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夏の京都と7rings

夏なので京都に行きたい。
京都の夏は死ぬほど暑いのだが、
なんというか暑いが故に魅力的なのだ。

炎天下に行列に並んで飲んだ六曜社のアイスコーヒーとか、
嵐山で竹林さまよってクタクタになった後に奇跡的に見つけた喫茶店のアイスコーヒーとか、
東福寺で憧れの市松模様の庭見たけどちょっと枯れかけてて、はて、苔も熱中症になったのかもと思いながら帰りに飲んだアイスコーヒーを思い出すと無性に行きたい。

砂漠の中で見つけたオアシスのように、
酷暑の中で飲んだアイスコーヒーは私の中で美化され、幻覚化され、素敵な世界観に包まれたイメージに変換されている。

ところで、なぜ京都に行きたくなったかと言うと、ラジオでアリアナグランデの7ringsが流れたからである。
このメロディーを聴いたら、
新幹線に乗ってちょいと京都までっていう気になる。
映像を見ずにメロディーだけ聴いて欲しい。
「そうだ、京都行こう JR東海」って言いたくなるから。

ただ、映像を見て、歌詞の和訳を検索すると、自分がこの曲に抱いていたイメージと全く違っていて驚く。

私が抱いていた曲の解釈は京都の美しい風景、情緒、わびさび。
一方でアリアナグランデが描く世界は巨万の富を得てしまったティーンの豪遊であった。

ちなみに7ringsは、6人の女友達にダイヤの指輪をプレゼントするという、ぶっとんだ価値観の象徴である。

数十年に渡るCM効果で日本人に刷り込まれたこの曲の世界観と、アメリカ人による解釈とアレンジによる世界観はこうも違うものなのか。

ちなみに、この曲をリリースしたとき、アリアナグランデは手にタトゥーを彫ったそうな。

7ringsにちなんで、「七輪」と。

あああああ、そばに、そばに、日本人がいれば止められただろうに。。

七つの指輪。間の文字を飛ばしたくなる気持ちはわかる。
きっと色んなものをイニシャルで表現する欧米文化を、漢字にも適用したのだろう。
でも漢字はもともとそんなオシャレ文化に対応していない。
だって、二輪も五輪も七輪も、もう漢数字と「輪」を組み合わせるだけで全く別の物体に変身してしまうのだから。

ひとつのものに対する解釈って文化によって全然違うし、
音楽も言葉も急カーブして、そして思わぬところで暴走するなぁと思った週末です。

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