周子essay

【12月課題 long ver.】ノイズとは

以下は課題エッセイのロングver.です。「#みんなはこう考えた」エッセイの長さは自由ですし、書く内容に困ってしまった方は、記事内で紹介された一曲あるいはテーマに関連ある他作品の感想や分析という形でも問題ありません。(そもそも私も今回、質問に真正面からは取り組んでないですしね。)

「美しい」「美しくない」は主観の問題であって、作り手としてその判断基準を論じることがさほど重要だとは思いません。(わたしの場合はなので、それが何より大切という人もいると思います。)代わりに、他の作曲家のノイズの定義を論じることで、自分の「ノイズ観」を浮かび上がらせてみようと思います。

やはり「ノイズ」と聞いて思い浮かぶのはLiza Lim(リザ・リム)。公私ともにもっとも近しい作曲家の1人ですが、「The Future-present-past voice」というアーティクルのなかで彼女はこう述べています。

I mentioned distortion and you could say that that is almost a default state in my music. It comes from a fascination with emergence, the sense of something arriving. I say ‘pushing aside’ because with distortion there is distension and compression. That deformation suggests to me a trace, the evidence of invisible presences squeezing through into our space-time field.

これは彼女の歴代オペラ作品、特にボイスの用い方に関連した文章なのですが、ディストーション(歪み)=「見えないものが現れる際の有様、状態」と位置付けられていることが読み取れます。

そもそも「見えないもの」とは何か。このばあい、日本ならば神社や掃き清められたお寺で感じることのある、「何か気配のようなもの」が一番しっくりくるのかもしれない。彼女はクリスチャンでも特定の宗教を信仰しているわけでもありません。ただ「見える・聞こえる・説明できるもの」のみを信じるというスタンスを選んでいない。神など崇拝の対象ということではなく、自然との繋がりだったり、本能や勘で感じる何かだったり、「無いけどあるもの」。

ノイズ=歪み=「見えないもの」の存在の証明

このような感覚的で(ある種)非現実的なトピックを、言語化し、現実の動きや(演奏家の)動作に呼応させられるインテリジェンスが、アーティストとしての彼女の本領ではないかと思います。ちなみに下記の歌手Deborah Kayser(デボラ・カイザー)はリザの高校の仲間で(!)欧州やアメリカでは無名の存在。でも私が今まで見たなかでCarl Rosman(カール・ロズマン)と同じくらい感動しました。そもそもカールは歌手じゃないけどね。

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一方、イタリア人作曲家Pierluigi Billone(ピエルルイジ・ビローネ)は、楽器の探求、特にディストーション系の音響の扱いに非常に優れた人物で、わたなべ講義で触れられたClara Ianotta(クララ・イアノッタ)も最も影響を受けた人物に彼の名を挙げています。また「ヴァイブレーション(振動)」に重きを置く側面もあり、室内楽作品ではよく器楽奏者が声を発するのですが、これは「身体が振動する」ということ自体に意味があるそう。じっさいひっそりと微かな音量すぎて聞こえないことも多いです。

リムに比べて一見、現実的な戦略を長けているようですが、曖昧性や多義性、いわゆるメタフィジックス(形而上学)の要素を多く含むという点で共通していると感じています。spirituality(精神性というよりは霊性、本能、直感など)を重要視する姿勢といいますか、とてもリチュアリスティック。

そんなビローネですが、彼はノイズを「アイデンティティのバランスを損なうもの」と定義しています。

What is recognized as *Sound, whatever it is, becomes the centre, takes the rule and the power of a centre, and settles hierarchies. Now, all the rest is *Noise. But these two poles Sound/Noise remain essentially complementary.
What is in force as centre, will be not established by a theory or an individual, it grows and builds itself through the internal tensions of a culture. 
ーfrom Pierluigi Billone "Lecture 2010 - Harvard, Cambridge Columbia University, N.Y.

・「サウンド」と認識されるものが「センター(中心)」となり、(その領域における物事・事象の)ヒエラルキーを決める
・「サウンド」すなわち「センター(中心)」以外のもの全ては「ノイズ」
・「サウンド」と「ノイズ」は互いに必要不可欠な存在
・中心を担うものは、個人や理論ではなく「文化」によって規定される

(short版にも書きましたが、「culture文化」は国に根ざす特有様式だけではなく、テリトリー内での共有性質や概念等の広義の意味で使われることが多々あります。)

これは実例を考えると分かりやすいです。文化が抽象概念としてよく使われると書きながら、ものすごくナショナル・ヘリテージ的な話なのですが。

One simple example: in Europe, during the old and middle age, by the Christian musical tradition the vibrations of trumpet, drum and cymbals were no more recognized as sound, and therefore excluded out of the rituals. In the same age similar vibrations of trumpet, drum and cymbals were recognized as sacred forces in the Tibetan musical tradition, and therefore included in the rituals.

古きヨーロッパのキリスト音楽伝統では、トランペットやドラムやシンバルの「振動」はサウンドとして認識されず、そのためリチュアル(儀式)から省かれた。時を同じくして、チベット音楽伝統ではそれらは「聖なる力」とみなされ、リチュアルの一部となった。

ーfrom Pierluigi Billone "Lecture 2010 - Harvard, Cambridge Columbia University, N.Y.

つまり「ノイズ」とはそれ自体が決める概念ではなくて、集団や社会がもつ価値観によって定義されるもので、それは時や場所や条件によって変化し得る。山下尚一さんという方のルッソロに関する論文(ネット検索で偶然見つけました)でも同様のことが書かれています。

フランスで音楽教育を受けた人々はヨーロッパ以外の音楽を高く評価できず、アラブ音楽・中国音楽・アフリカ音楽などを騒音として感じることがあるという。この場合、それらの音が望ましいかどうかを決めるのは個人というよりも社会や文化であって、こうした社会や文化が想定するような騒音の種類があるということになる。
ー山下尚一著「聞くことの転換と社会の変容:ルッソロの騒音芸術の思想について」より引用

ノイズ=アイデンティティのバランスを損なうもの

まとめると、トランペット等の「振動」は、当時、ヨーロッパの音楽伝統をひっくり返す可能性のある危険因子としてみなされた。そういう全の在り方や定義を脅かすものがノイズだと彼は言っているのでしょう。

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自分にとってけっきょくノイズとは何なのかというと、変容するプロセスの「途中段階」を示すものなんだと思います。何かが歪む、普通ではない様にむかって変形する。つまりサウンドに含まれるエレメントやその割合ではなく、ディストーションという時間行為として。

じゃあ何が「変容」するのか。それはアイデンティティなんだと思う。音のアイデンティティ、演奏家やそのパフォーマンスが背負う文化や文脈。

さらにいえば、境界を超える際に発生する現象が歪みなのではないかと考えています。わたしは頭の中に立体図形を描いて、それらオブジェクトの関係性を読み取ったり規定することで物事を整理することが多いのですが、これに関してはまだ曖昧なので、思考と共に変化していくと思います。

ほんとうはベルクソンの形而上学の話までいきたかったんですが、また今度にしようと思います。

ビローネの楽譜が好き。表紙だけなら著作権違反にはならんだろう。最初の数ページはこちらで見られます。

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