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争わない、怒らない、信じない、諦めない

最近になって気づいたが、私は人と争うのが苦手だ。
不動産業者をライバルと思ったこともないのだが、地方だと客も業者も少ないので、取られたみたいに思う人が多くて驚く。
争うのが嫌なので、あまり同業者に荒らされない場所で頑張ってきた。それを見つけられたことが救いだ。同業者よりも、出版業や士業変形の方が、よっぽどシンパシーを感じたりする。

世は、他人がしてることでうまく行ってるものを真似る方が楽。と思う人が大半だと言うが、私からみたら、そんなみんながやってることの中で自分が抜きん出て力を発揮しないといけない方がよっぽど難しい。というか、しんどい。例えば、カフェをやりましょう。お菓子とコーヒーが得意で好きなので。と思ったとしても、自分を超える人を山ほど知ってから勝ち残っていけると思えず、恐ろしくてできない。
誰もいない畑を自分のペースで耕して、それは難しいことだとしても続けられる。自ら耕した土地が実り、その経験が積層されていくことに喜びを感じる。
そんな感覚だったから、自然と独立してしまったのかなと思う。

周りでも、常に何かに怒ってる人って一定数見るが、怒りエネルギーを違うエネルギーに変えれんものか、といつも思う。
それは初めて勤めた会社の上司に、「岸本いいか。欲しい結果があるなら、怒るのが正解じゃないことは多い。冷静に欲しい結果のためだけに動け」とずっと言われてたからかもしれない。これをことあるごとに思い出している。そうすると、大事な判断で血迷わない。

世間の声を自分の声も同じだと、鵜呑みにしないことも大事だと思う。
前書いた公的委員のジェンダーバランス問題も、委員に女性がいないことをとにかくNGと大声をあげる人が多い。しかし、背景にある思想が大切である。
特に公の側が、恐れて女性増やそうとしてるだけだなーと透けて見え、何も考えてない同然だから痛々しい。

夫婦別姓問題についても、少し思うことがある。私も、自分の苗字が変わるのは、自分のアイデンティティが削られる感覚があり(他にも手続きの煩雑さとか理由はたくさんあるけど)、結婚する時に、ちょうど夫婦別姓が国会で議論されていたので、しばらく待っておこうかなぁとか、かんがえていたこともあった。
司法書士の友達に聞いてたら、「日本の戸籍制度はそんな簡単に揺るがないから、10年待っても厳しいよ」と言われ、仕方がない、待たないことにした。
その後、一般的な改姓手続きに加え、会社代表者、資格の変更、もういまだに全部終えたのか分からないほど手続きは大変面倒の極みすぎた。

しかしだ。やむを得ず改姓してみると、悪いことばかりではない。これまでの自分と、新たに加わったもうひとつの自分とを、行き来しながら生きれる。これは面白い気づきだった。
嫁としての自分は、もちろん仕事上で頑張ってるかとかは全く意味をなさないわけで。新しい自分が生きれる、これは改姓することでモード切り替えがしやすい。例えば、子育てが始まってみると、保育園関係者は、ほぼ岸本の私を知らない。変に知られて距離を置かれたくないので、知られていない方が、今は都合が良かったりする。

職住一体の暮らしを推してはいるが、これは人によって合う合わないがあると思っていて、家で勉強できるタイプかみたいな資質の違いによると思う。
家では勉強できないタイプの私は、家で仕事も苦手で、今はドアドアで45分という、超一般的サラリーマンのように電車通勤している。子育てしてると、往復1時間半削られるのは痛いが、それでも、電車という切り替えモードがあることが、自分の仕事において欠かせない。昼休みに自転車でうろついて、街の変化を見ながら考え事するのも、急に解決策が浮かんだり、余白時間のもたらす効果を感じる。

インボイスだって、フリーランスの反対活動を、当事者が皆きちんと理解してるのだろうか。うちは聞かれる立場でもあるから、顧問税理士に説明にきてもらい、本も読んで、かなり分かったけどそれでも8割くらい。税理士ですら複雑で困難と言っていた。そして、おそらく数年は、我々中小企業こそが金額的に影響を受けることになる。

SNS社会になり、みんなが良い正しいの価値基準を他人に委ねているように思う。美味しい店は美味しいんだから、他人の評価は気にせず行けばいい。自分だけが発見した手土産は喜ばれる。調べたり感じたりして、自分の中にある基準で生きるように努めたい。諦めない先に、オリジナルが生まれると思う。

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