとアレンジしてくるとは思わなくて、とても驚きました。
 しかし、このオリジナル要素が邪魔することなく、原作の世界観をきちんと活かしたことには感嘆しました。だから、必ずしも「原作を『そのまま忠実』にやる」ことが良いという訳では無いことがわかります。

 最も、元々『ピノッキオ』の話は「あまり作劇が上手くない」のです。ピノキオの物語は、彼が色んな不可思議なキャラに出会って、その人形生を翻弄されるのですが、各エピソードにあまり繋がりがなく、伏線をばら撒いてもあまりそれが回収されないのです。一番最初に出版された小説に至っては、「ピノキオが首○りして○ぬ」という酷いラストですし。※流石にこのラストは読者から非難が殺到して、「生き返って人間になる」に変更されましたが。

 その後やディズニーを始めとするアニメ化や実写化が何度もされ、各作品によってアレンジがなされましたが、それでも「作劇が今一つ」な点は変わってなかったのです。
 個人的には、2年程前に公開された、イタリア映画の『ほんとうのピノッキオ』という実写映画が印象に残ってます。かなり世界観が独特なので好き嫌いは分かれそうですが、興味がある方はどうぞ。

 結局、童話のリメイクって強いんですよね。『長靴をはいたネコと9つの命』・『アラビアンナイト三千年の願い』もそうでしたが。まぁ、こういうリメイクって、新しくお話を作るより、元の話に少しだけ「捻り」を入れるだけでヒットが約束されているようなもんですよね。

3. 過去のデル・トロ監督作品らしさもふんだんに表現されている。

 本作は、過去のデル・トロ監督作品らしさもふんだんに表現されており、相変わらず彼のダークネスな世界観は健在でした。

 例えば、『パンズ・ラビリンス』やなど監督の過去作のオマージュも。彼の作品は中々胸糞悪い、エグい描写が売りですね。『ナイトメア・アリー』もそうだったけど。※どちらも苦手な作品なので、あまり本作に期待はしてなかったのですが、良い意味で裏切られました!

 また、色んな宗教観と神話が混ざっていました。キリスト教(カトリック)の教え、オークや北欧神話っぽさ、地獄や死神、閻魔大王いや女王の存在も。スフィンクスみたいな怖い造形の神様がいれば、黒うさぎみたいなコミカルな造形の生き物もいました。あれは地獄の使徒でしょうか?本来なら怖い存在なんでしょうけど、何故か可愛かったです。
 他にも、森の中から出てきた目玉の蛍みたいな生き物は、『ゲゲゲの鬼太郎』の目玉おやじみたいでした。
 後は『ハリー・ポッター』や『ファンタスティック・ビースト』に登場するような不思議生物もいました。ちなみに、本作にはダニエル・ラドクリフ氏が製作に関わってるから、その縁でしょうか?

 そして、本作におけるキリスト像はピノッキオと重なる点があるように思います。生前、カルロはキリスト像をよく見ており、死の直前も聖堂内にいました。彼の死後もゼペットはキリスト像の修復を続けていました。作中でハッキリとした言及はありませんでしたが、ピノッキオの「復活」や、ゼペットや仲間達にとっての「心の支え」となったことを考えると、この描写には何か意味があるように感じられました。

 さらに、コオロギが終始ゴキブリ呼ばわりされて弄られていたのは草でした。小さい虫ってあまり見分けがつかないんでしょうか?

4. 本作は 毒親からの「解放」、親子の「和解」の物語でもある。

 さて、本作にはメインプロットであるピノッキオの冒険だけでなく、もう一つの側面があります。これは「親子の物語」としてサブプロットとして描かれます。

 本作で描かれた「親子関係」は3組あり(健全なものも歪んだものも含む)、それぞれ「ゼペットとピノッキオ」、「ヴォルペとスパッツァトゥーラ」、「市長とキャンドルウィック」となります。

 本作は、最初はこの3組全てが「歪んだ」関係として描かれます。

 まず、ピノッキオに命が宿ったことで、ゼペットはピノッキオをカルロに重ね、喪った息子を「取り戻そう」とする、ヴォルペはピノッキオの才能を「見出し」、人形劇団のスターにしようと画策する、市長は「不死身の」ピノッキオをスカウトし、兵士にしようと画策する。形は違えど、皆がピノッキオに執着してしまいます。※この辺は、『鉄腕アトム』における、天馬博士と天馬飛雄と鉄腕アトムとの関係性と似ているかなと思います。

 また、ヴォルペとスパッツァトゥーラの関係については、親子どころか飼い主とペット、いやそれ以下ですね。スパッツァトゥーラの名前は「ゴミ」という意味で、愛情をかけているシーンは一度もありませんでした。

 そして、市長とキャンドルウィックも、親が子供を抑えつけ、強くなることを強制する関係性となっています。「戦争に勝つためには、兵士になって敵を殺せ、それが生きる務めだ」と教え込みます。

 これらの歪んだ「親子関係」ですが、とある言葉がキーワードとなっていきます。それが「時に人間は暴言を吐くことがある、でもすぐにそれが本心ではなかったことに気づくものだ」てす。
 この言葉は、何度か作中で出てきますが、ピノッキオとキャンドルウィックが軍の施設で夜に語り合うシーンで一番意味をなしたように思います。これによってピノッキオはゼペットを心の中で赦し、再会を願います。キャンドルウィックも父親と正面から向き合いたいと誓います。抑圧され、死の危険と隣り合わせな過酷な環境下でありながらも、この言葉によって二人は「救われ」、前に進めたのかもしれません。

 一方で、本作では毒親からの「解放」は必ずしもポジティブには描かれていません。「ヴォルペとスパッツァトゥーラ」、「市長とキャンドルウィック」、いずれにしても「生前での和解」にはなりませんでした。※本作は「親の死」によって子が「解放」されてはいますが、実際は親は変わらず、しかもそう簡単にいなくなるものでもなく、「長く生き続ける」親に苦しむ子も多いのが現状です。
 勿論、完璧な親子はいません。思いがけなく「間違ってしまう」ことはあります。でもそれが子の命や尊厳を損なわせるものになってはいけないのです。

 ゼペットとピノッキオで「親子の和解」を描きつつも、一方で「そうではない」場合もあることを突きつける、「親子愛」を語りつつも、「毒親ポルノ」にもならない、ここは絶妙なバランスを取っていました。

5. 反戦メッセージは強い、でも子供が見るならちょっと注意が必要かな。

 このように本作は、戦争や少年兵を描いており、反戦メッセージが強く伝わります。この時代だからこそ観てほしい作品です。子供も大人もこんな目に遭ってはいけないし、遭わせてもいけません。

 本作では、子供達が遊び呆けた罰としてロバに変えられてしまう悪魔の楽園「プレジャーアイランド」が、「士官学校」に変更され、かなりリアリスティックな描写となっています。ただ大人に騙されて連れてこられる場所ではない。少なくともここには、本人達が「志願した」意志があるのです。
 しかし、少年兵達は段々とこの状況がおかしいことに気づきます。「人を殺すこと」、「相手国に勝つこと」は本当に正しいのかと。だから、模擬戦で「引き分け」の勝負をしたシーンは、非常に良かったです。彼らは模擬戦に「勝ち負けをつけない」ことで、初めて大人達に自分達の意見を示したのです。

 一方で、お子様が見るならちょっと注意が必要なシーンもあります。ファミリー映画ではあるけども、描写の激しさやプロバガンダの思想的な意味では「大人向き」かもしれません。

 まず、とにかく戦争描写が容赦なかったです。大人も子供も動物(カモメとクジラ)も否応なしに巻き込まれて死にます。この「えげつなさ」は、前述の通り、いつものギレルモ・デル・トロ節かもしれません。
 邦画アニメなら、『はだしのゲン』・『火垂るの墓』・『この世界の片隅に』辺りをご想像いただければと思います。これらの作品が苦手な方は、本作の鑑賞が辛い人もいるかもしれません。

 また、実在のムッソリーニを出した時点で、かなりグレーな映画でもあります。日本なら、太平洋戦争下での首相や軍人をアニメキャラにするようなものなので。※実際の国同士を敵対させる話は『RRR』もそうでしたが。

6. 「嘘は必ずしも悪いものでもない」のかもしれない。

 ピノッキオのお話では「嘘をつくと鼻が伸びる」シーンがありますが、本作では嘘は「禁止」というよりも、「必ずしも悪いものではない」、時と場合によっては使ってもよいと描かれています。

 物語ラスト、クジラの中に飲み込まれてしまったピノッキオとゼペットですが、ピノッキオは敢えて「嘘」をつき、鼻を伸ばして危機を脱します。この「嘘も方便」という使い方をした点は、本作もディズニー実写版も同じでした。

7. 良い出来だけど、このシーンは欲しかったかな。

 このように、本作は良い出来なのですが、一点気になった点がありました。 
 
 ゼペットと再会し、新しい仲間も家族になったピノッキオでしたが、ゼペットや仲間達は亡くなります。その後、旅に出たピノッキオですが、もし一縷の望みがあれば、ピノッキオと老人になったキャンドルウィックが再会してほしかったと思いました。彼らとは士官学校が攻撃された時に別れてしまい、その後キャンドルウィックの行方は本作では描かれないので。
 でも少なからず彼はピノッキオを探していたので、お互いの友情の気持ちは強かったはずです。キャンドルウィックには生きていてほしいですね。(公式サイトにも「死亡」とは書かれてないので、「生存説」を信じてます。)

出典:

・映画「ギレルモ・デル・トロのピノッキオ」公式サイト

ヘッダーは公式サイトより引用。

・ギレルモ・デル・トロのピノッキオWikipediaページhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AD%E3%81%AE%E3%83%94%E3%83%8E%E3%83%83%E3%82%AD%E3%82%AA

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