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“誰が”ではなく“どこが”を見る

こんにちは。
三上智香子です。

今日の京都は朝から曇り空。
朝から比較的あたたかく感じます。

今日もこの記事に辿り着いてくださり
ありがとうございます。


数年前、私には苦手な女性がいました。

彼女の何が苦手だったのか⁈

それは彼女が甘え上手だったってこと。

本人に「甘え上手」やね!
なんて言ったことも聞いたこともないけれど
私にはそう見えていました。

それのどこが苦手なの?と
不思議に思われるかも知れませんが
彼女の行動を目にするたびに

「あの人なんなん」
「人の褌で相撲を取るな!」

何度もそう思ってはイライラしていました。

だから私の中では

彼女=嫌な女


彼女のことを考えると
イライラ、モヤモヤ、ムカムカする。

考えなければいいだけの話なんだけど
気がつけば彼女の行動を思い出しては
またイライラ、モヤモヤ、ムカムカ!

彼女に支配されているような感覚になった私は
ヤバい!どうにかしたい!と思い
彼女ではなく、彼女のどこに反応しているだろ?と
自分を見ていくことにしたんです。

そしたら
彼女の甘え上手なところや
人に頼れるところに私は反応していた!

人に甘える
人に頼ることって
私の中では

やってはいけないこと
私にはできないことだった。

とにかく1人で頑張る

人に頼るなんてとんでもない


だから家事も当たり前のように1人で頑張ってました。

そう私は
人に甘えること
人に頼ることを心の奥の方に追いやり
そこに蓋をしていたんです!

私が蓋をしていることを
目の前でいとも簡単にされると

私の中では
沸々と許せない!!という感情が湧いてくる。

この許せない感情の裏にある
私の本当の想いは

私も

人に甘えたい!!

人に頼りたい!!


ということでした。

彼女に問題がある訳ではなく
彼女の行動が私の心の奥にあるものを
揺さぶっただけでした…。

私は何故、甘えることや頼ることに蓋をして生きてきたのか?

そこを見ていくと

幼少期によく母から
「自分のことは自分でしなさい」
「人に迷惑をかけてはダメ」と
言われていたことを思い出しました。

父も会社人間で忙しく
ゆっくり話を聞いてくれた記憶がなく
頼ることはできないという感覚を覚えています。

きっと両親は深い意味で言っていた訳ではなかったかも知れませんが

その時にできた
「人に頼ることはよくない」
「人に甘えることは迷惑をかけることになる」と
思い込んで生きてきた私にとって、素直に人に甘えたり頼ったりできる彼女が

とっても羨ましかった

私もそんな風にしたい


という想いが溢れてきました。

そして私は
蓋をしてきた私の本当の想いをそのまま受け止め
自分自身にOKを出していくことにしたんです。

私でいう人に甘えたり頼ることにOKを出すということは、人に全部丸投げして全てやってもらうということではなく

人に甘える時があってもいい

人に頼ることがあってもいい


ときどき自分にOKを出していってあげることでした。

何でも1人で頑張ってきた私が
家族にお風呂掃除を頼んでみたり
洗濯ものを取りこんでもらったり
少しずつ頼みやすいことからやってみました。

すると
主人も子どもたちも
思っていた以上に協力してくれる♪

そのことに
ありがとう〜
助かるわ〜
と感謝の気持ちを伝えると
喜んだ顔を見せてくれる♪

人に頼ったり甘えてみたりすることは
お互いに気持ちよくって
何でも1人で頑張ってやらないといけないと
犠牲感でやってきた私ですが
少しずつ愛からできるようになってきています。

苦手な人やモヤモヤするとき

“誰が”

ではなく

“どこが”

にフォーカスすることで
自分の心の奥に蓋をしていた
本当の想いに気づくチャンスかもしれません。

“誰が”ばかりにフォーカスしていると
あの人も嫌、あの人は無理って
周りが敵ばかりになってしまう。

「他人は自分を映し出す鏡」


ポジティブな感情も
ネガティブな感情も
どちらも大切にしたいものです。


最後まで読んでくださりありがとうございました。

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